蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

クリスマス  (bon)

2014-12-25 | 日々雑感、散策、旅行

 今日、12月25日はクリスマスですね。 昨夜はイヴ。 
昔、子供が小さい時とか、孫がまだウロチョロしていた頃には、ローソクを立てたケーキをみんなで囲んだことが
ありましたね。
今頃の家庭も、子供を中心として、イルミネーションなど付けたツリーを飾ったりして楽しくやっているのでしょうね。 
イルミネーションといえば、今年は特に、LEDが目立ちます。 近くの街角にもありますが、テレビなどで、各地の
イルミを紹介していました。 大きいもの、何万個も使ったもの、青色一色のもの・・様々です。

 

 さて、クリスマスはいつ頃からあったのでしょうか? はっきりしませんが、ネットによれば、遅くとも4世紀までころから、
“キリストの降誕を記念する祭日” として、祭祀が行われていたとのことであります。 12月25日に、馬小屋で
キリストが生まれた・・というわけではなく、この日を祭日として定められていたということのようですね。

 ツリーがつきものですが、これについては、中世の頃 ドイツで演じられた アダムとイヴ の物語に使われた樹木が
その由来だと言われています。これに電飾が施されたのは、19世紀以降にアメリカで始められたとか。

 サンタクロースは、4世紀頃の東ローマ帝国司教、聖ニコラオス(ニコラウス)の伝説が起源であるという。
「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中に
その家を訪れ、金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。
この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」 という逸話に基づくとされているのだそうです。
なぜ、煙突から入ったかについては、1822年にアメリカの学者ムーアがフィンランドの言い伝えを伝承した
“聖ニクラウスの訪(おとな)い” という詩に基づいているらしい。

 聖(セント)ニコラオスという呼称が使われていますが、これをオランダ語では、“シンタクラース” というそうで、
オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を “シンタクラース祭” として祝う慣習があり、その後、
17世紀アメリカに植民したオランダ人が “サンタクロース” と伝えたのが語源になったといわれています。 

            サンタクロースと子供
                       (ウイキペディアより)


 サンタさんは、昔から、常ににこやかなおじいさんで、白いひげを蓄え、キリスト教司祭服に準じた赤白のゆったりした
服に 白い大きなプレゼントが入った袋をもっているのが世界共通のイメージのようですね。
トナカイは、最初は1頭だったのが8頭になり、鈴などの演出は後世に作られたようです。
プレゼントは、もともとは、ツリーの下に置く習慣でもあったのが、サンタさんが、良い子にお菓子を、悪い子には炭などを与えたと、どこの国でも子供に対する接し方は同じようですね。

 日本では、1914年にすでに、子供雑誌に現在と同じような いでたち のサンタが描かれており1923年には、
新聞記事に「Xマス近づく」との見出しで、「坊ちゃん嬢ちゃんに歓迎されるクリスマス・プレゼントは、年々盛んに
なるばかりだ。」 とあり、このころには既に商戦化せれていたことを伺わせます。
1926年12月25日に大正天皇が崩御され、この日が休日(大正天皇祭)となったことも、その後の日本でクリスマスが
盛んになった一因ではないかとされています。

 グリーンランドに住む長老サンタクロースの補佐をする目的で、1957年にグリーンランド国際サンタクロース協会が
設立されていて、協会が認定する公認サンタクロースが現在世界に120人いるといいます。
日本人も、1998年に公認サンタクロースとして指定を受けたミュージシャンのパラダイス山元という人がいるようで、
各地でイベントを手伝ったりしているようですが、HPにははっきりと書かれていませんし、顔も出されていませんでした。

                                     (ネット画像)

 

 

 

 

 

 

 

 

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