どこかで聞いたような気がしますが、「断捨離(だんしゃり)」は、2010年の流行語にも
選ばれているのですね。
やましたひでこ(山下英子)という人が、そのころに出版した著書において発表された
『 不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想』なのだそうです。
「断捨離」は山下の登録商標だとありました。
(ネット画像より)(ダイヤモンド社)
ウイキペディアに、その概要がありました。
『 断捨離は、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの
行法である 断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し、
- 断:入ってくるいらない物を断つ。
- 捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
- 離:物への執着から離れる。
として不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷
からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。 ヨーガの
行法が元になっている為、単なる片付けとは一線を引く。』
とありますが、なんだか痛いところを突かれているみたいです。しかし、ちょっと深い
意味もあるような感じです。
受け売りばかりで恐縮ですが、著書の中の次のようなくだりが紹介されていました。
『日本では伝統的に「もったいない」という観念・考え方があるが(これはこれでひと
つの考え方・価値観ではあるが)、この考え方が行き過ぎると物を捨てることができなく
なり、やがてすでに使わなくなったモノ・将来も使うはずがないモノなどが家・部屋の中
に次第に増えてゆき、やがては自分が快適に居るための空間までが圧迫され、狭くなり、
また 人は膨大なモノを扱うのに日々 膨大な時間や気力を奪われるようになってしまい、
知らず知らずのうちに大きな重荷となっていて心身の健康を害するほどになってしまう。』
私もそうなのかもしれません。 ガラクタばかりがたくさん転がっています。狭いとこ
ろがますます狭くなっています。 若いころは、転勤が多く転居するたびに次の家に合う
家具に変えたり、荷物を減らすために、かなり大胆な整理を余儀なくされ“引っ越し貧乏”
などと冷やかされたりしたものですが、もう何年も一所に住んでいると、ガラクタはたまる
一方です。
・まだ使えるから、少しとっておこう
・箱や板切れなども時に重宝する
・ワイシャツ、スーツ、スラックス、ネクタイ・・などなど お世話になった身の回りの
物は、20年程前にキチンとして資源にだしたりしましたが、またまたたまっています。
とくに、最近ウエスト周りが急膨張ですから、着ることができないのに、まだきれい
だから、もしスリムになったら・・と捨てずに置いてあるのです。
・まだ履けるけれども履くことはない靴がごろごろしている。
・植木鉢や鉢皿、園芸関連の小物も、もう2年も使っていないものがかなりある。
思い切って断捨離を実践してみる必要がありそうです。
判断基準をもっとわかりやすくして、著者は、最近次のようなことを言っています。
『「今」の私にとって「不要・不適・不快」なモノを手放していくのです。その際、次の
3つの視点でモノを選び、手放す時は 知性・感性・感覚を総動員させます。
・不要なモノ…あれば便利だし、まだ使えるけれど、なくても困らないモノ
・不適なモノ…かつては大切だったけれど、今の自分には合わないモノ
・不快なモノ…長年使っているけれど、どこかで違和感や不快感を感じているモノ 』
また、自分と物との関係だけでなく、仕事と人間関係にも断捨離を実践することを
すすめる書物も出版されているとありました。
意味も内容も全く違いますが、“離”がついた3文字の言葉を思い出しました。
守破離です。
『守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の
一つ。日本においてこれらの文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなって
いる思想でもある。』とありました。
すなわち、師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まり、その後、研究
を重ねて、より良い型をつくり古い型を「破る」段階となり、最終的には師匠の型、さら
には自分自身の型から「離れ」て自在になる・・という成長過程をいうのです。
武道や家元制などには、新たな流派が生まれるのですね。