今日(2/3)は節分です。 節分とは雑節の一つで各季節の始まりの日の前日を指してい
ます。 すなわち、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことで、季節を分けることを意味し
ているのです。江戸時代以降は特に立春の前日を指す場合が多いとありました。
この時期はまだまだ寒いうえ、季節が移ろう時期は体調を崩しやすくちょっとした風邪
から大病につながったり、深刻な病をもたらすこともあることから、そんな病魔を、鬼
あるいは疫鬼として恐れたのでした。それを追い払うための悪霊払い行事が執り行われて
いました。中国の風習を由来とする平安時代の追儺(ついな)、鬼遣(おにやらい)と呼
ばれた宮中行事が元となっているようです。
(ネット画像より)
なぜ豆を撒くのか? 豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という
信仰とともに「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼
に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味なのだ
そうです。
浅草2020年の様子
(ネット画像より)
追儺(ついな=鬼やらい)が行われる理由について、手元にある『日本の年中行事』
(国民文化研究会、塩田勝編)に面白く書かれていましたので、コピペさせていただきま
した。
『室町時代の中期から、今日のように立春の前夜を節分として、柊の小枝に鰯の頭を指
したのを戸口にはさみ、豆を撒いて邪気を払うようになりました。これが一般家庭に入っ
たのは江戸時代になってからで、「福は内、鬼は外」と唱えるようになったのもその頃か
らです。
柊に鰯の頭を指すのは、平安朝のころ、聞鼻(かぐはな)という悪鬼が節分の晩に都へ
出てきて女や子供を取って食ったが、この鬼は鰯の匂いが大嫌いで、鰯のある家へは入ら
なかった。そこで、鬼よけに鰯を戸口におき、もしこれを取り除けようとすれば手に棘が
ささるよう、柊の葉をあしらったのです。
(ネット画像より)
また、豆まきは、宇多天皇(第五十九代)の御代(888~896)に鞍馬山の鬼が都へ出て
きたので困っていた。その時毘沙門様のお告げがあって、七人の博士が、七七四十九日の
間祈祷をして鬼の出てくる穴を封じて、三石三斗の豆を投げつけて追い払ったという伝説
からきています。なお、鬼払いの効力のある豆を年齢の数だけ食べるという習慣は後世で
付け足したものです。』とありました。
最近、テレビでは、4歳以下の子供が、この豆をのどに詰める事故が起こっているとのこ
とから、小さな子供には食べさてはいけない・・と注意していました。
また、「節分の夜に、恵方(今年は南南東)に向かって願い事を思い浮かべながら丸か
じり(丸かぶり)し、言葉を発せずに最後まで食べきると願い事がかなう」とされる風習
がありますが、20年くらい前から急に騒がしくなってきたように思いますが、誰かの発想
からそうなったのか、あるいは「鬼が逃げる時に、金棒を忘れていき、その金棒(のり巻き)
をかぶりついて食べてしまう」などと面白く作り上げたのかも?
(ネット画像より)
ヴィヴァルディ 「四季」より「春」 高音質 FULL