ウイキペディアなどの定義によると、“地方とは、ある国の地域。三大都市圏以外の都市。”とあり、
中央との対称的な関連から、“中央卸売市場⇔地方卸売市場、中央競馬⇔地方競馬”などの例示があります。
一方、“地域とは、同じ性質をもっているなどの理由からひとまとめにされる土地のこと。”とあり、
内容的には、“人間と自然の関係、海洋・景観・環境の関係、さらには、機能的に結びついて形成された
生活圏、通勤圏”などが挙げられていますが、 今一つ “これだ!” という違いが明確ではありません。
なぜこのような事を言うかといえば、先の、第二次安倍内閣の主要政策の目玉の一つとして「地方創生」が
上げられて、地方創生担当大臣が新設されていますが、神野直彦氏(地方財政審議会会長)の記事
「地域創生と地方創生」では、この 地方と地域 の意味内容が取り違えられており、本来「まち・ひと・しごと
創生法」の目指すところは、地域創生でなくてはならないのに、文字通りの地方創生が推進されていると
指摘されているのです。
地域としての生態系、風土、歴史によって育まれた「生活の場」を対象とした活性化を目指すべきであるのに、
政府の推進策としての地方創生は「中央の利益追求手段」を対象としているに過ぎないと指摘しています。
「地方創生」の地方には、「生活の場」としての位置づけは無く、「ひと」「しごと」つまり、「人口減少」の
克服と脱工業化、経済成長の確保が政策課題だと。 そして、人口減少そのものよりも、中央を支える地方が
消滅するという「地方消滅論」が強調されている と述べられています。
そもそも、工業化が進展すると、都市化現象が起こるのは当然であり、工業化が行き詰まると、普通は
(ヨーロッパなどでは)「逆都市化」現象が起きるが、日本では、1980年代後半にバブルが生じると、
再び地方圏から大都市圏への人口流入が起こり、バブルが弾けた90年代にこれが止まるけれども、既に
工業化の行き詰まりが生じているため、工場機能が、地方圏から途上国へフライトし、日本には、管理機能・
企画機能・開発機能・研究機能などが残り、東京圏に集中する。 したがって、地方圏に散在していた支社、
支店などは整理されてしまう。地方圏に本社がある企業も、グローバリゼーションに伴い、東京支社機能を強め
従業員を東京圏に移動させてしまっているというのです。
ここで、神野氏は、この問題を解決するために、「生活の場」の再生を強調されているのです。すなわち、
ポスト工業化社会を担う新産業の創設には、旧来型産業が立地する東京圏よりもむしろ地方圏に利があるのでは
ないか。だから、ヨーロッパなどでは逆都市化が生じた。工業社会における大量生産・大量消費の量の経済から
質の経済に転換させる、すなわち量から質に転換させるのは、とりもなおさず、人間の人間的能力 つまり
「知識」である。地域社会に、人間的能力を育むために、優れた人間が育ち、集まる必要がある。ここに、
地域創生の合言葉は、環境と文化であるといっています。 工業が破壊した自然環境を再生させ、人間の
生活様式としての文化が花開いた社会には、研究機関や大学などが集結し、学問、芸術、科学などが発展する
ことになり、そこにこそ新産業が誕生する・・と主張されています。 その際、農業は知識集約産業である
ことを忘れてはならないとも言明し、ここにおける農業は、工業化による自然破壊ではなく、自然の
メカニズムにあった知識による知識集約農業が推進されなければならない・・と指摘しています。
地域おこし協力隊の活動(和歌山県の例)
(紀伊民報より)
地方と地域について、単に言葉の定義ではなく、その意味するところ、すなわち新しいこの国の政策として、
推進する方向性が、人口減少による地方消滅課題の解消や中央の利益追求手段に重点が置かれているとすれば
それは、将来に向けた根本的な解決とは言えないのではないかと思います。時間がかかっても、それぞれの
地域が、その地域の文化と風土に根差した活気ある都市として栄えるような政策を推進されるべきだと思います。
国の政策、つまり かじ取りが 大事であることは勿論否めませんが、それとともに、その地域に、あるいは
他の地域と共に そこを場として生きる人々の意識、価値認識、活動が伴わなくてはならないのではないか
とも思うのです。では、具体的に次の一手をどうするか? 難しいですが、先ずは、そのような知恵が生まれる
ための「意識づくり」「動機づけ」「導き」のためのウネリを起こすことではないでしょうか?
皆様の考えはどうでしょうか?