今回の衆議院選挙公約で掲げる主要テーマである、地方活性化に関連して、いつもの、ネット配信していただいている
H氏からの記事に、この “地方創成” に大きな壁のあることの取材記事がありました。
自民党は、経済再生と財政再建を両立させながら経済好循環の更なる拡大を公約に掲げ、併せて “地方創成” に
力を入れ、全国的に豊さを実感してもらえるような国つくりに邁進して行きたい・・と大きく旗を挙げています。
地方の活性化については、古くから叫ばれてきたことであり、そのむずかしさは一筋縄では行かないでしょうけれど、
今回は、地方創成のための担当大臣を設置して強力に取り組む・・としています。 これまでのように、国から地方への
ばらまきや指示ではなく、地方から国への提案により支援するといっています。選挙結果もこの方向は変わらないでしょう。
このブログでも、これに関連する記事を(断片的ですが)いくつかアップしてきました。
たとえば、直近から、“神山プロジェクト”(2014.5.11)、“人口ブラックホール”(2914.4.19)、“婚学”(2014.3.7)など、
地方も勿論ですが、日本全体の人口が2050年頃には1億人を切り、高齢化率は40%近くになると推計されていたりして、
それこそ危機的状態であるといえるでしょう。5月に発表された「日本創成会議」(座長:増田寛也元総務省)によれば、
2040年には、20~39歳の女性が、10年より半分以下に減少し多くの自治体が消滅する可能性があると指摘しています。
この記事で言うところの、“壁” は、結局は、どのような形で、若者を地方に呼べるか? ということに尽きるのでは
ないかと思うのです。 つまり、その地方にかかわりのない若者が、そこに来て頑張って定住する・・という図式は、
どのようにして成り立つのか? ということなんだと思うのです。 何か良いビジネスがあって、そこで頑張れば、
良い生活?が出来るから・・ である場合、地方あるいは地方の人々との融合が、うまく取れるのだろうか?
疑念が残ります。 最近の報道では、岐阜県大垣市の “ソフトピアジャパン” に、IT関連の若者たちが集まって
賑わいを見せていると報道されています。 その昔、20年ほど前に、この施設がオープンする時仕事で関連しましたが、
そのコンセプトがようやく実を結ぶ方向であるということでうれしい限りです。
話が逸れましたが、他県から来るそれらの若者たちは、地方そのものではなく、事業が儲かるあるいは やり易い
ことに真意があるからであり、本当にその地域に馴染めるのか?
ま、事業が成功すれば、税金が入る・・からいいのかも知れません。 しかし、その地域の出身者であれば、
そのうちの幾人かは、一念発起して、一肌脱ぐ若者が出てくるかもしれません。 彼らは、自身の出身地で、愛着もあり
その意味から真にその地域の活性化がはかれることになるのではないか。
そういう若者を、時間がかかっても、何とか集められないでしょうか?
