蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

異色のサッカーチーム  (bon)

2013-12-21 | 日々雑感、散策、旅行

 タイトルからちょっと離れますが・・

 東京都知事は、ようやく辞職しました。
“政治家としては、アマチュアだったかもしれない。” そんなつぶやきを残して・・。
大東京の知事が、アマチュアであっては困るし、そんなことをいまさら言われる都民はどんな心地がするだろう。
430万票以上を獲得して当選した知事にしてこうである。
1か月も、知事の疑惑に集中審議をしていた議員達のいきり立った姿を見るのも苦痛を通り越して嫌気がさすほどであった。
こんなことに、ひと月も費やして、都政は全くストップしてしまっていたが、企業だったら経営不在でつぶれて
しまうだろうし、その後も社会的信用もなくなり、
取引先もみんなあきれてしまうだろう。 
これが、東京を引っ張る都議会の実態なのだから~ 都民ではないが、寂しく思われてきます。


 前置きが長くなり、バナナシュートになってしまいましたが、いつも配信していただくH氏からの記事に、
異色のサッカーチームが、来季から新設のJ3リーグの仲間入りを果たした経緯と、その底流にある熱い思いと
結束が述べられていましたので、好対照の内容から記事にとりあげました。

 Jリーグは、20数年前に10クラブで発足しましたが、今や昨年で50クラブを超える規模に成長し
観客動員数も805万人超におよぶ一大スポーツに成長しました。

 以下に、配信記事から転写させていただきました。
 

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Voice 2014年01月号 p156-163

  「ゼロから始めたJリーグへの挑戦」  杉山茂樹(スポーツライター)

 

【要旨】1993年に日本で初めてのプロ・サッカーリーグとしてJリーグが誕生してから20年が経過した。
当初から企業色を排除し、各チームの地域性を
重視した運営がなされ、実際に地域の知名度を上げ、
地域の振興に貢献した
チームも数多くある。 しかし企業色を排除したとはいえ、ほとんどのチームには
母体となる企業があり、本来の「クラブ」ではない、といった指摘も聞
かれる。
そんななか、来季からJ3としてJリーグの仲間入りを果たす神奈川
県相模原市を本拠とする「SC相模原」が、
一個人がゼロから立ち上げた異色
のチームとして注目を集めている。本記事は、その“一個人”であり、
同チー
ムの代表を務める、元サッカー日本代表選手・望月重良氏を取材し、チーム創設から6年でJリーグ入りを
果たした“快進撃”の要因や、これからの地
域とチームの展望などを詳細にリポートしたものである。

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  神奈川県相模原市。人口約72万。全国に20しかないれっきとした政令指定都市ながら、そのなかでもっとも
印象が薄い都市といってもいいかもしれない。

 SC相模原。スポーツクラブ相模原は、その一方で、来季新たに誕生するJ3(Jリーグ3部)への昇格を果たした。
相模原市はSC相模原によって、いままで以上に知られた街になろうとしている。
  だがこのクラブ、普通のスポーツクラブではない。Jリーグに所属する他のクラブとは、コンセプトが大きく異なっている。
元サッカー日本代表選手、望月重良がたった一人で始めた、母体もなければ、前身もないクラブだ。
  現在“代表”という立場でクラブを率いる望月氏。「たまたま相模原に知人がいて、一緒にご飯を食べているときに、
そのお店のご主人が『相模原には誇るべきものが何もない』と、いったんです。そこで『相模原にサッカー
チームをつくってくれないか』と。お酒の席で、軽いノリで始まった話なのです。2008年の話です。
神奈川県社会人リーグ三部からのスタートでした。
 2007年に現役を引退して、抜け殼状態でした。ですが、このクラブの代表になって、現役時代と同じような感情を取り戻すことができたのです」

  だが、試合をしようと思えば、少なくとも選手が必要になる。上のカテゴリーをめざそうとすれば、よりよい選手を
集めなければならない。遠征費を
はじめとする出費もかさむ。「会社もなければ、チーム名もない。選手もいない。
何もない状態からのスタートでした。監督をやりつつ、その傍らで、
企業を回って頭を下げて。お金を集めないことには、
チームは終わってしま
うわけですから、もう無我夢中。でも、すべてゼロからスタートしたクラブは、おそらく
初めてだと思うので、やりがいがありました」

  「いきなり会社を立ち上げました(笑)。最初からJリーグをめざすつもりでしたので、株式、法人にしました。
クラブを立ち上げるとき、売りに出
ていたクラブがあったんです。それを相模原にもってきてJFLに参加する
とい
う手もあったんですが、それでは面白くない。時間はかかるかもしれないけれど、ゼロから始めることに
意義や価値があると思ったんです」

 

 Jリーグは、企業の福利厚生部門の一つだった実業団チームをクラブ化させるかたちでスタートした。
その傾向はいまだ健在。チームのほとんどに前
身となる母体がある。Jリーグは、クラブ名に企業名を入れない
ことを売り
にしているが、その実態は「クラブ」とはほど遠い。

