一昨日の衆参両院で「桜を見る会」の前夜祭に関する前首相の答弁にはあきれるばかりです。
こんなつまらぬ話題を口にするのもうんざりですが、まったくお恥ずかしい限りです。首相が
選んだインフルエンサーを、ファンとしてしっかりと抱え込む意図で開催した会の費用が、
税金で補填されていたのに、国会で118回もの虚偽答弁を繰り返し、今になってそれが秘書の
作り話であったと、自らは知らぬことであったと謝罪した。当時の官房長官も「事実と異なる
答弁となったことは申し訳なくお詫びする。」 どちらの人も、シャアシャアとして、その姿
をさらしている。仲間うちでのやり取りは、丸見えなのに、全く恥ずかしい。立場の責任感は
どこにいってしまった? こんなのありですか~?
暮れも押し迫ってくる頃、あんぽ柿、干し柿は店頭に並び贈答品としても立派な
地位を占めているようです。 秋口から、「柿が赤くなると医者青くなり」の言葉
通り、おいしくて、栄養価も高い柿がならびます。
私は柿が好きで、とりわけ富有柿のかたくなく柔らかすぎない歯触りのが好きで
す。 ここでは、生の柿では無く「干し柿」について、“あんぽ柿”ってどうして
そう呼ぶの? に興味が湧いて、ちょっと調べてみました。
あんぽ柿
(ネット画像より)
福島県伊達市の五十沢村というところで大正年間に開発された干し柿のことを言
うとありました。 原料となる柿は主に、蜂屋柿(はちやがき)や平核無(ひらた
ねなし)などの渋柿を使用するそうです。蜂屋柿は大粒で柔らかく、平核無は小粒
で甘みが強いのが特徴だとありました。
で、あんぽ柿の名前の由来は、原料の蜂屋柿の皮を剥いて連(れん:柿を干すた
めの縄)に下げて天日で乾燥した干し柿を、江戸時代に天干し柿(あまぼしがき)と
呼んでいたたことから、「あんぽ柿」という名称になったと推察されているとあり
ました。当初は一般的な干し柿と同じように黒ずんだ色で、「黒あんぽ」と呼ばれ
ていたそうです。
大正の中頃、佐藤福蔵という人が米国カリフォルニアに行ったときに、干しぶどう
の乾燥に硫黄燻蒸を行っていることを知り、これをあんぽ柿に応用すべく研究を
進め、試行錯誤の末にようやく1922年(大正11年)に現在の硫黄燻蒸あんぽ柿が完
成し、翌年あんぽ柿の出荷を始めたとありました。
(ネット画像より)
渋柿を硫黄で燻蒸して乾燥させる独特の製法は、半分生のようなジューシーな食
感が特徴となり、硫黄は乾燥中に揮発して毒性はなくなるのだそうです。カリウム、
ビタミンなどの栄養素を豊富に含んでいるとあります。
もともと、この地方は、養蚕が盛んであったそうですが、生糸市場の衰退ととも
に養蚕に代わる新しい農産物の模索を始めた結果、あんぽ柿が誕生したそうです。
後にリンゴや桃の栽培にも力を入れて、現在の果樹中心の農業の基礎ができたそう
です。
五十沢の柿園
(ウイキペディアより)
柿には甘柿と渋柿があり、干し柿に用いられる柿は、可溶性のタンニン(カキタ
ンニン、シブオール)のためにそのまま食べられませんが、これを乾燥させると不
溶性に変わり渋が抜けて甘くなるのだそうです。
子供のころ、干す代わりに「米びつ」に埋め込んで渋抜きをした記憶があります。
甘柿よりも渋柿の方が甘みが強く、甘柿を干しても、干し柿ほど甘くはならないそ
うです。
渋柿の主な品種として、日本では、甲州百目、市田柿、紅柿、堂上蜂屋柿、三社
柿などが挙げられています。
吊るし柿 静岡
(ウイキペディアより)
日本での干し柿の存在は、平安時代に祭礼用の菓子としてあったことが確認でき
るそうで、甘柿の登場は鎌倉時代以降なので、干柿の歴史は甘柿よりも古いのだそ
うです。
柿といえば、奈良、和歌山、岐阜などを思い浮かべますが、干し柿では、市田柿
が超有名ですね。
お正月の,“おなます”などにも、干し柿を薄くスライスしたのが入っていたり
することがあります。
【アグリンの家】69 福島県・伊達市「あんぽ柿」
♫柿の実の詩 🎤山口ひろみ【オレンジ色の世界】