前置きが長くなってしまいました。以下に転写させていただきます。コピペで申し訳ありませんが、以下にアップさせていただきます。
*******************************
「『地方消滅』忘れられた日本人」 葉上 太郎(地方自治ジャーナリスト)
文藝春秋 2014年12月号 p116-125
【要旨】安倍政権の経済政策の国内“現場”における功罪を検証する小特集「アベノミクスの『現場』を見に行く」の一記事。
政府は「地方創生」を高らかに謳い上げるが、人口減少と高齢化、それに伴う産業や地域文化の衰退などが
歯止めのきかない状況に陥っている「地方」は本当に再生できるのか。
本記事は、徳島県の徳島市や旧木頭村、奈良県野迫川村の現状を、現地を訪れ住民や関係者から話を聞くことで
明らかにしている。本ダイジェストではこのうち旧木頭村のルポを取り上げた。日本の地方社会ならではの諸問題に
直面しながらも、特産品のユズを活用したビジネスの立ち上げに尽力する人々の姿と、その前に立ちはだかる壁の存在を
リアルに描写している。
------------------------------------------------------------
地方経済の冷え込みが、全国で地方社会を疲弊させている。政府は対策として「地方創生」の担当大臣を置いた。
だが、地方活性化は歴代の自民党政権が掲げてきた重要施策だ。その結果としての「今」がある以上、少し力を入れた
ぐらいで効果は出るだろうか。私は“消滅の危機”と戦う最前線へ向かった。
増田寛也・元総務大臣らのグループが5月、「人口減で896の市区町村が消滅しかねない」とする試算を発表した。
徳島県で最も消滅の危険性が高いとされたのは、那賀町である。那賀町は05年、5町村の合併でできた。
町域には1960年、23,000人を超える人が住んでいたが、今では9,500人に満たない。65歳以上の割合を示す
高齢化率も45%に近い。
町の最奥部にあるのは旧木頭村だ。面積の95%を山林が占めている。木頭は全国に知られた村だった。
国が計画したダム建設を、激しい反対運動の末に撤回させたからだ。確かにダムからは守った。しかし過疎化と高齢化で
滅びるとされている。
高の瀬峡 四季美谷温泉
(写真は、いずれも(ゆずも含めて)那賀町HPから転写しました。)
木頭を東西に貫いて流れる那賀川で、細川内ダムの計画が表面化したのは71年のことだ。予定地は村の中央部。
「ダムができれば村の生活や産業は破壊される」として、役場が先頭に立って反対運動を展開した。
村長が反対の姿勢を貫き、日本の社会全体にも公共事業見直しの機運が出ていたため、国は建設を断念した。
その後の村は静まり返った。国は「ダムができれば水没して無駄になる」と木頭への投資を長年控えてきたのだが、
代償となるような振興策は講じなかった。
65年に4,100人以上だった旧木頭村の人口は、この8月末時点で1,365人にまで減った。高齢化率は51.43%。
住民の半数以上が「高齢者」である。
だが、木頭にはユズがあった。
中国原産のユズが、いつ木頭に根付いたのかは定かでない。古くから家や畑の隅に植えられ、果汁を絞って酢にしてきた。
木頭ゆず
60年、村内の農家のグループが「酢にしてしまうのではなく、生果で売ったらどうか」と樹園で栽培を始めた。
大阪市場に出荷すると高値で取り引きされ、「木頭ユズ」がブランド化された。林業が外材に押されて壊滅的になり、
米の減反政策が始まると、棚田がユズ畑に変わっていった。
この木頭ユズを今、様々な商品に加工して販売しているのが「株式会社きとうむら」である。ダム反対を貫いた村長が
96年、「ダムに頼らない村づくり」の切り札として設立した第三セクターだった。
最初は社名も事業内容も異なり、徳島市の豆腐メーカーと提携して「おからケーキ」を製造していた。だが、
商品は売れず、赤字が続いて倒産の危機に瀕した。そこでユズを核に据えて、社名も「きとうむら」に変え、一から出直した。
役場が保有していた株は大半を住民に譲渡し、住民が経営に責任を持つようにした。「きとうむら」を起点に
地域通貨「ゆーず」を発行し、木頭でカネを循環させる仕組みも作った。
ユズは無農薬栽培にこだわり、果汁や?油、ジャム、マーマレード、味噌など多くの独自商品を開発した。
瓶などを木頭に運び込み、商品を運び出すのに二重の運賃がかかるという難点があるものの、「高くても、安全で
美味しいものを」というファンが通信販売で増えていった。