 「クラブ」とは、気の合う仲間が集まってつくるものだ。それが輪のような広がりを見せて大きくなる。
そうしたクラブらしさというものが、日本に
は存在しない。欧州型のクラブ社会をめざすというJリーグの理念は、
まさ
に宙に浮いた状態にある。 SC相模原は、そうした日本にあって画期的な存在だ。
従来の日本社会にはなかった、注目すべきスタイルのクラブであること
は間違いない。

           

  「全国にJリーグをめざすチームは、いまも過去も数多くありますが、最初は盛り上がるんです。しかし、
途中で勢いがなくなるところが多い。理由
は、階段を上れないからです。上のカテゴリーになかなか進めず、
立ち止まっ
ているあいだに、熱が冷めていく。求心力が低下し、消滅していくという例を見てきました。
だから、勝利には拘りました」。神奈川県三部からスター
トしたSC相模原は、毎年各カテゴリーで優勝。
一度も停滞することなく、ト
ントン拍子で昇格を果たした。
「チームを勝たせる自信はありました。なに
より後押ししたのが、人口72万人を抱える、この相模原という街の
ポテンシャ
ルです。スタジアム(麻溝公園競技場)も、できあがりつつあったので、そこにお客さんを入れて、
やっていけるのではないかとイメージできました」

  「僕たちはお金がないから、ビッグクラブのように、代表選手クラスのいい選手を取ってくることができません。
そのぶん、このチームに何かもたら
さなければいけない。お金がないから何もしないでは、お客さんは集まりません。
 発想を変えていくしかありません。お客さんの立場になって、こうい
うチームなら見に行きたいというような、
魅力的なクラブづくりを考えてい
きたい。それがサッカーの常識から外れていてもいいと思う。
そうしたチー
ムが一つぐらいあっても」

  「ここまでは当初、描いたイメージどおりにきたつもりです。問題はここから。
どのような方向に進んでいくか。クラブの立ち位置をどのあたりに設
定するか。年間予算ウン10億円の
浦和レッズのようなビッグクラブをめざす
のか。10億円そこそこで頑張っているヴァンフォーレ甲府のようなクラブを
めざすのか。地域に愛されたクラブであることがいちばんですね。なにより市民に認知してもらうことが大切です。
J3昇格は、認知度を高める絶好の機
会になると思います。相模原にはSC相模原があるんだということを
日常生活
のなかで普通に語れるようなところまで早くもっていきたい」

  大きな街なのに、全国的な知名度は低い。相模原のこうした特殊性が、SC相模原にプラスに働くことは
十分考えられる。市民が街を有名にするための
何かを欲していることは間違いない。
「コンプレックスがあると思います。
お隣の町田に対しても、横浜に対しても。そのあたりをくすぐれば、それが
パワーの源になる。何事も身近にライバルは必要です。相模原対横浜という図式も描けます」

  「街の名前を全国的にしようと思ったとき、スポーツは有効な武器になります。鹿島アントラーズ、ジュビロ磐田の
例を見るまでもない」。相模原に
は鹿島、磐田以上に街としてのポテンシャルがある。
クラブの規模をどのあ
たりに求めていくか。悩める問題だ。「たとえばベガルタ仙台は、トヨタがバックに付く
名古屋グランパスとは違い、地元に大手の企業がない。スポン
サードしているのは、中小の企業ばかりです。
まさに市民クラブです。それ
でいながら観衆がよく集まる。資金力はそれほどなくても、上手なやりくりで市民を
熱狂させている」

  「一つ考えているのは、選手、監督にステップアップの場として活用してもらう。ここから横浜マリノスに行ったり、
ここでチャンスをつくって、羽
ばたいていく場になればと思っています。いわばショウウインドウ的なクラブです」

  「スポーツには力があります。日常の生活のなかにスポーツが入ってくれば、日本の社会は変わると思います。
鹿島で暴走族をやっていた人間が、サ
ポーターのリーダーになったり、スポーツで人生が変わったり、社会がよくなったり
した例はあります。サッカーだけじゃなくて、その可能性はいろん
なスポーツにあります。
フットボールクラブ(FC)ではなく、SC(スポーツ
クラブ)をクラブ名に加えた理由でもあります。
誰もが参加できるクラブに
していきたいんです」

  彼は最後にこう付け加えた。「いま僕は代表をやっていますけれど、僕がやり続けなくてもいいと思う。
優先すべきはクラブです。もうここまで来た
ら、SC相模原は公共のものなのです」。俺が私費を投じてつくった
クラブな
んだから、という気持ちになるのが普通の人。自分の儲けを考えようとするものだ。
それを「公共のもの」と言い切った。

 はたして10年後、20年後、SC相模原はどのようなクラブになっているのか。明るい未来が待っていそうな気がする。

 

コメント: 多くの起業がそうであるように、SC相模原は、一個人の「思い」からスタートした。そして、その「思い」を
膨らませていった結果、J3昇格
という成果を上げることができた。うまく膨らませることができたのは、もちろん
望月元選手の努力の結果もあるだろうが、「思い」や自由な発想を受
け入れる社会の“やわらかさ”があったことも 
要因の一つといえよう。こう
した “やわらかさ” が、多様性をつくり、社会全体を強くするもとになるのだと思う。
成熟した市民社会の“余裕”をもって、この“やわらかさ”を維
持していくことが、未来の豊かな社会を築くうえで
実はもっとも重要なのか
もしれない。

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