蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

モーツアルト頌  (bon)

2014-09-20 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日の園芸友の会例会では、秋の園芸作業の注意ポイントが講師先生からお話がありましたが、会員からは、
20年も描きためられた “スケッチ画集” が立派な装丁で自費出版されたのをいただいて、内容の一部の解説があり、
絵の上手さと共に描かれた時の思いやそこから派生した心の動きみたいなものが感じられました。
また、6時間もかかった自身の “心房細動” の 手術の経験とその内容が報告されたり、私の方からは、
メグスリノキの先端部分(切落とし)をサンプルで提出したり、先日のサギソウの開花もようを報告したり、
話題が広範囲にわたり時間も足りないくらいでした。

 これらの話題の広がりの中、講師先生から膨大な資料が配布され、その中に掲題の “モーツアルト頌” が
ありました。  この内容の一部をここにご紹介したいと思いました。
 

 誰もが知る有名人が、こぞって作曲家 “モーツアルト” を褒めちぎっている・・そんな内容です。
以下に、部分を抜粋の形で引用させていただきます。

 アインシュタイン: 死とは、モーツアルトを聴けなくなることだ。

 ゲーテ: だから私は、魔神は人類をからかい愚弄するために、ときおりあまりにも魅惑的な個々の人物を
生み出して見せるのだ、という考えから
逃れることが出来ない。

 チャイコフスキー: “ドンジョバンニ” の音楽こそ、私が深い感動というモノを覚えた最初の音楽なのです。(中略)
それまでは、私はイタリアオペラしか知らなかった。 私が生涯を音楽に捧げるに至ったのも、モーツアルトのお蔭です。

 ハイドン:私は、正直な人間として神に誓って申し上げますが、私が見聞する限り、あなたの息子さんは、
最も偉大な作曲家です。

 ロマン・ロラン:この至福の天才は、ひたすら創作するために生まれて来たかのようだ。なぜなら、このたやすく
書き上げる能力を、ロッシーニのような怠惰な気まぐれと混同してはならない。 バッハは、根気よく仕事をした。
彼は友人たちに語っていた。“私は仕事をせざるを得なかったのだ。誰しも私くらい仕事をすれば、私くらいには
立派に成功するだろう。” ベートーベンは絶えず自己の天才と格闘を演じた。(中略)モーツアルトはこのような
苦痛をまるで知らない。彼は望むがまゝに何でも出来たし、出来る事しか望まなかった。彼の作品はかれの生命の
移り香のようなものである。 生きる苦しみしか味わわなかったのに、かくも美しい花を咲かせているのだ。

 スタンダール:モーツアルトのオペラは機智と憂愁との至妙の混淆である。その類例はあり得ない。(中略)
純粋な優しさと憂愁の傑作として “フィガロの結婚” は天下無双である。

 ルノワール:子供を作り上げるのは、確かに両親だよ。 だがそれは、生まれてから後のことだ。生まれる前には、
あとからはその痕跡も見つからないような無数の影響が働いているんだ。 モーツアルトの天才は、たぶん、
まだキリスト紀元になるまえに葦の間を吹く風の音に感動したギリシャの羊飼いから伝えられたのさ。・・

 シューベルト:モーツアルトの音楽の魅惑の響きは、今もなお、遠く遥かに聞こえてくる。(中略)
おお、モーツアルト、不滅のモーツアルトよ、君は、より明るくより良い生活についての快い映像を、どんなにたくさん、
無限に数多く、私たちの魂に刻み付けてくれたことか!

 ショパン:死の床のショパンが、友人たちに言った。 “みんなで何か演奏してくれないか。君たちはその間
私のことを考え、私は君たちの演奏を聴くことにしよう” と。 友人の一人が “じゃ、君のソナタを弾こう” というと、
ショパン “そりゃいけない。本当の音楽を弾いてくれたまえ。モーツアルトの音楽を!”

 

 園芸友の会例会終了後、すぐ前の日比谷公園を覗いてみると、賑やかに “ドイツビール祭り” が行われていました。
公園の入り口には、時節柄 “虫よけスプレー” が配備されていました。景気良い音楽が流れるなか大勢の人たちが
大きなジョッキを傾けていました。 

  日比谷公園内ドイツビール祭り
   

 

日比谷会場は、9/23までのようですが、本チャンは、お台場での
“オクトーバフェスト2014” とのことで、今年13年目のようです。 9/26~10/5。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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