子供の頃、冬になるとコタツの上に、黄色い “みかん” が山に積まれていると、何となくうれしい豊かな気分になったものでした。
素手で剥いてすぐに食べられる みかん は、手軽でおいしくて おまけにビタミンCなどが多いというから、うってつけの食べ物でした。
今は、そんな “みかん” も苦しいピッチングを強いられているようですね。
ベランダの小さな鉢植え “みかん” は、3年もので我が家に来たので、そろそろ15年くらいになります。
その鉢植え みかん に、今年は9個も実が付いています。
昨年は、1つでその前の年は2つでしたから、突然変異?です。
このところ異常気象が続いていますから、我がベランダにも異変が起こっているのでしょうか?
まぁ、しかしうれしいことです。
まだ、青く、硬いですが来月にもなれば、黄色く色づいて食することが出来るかも・・。楽しみです。
今の状態です。
(この写真では、7個が見えています。)
この“みかん”が我が家に来た頃は、花木や草花などをベランダで始めた頃で、 2つも通販の月極め頒布会に入ったりして、
毎月2鉢ずつ1年間楽しんでいました。 実の成る物では、このみかんの他、レモン、ゆづ、さくらんぼ、柿、茱萸・・など、
花物では、山茶花、梅、沈丁花、藤、馬酔木、サルスベリ・・などの2系統でした。
さらに、これが終ると、再び盆栽仕立ての変わりものを頒布会で・・。 おまけに、ホームセンターなどで欲しいのを購入したりして
いましたから、たちまちベランダが賑わったのでした。
これらは、その内枯れてしまったり、昨年の大規模工事の時点で処分したりして現在は、沈静化しております。
ところで、あの、お馴染みの“みかん”について、この際、ウイキペディアで少し調べてみました。
“甘い柑橘ということから漢字では「蜜柑」と表記される。 代表的な温州ミカンの「ウンシュウ」は、柑橘の名産地であった
中国浙江省の温州のことで、名産地にあやかって付けただけのことで、中国の“温州”原産ではなく 日本の鹿児島県が
原産と推定されている”んですね。
産地をデータで見ますと・・
都道府県別収量割合(平成23年、農水省)
和歌山、愛媛、静岡3県で、全国の半分を占めているのですね。
“柑橘の原種は3000万年前のインド東北部のアッサム地方近辺を発祥とし、様々な種に分化しながらミャンマー、タイ、中国等へ
広まったとされる。 中国では古くから栽培が行われており、戦国時代に完成したとされる。
文献『晏子春秋』には「橘化為枳」(橘、化して枳と為る。境遇によって元の性質が変化するという意)との故事が記されている。”
“日本にはタチバナと沖縄にシークヮーサーが原生していたが、3世紀の『魏志倭人伝』には「有薑橘椒蘘荷不知以爲滋味」
(生薑(ショウガ)、橘、山椒、茗荷があるが、それらを食用とすることを知らない)と記されており、食用とはされていなかったと
考えられる。” だそうで、これは驚きですね。
“日本に最初にミカンが広まったのはキシュウミカンだそうで、肥後国八代(現熊本県八代市)に中国浙江省から小ミカンが伝り、
高田(こうだ)みかんとして栽培され、それが15 - 16世紀ごろ紀州有田(現和歌山県有田郡)に移植され一大産業に発展した。
江戸時代の豪商である紀伊国屋門左衛門が、当時江戸で高騰していたミカンを紀州から運搬し富を得たことでも有名である。
また江戸時代初期、徳川家康が駿府城に隠居したとき、紀州からキシュウミカン(ホンミカン)が献上され、家康が植えた
この木が静岡地方のみかんの起源とされている。”
“明治時代に入ると、以前よりミカン栽培に力を注いできた紀州有田はもとより、静岡県や愛媛県等でもウンシュウミカンの栽培が
本格化する。北米や朝鮮にも輸出されるようになり、日本国外への展開も始まった。
昭和初期にはナツミカンやアメリカから輸入されたネーブルオレンジ等も広く栽培され、柑橘市場の成長は最初のピークを迎える。
そのまま高度経済成長の波に乗り、ミカン栽培は飛躍的な伸びを見せる。
それが、1980年代からの日米貿易摩擦の中で1991年にオレンジの輸入自由化が始まり、円高も相まってオレンジの輸入が
増大する一方で主に北米向けに行われていた輸出は途絶え、ミカン栽培は危機を迎えた。
加えて、農家の後継者不足や果樹消費の多角化等、日本のミカン栽培は様々な問題を抱えている。”
1世帯当たり年間購入量と支出金額推移(総務省)
みかんの生い立ちから、その歴史を垣間見ましたが、そういえば、最近、この温州ミカンの他に、いろいろな新しい種類が
店先に並んでいますね。 “デコポン”、“河内晩かん”、“清美オレンジ”、“はるみ”、“セトカ”・・などなど~。