品質へのこだわりは、海外からも注目された。「和食ブームに乗ってシェフやパティシエの口コミで広まりました。
家庭でもドレッシングやカクテル用に使われているようです」と取締役の中川公輝さん(51)が説明する。
「イタリア、オーストラリア、カナダ、オランダ、南アフリカなどに送りました。忙しすぎて対応できないほどです」 と言う。
ただし「きとうむら」の経営は厳しい。年間の売り上げは1億円強なので、都市部から働き盛りの人を呼び戻すような
力はない。それどころか80軒以上あった「きとうむら」への出荷農家は64軒に減った。高齢化で離農する人が増えているのだ。
原発事故も追い打ちを掛けている。福島から遠く離れた企業でも自然食品は買い控えに遭った。事故以降、2000万~
3000万円も落ちた売り上げが戻らない。なのに消費税は増税された。今の事業を維持するのに四苦八苦しているのが
実情なのである。
木頭はIターン者の多い地区だ。「2~3年に一家族」(中川さん)が移ってきて、出身者が流出した後を支えている。
ただ、Iターン者の多くが夢見るのは「田舎での小さな暮らし」 だ。都市と同じようなビジネスがしたくて来るわけではない。
田舎で定住者を増やし、産業を興すのは、並大抵なことではない。83歳のユズ農家に会った。「あと何年作れるかな。
この集落は60代以上ばかりだから、そのうち空き家だらけになる。ユズ畑も山に戻るだろうね」
そんな木頭で「住民を500人増やしたい」と気を吐く人物がいる。IT企業・メディアドゥ(本社・東京)の社長、
藤田恭嗣さん(41)だ。木頭出身の藤田さんは昨年、郷里にユズ製品の生産販売を行う会社「黄金の村」を設立した。
今秋の収穫期から工場を本格稼働させる。
藤田さんが事業を始めたのは名古屋の大学に通っていた20歳の時。「無資金でできる事業は携帯電話の販売ぐらいでした」
普及が始まったばかりの携帯電話は飛ぶように売れた。事業は96年、大学卒業と同時に法人化した。
27歳の時に事業転換して、ITの世界に飛び込んだ。ところが22億円あった年商は3億円に落ち込んだ。
万策尽きたかと思った時に、インターネットを通じた音楽配信事業が当たった。その後は電子出版の流通にも乗り出し、
今期の年商は80億円を見込む。東証マザーズに上場し、本社を東京に移した。
事業転換で苦しんでいた時期に、藤田さんは自分の人生について考えた。「20歳までは春、それからは夏、
40歳からは秋、60歳からは死の準備をする冬」と目標を立て、「秋」には木頭で産業を興して郷里に貢献しようと決めた。
そこで07年、メディアドゥの事業所を木頭に作った。
「黄金の村」の名は、ダム反対運動のさなかで自殺した父堅太郎さんが温めていた村おこしの案から付けた。
秋になると木頭はユズの実で黄金色に染まる。そうした地域の資源で住民が豊かになるという意味だ。
そんな藤田さんにも気になることがある。合併で木頭の人々の意欲が失われたように見えるのだ。「役場のある
旧鷲敷町の人口が多いので、下流の人に何でも決められてしまう。自立心が薄れ、ダムよりもダメージが大きかった」と話す。
合併は「高齢化が進む市町村の生き残りのために寄り集まろう」などと政府の音頭取りで行われた。しかし
その実態は逆で、新自治体の周辺部になった町村ほど廃れたとされている。旧木頭村役場の支所も60人ほどいた職員が
10人になり、求心力はない。ダム反対闘争の砦だったのが?のようだ。このような状態で木頭の再興はできるのだろうか。
日本の「地方」は多かれ少なかれ似たような八方塞がりの中にあるだろう。アベノミクスの番外地だ。そうした番外地が
列島のかなりの面積を占めていることを我々は自覚しているだろうか。
コメント: 本気で地域に産業を興し、再生を図るためには、現地で汗をかく若年層を増やしていくしかないのだろう。
近年、学生の「体験学習」を積極的に導入し、それを売りにする大学が増えている。東日本大震災を契機として
地域のボランティア活動の機運も高まっている。しかしながら、農学系以外の大学では、キャンパスの立地する
地元地域との連携は行うものの、遠く離れた過疎地の地域おこしの実習などをするケースはさほど多くないのでないか。
グローバル化のために海外での体験学習を行うことも重要だが、もっとローカルにも目を向けるべきだろう。
そして、大学のみならず我々国民全体も、地域のことを常に気を留めておく必要がある。
Copyright:株式会社情報工場
ご参考 那賀町HPです。
http://www.town.tokushima-naka.lg.jp/kankoguide/