蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ツタンカーメンのえんどう  (bon)

2020-12-05 | 日々雑感、散策、旅行

 もう10年ほど前になりますが、園芸友の会会員の方から、ツタンカーメンのエ
ンドウ(種つまり豆)をいただいたことから始まりました。
 春5月頃には収穫して3回くらい豆ごはんなどで楽しめるのです。ベランダのプ
ランター栽培なので、ほんのわずかなのですが、毎年お楽しみになっています。

 これを毎年繰り返していると、このエンドウ本来の赤茶色の鞘から次第に普通
の緑っぽい色の鞘になってきましたので、昨年、アマゾンで種を買って、新しく
更新しました。 今年のは、その2代目ということです。

 鞘は赤茶色ですが、中の実は緑色で、豆ごはんにしてしばらく保温状態にして
おきますと、薄色した赤飯のようになり、豆もほくほくしておいしいです。

 先日、11/12に今年春に収穫した豆を巻きました。発芽はほぼ100%で、成長を
見計らって間引こうかと思います。以前は、ポット巻きして、春に移植していま
したが、今年は直播にしました。

      芽が出てきたツタンカーメンエンドウです。(12/4)
       

 

 来春、ヒヨドリ、ムクドリに若葉を食べられないようにネットで覆いますが、
寒い間は大丈夫です。

 丁度、練馬に住むpookyさんから、タマネギの苗20本(赤タマネギ、普通タマネ
ギ各10本、このほかバジル苗も)をいただきましたので、生協で使っている発泡
スチロールの箱にそれぞれ植えてみました。(バジルは別に)
 なんだか込み合って窮屈そうです。蓼科農園では、700本ほど植えていたのから
すれば、ほんの“お茶濁し?”みたいですが、自家製のタマネギというのも味わ
いがあります。

      タマネギ(12/4)
       

 ツタンカーメンはこれまでも当ブログ記事としてアップしていますが、2017年
の記事から抜粋して以下に再掲しました。(一部変更して)

 『ツタンカーメン(紀元前14世紀)とは、エジプトの再統一により勢力を拡大
し古代エジプト繁栄の礎を築いた第18王朝のファラオ(王)である。わずか18才
で没したと言われているこのファラオの王陵は、盗掘をまぬがれた数少ない王陵
の一つとして有名である。

 1922年イギリスの考古学者H・カーターが王家の谷で発見したこの王陵は、10
年を費やす徹底的な調査が行われた。非常に豪華で美しい副葬品がほぼ完全な形
で次々と発見された。 出土した数々の副葬品は現在、カイロの博物館に収蔵さ
れている。 中でも黄金のマスクをかぶり純金のミイラ形の棺に安置された王の
ミイラは良く知られている。

        ツタンカーメン王
        (ウイキペディアより)


 副葬品の中には当時のエジプト人の食卓に並んでいたと思われる物も発掘され
ており、このエンドウの種子もその内の一つである。カーターは、発見したその
種子を持ち帰り、育ててみることを思いついた。すると、播かれたエンドウは見
事発芽し、その栽培に成功したと言われている。また、カーターが栽培した種子
の一部はアメリカに渡り、栽培が続けられたという。


 我が国にこのエンドウが持ち込まれたのは昭和31年である。 茨域県水戸市の
大町武雄氏が、サクラやイチョウなど日本特産の種子をアメリカに送った返礼と
してⅤ.イレーヌ・ファシスワース婦人より、 いわれを書いた手紙とともに数粒
の種子を受け取った。 大町氏は、希望者に分け、その一部が昭和39年に日立市、
42年には千葉県八日市場市の小学校に送られた。 その後、水戸市長からは全国に
広めようと栽培が続けられた。』とありました。
 これでいえば、ざっと3000年以上前の種なんですね。 

 『古代の植物の種子が発芽したというのは、「大賀ハス」が有名ですね。大賀
ハスは弥生時代(約2000年前)の泥炭層から発見されたハスの実で、地層から
発見された3つのうち1つだけが発芽に成功したそうです。』 

 ネットには、このツタンカーメンえんどうが本当にそうなのか、疑問を持つ人
が結構いると見えて、いくつか記事が目に入りました。 その真偽の程はともか
く、はるか古代に思いを馳せたロマンをもつエンドウ豆に乾杯したいですね。

      昨年の4月、花の頃です
       

 

 

アイネ・クライネ・ナハトムジーク トン・コープマン

 

 

 

コメント (2)
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