蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

法然上人  (bon) 

2018-04-07 | 日々雑感、散策、旅行

 ご存じ、平安時代末期~鎌倉時代の僧で、浄土宗の宗祖です。

  法然上人は、平安の末、1133年4月7日(旧暦)、美作国久米(現在の岡山県久米郡)に
押領使・漆間時国(うるまのときくに)の長子として生まれました。 幼名を勢至丸
(せいしまる)といい、9歳の時に父親は夜討ちに会い死亡し、母方の伯父の僧侶に引き
取られますが、その才を認められ 比叡山で勉学に励むのです。18歳で「法然房」という
房号と、師匠の字をとって「源空」という諱(名前)を授かりました。 法然の僧として
の正式な名は「法然房源空」なんですね。

      法然房源空
        (ウイキペディアより)

 

 知恩院HPによれば、『浄土宗の総本山知恩院は、浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、
没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、
江戸時代以降だそうです。 徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々
からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。』とあります。

 伽藍は、いくたびか盛衰があったそうですが、多くの人々の支援によって乗り越え、
800年以上にわたる、念仏の教えがここに生き続けている・・とありました。

      知恩院(国宝)
       (ウイキペディアより)

 

 上人の時代は政権を争う内乱が相次ぎ、飢餓や疫病がはびこるとともに地震など天災
にも見舞われ、人々は不安と混乱の中にあったそうです。当時の仏教は学問をして経典を
理解し厳しい修行をし 自己の煩悩を取り除くことが「さとり」であるとした貴族のための
宗教で、不安におののく民衆にとって、仏教は無縁の状態にあったのです。
 法然上人は、そうした仏教に疑問もち「南無阿弥陀仏」と声高くただ一心に称えることで、
すべての人々が救われるという専修念仏(せんじゅねんぶつ)の道を開かれるのです。
上人43歳の春のことで、ここに浄土宗が開宗されたとあります。 
 いわゆる、民衆に開かれた大乗仏教(鎌倉仏教)のはしりなんですね。

 法然上人には、諡号の他、大師号が8つもあります。 『大師号は、500年遠忌の行なわ
れた正徳元年(1711年)以降、50年ごとに天皇より加謚され、平成23年(2011年)現在、
円光大師・東漸大師・慧成大師・弘覚大師・慈教大師・明照大師・和順大師・法爾大師で
ある』とあります。 最後の法爾大師は今上天皇の命によるのだそうです。 
 しかし、「大師」といえば、空海があまりにも有名で、空海のことを大師と呼ばれている
ほどで、ネットに、「大師は空海に取られ、太閤は秀吉に取られる」などとありました。

 

 また、上人が生まれた地(岡山県久米郡)には、1193年に熊谷法力房蓮生(熊谷直実)が、
師である法然上人の命を奉じ、旧邸を寺院に改めた今日の「浄土宗特別寺院 美作 誕生寺」
があります。
 こちらでは、珍しいことと思いますが、上人のご両親をお祭りする行事があり、今年は、
平成30年4月15日(日)に法然上人御両親御追恩会がおこなわれるとありました。 

     誕生寺 御影堂(重文)
       (ウイキペディアより)

 

 

 

 

 

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