蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

「あさが来た」  (bon)

2023-04-28 | 日々雑感、散策、旅行

 NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『あさが来た』は、2015年度下期に放送され、
高視聴率を記録した番組です。 それが、最近、BS12チャネルで、毎月曜夜
7時から6話連続で再放送されています(全156話)。

 NHKでも見ていましたが、あるシーンをもう一度しっかりと観てみたいと
思っていたので、最初から録画をしていました。丁度、観たかったところが
103話あたりから始まってきていて、それから40話ほど続いて、その後に私の
見たかった日本最初の女子大学(放送では『日の出女子大学校』)が東京目白
台に開校するのです。 時、1901年4月なんですね。そしてさらに見たかったのは、
当初、大阪に設立するとの計画から、女子大学用地として、大阪「清水谷」の
地が購入されるところあたりからの詳細が確認したかったのです。

        広岡浅子
         (大同生命HPより)

 この辺りの下りは、「大同生命の源流 広岡浅子の生涯」に詳しく記述され
ていましたので、それで十分確認できるのですが、人気番組の「あさが来た」
でどのように扱われているかも興味があったのです。  結局、大阪の地
「清水谷」は購入されますが、放送ではその名前などは(当然)語られず、
寄付集めなどの苦労場面が映されて、その後大学校の用地は東京目白台にある
三井家の別荘跡地に決まるのです。

 この辺りまでの放送が、今週、4月24日(月)の6話(133~138話)であり、
来週5/1の放送はお休みで、次の5/8の放送(139~144話)、そして次々週で
完結の予定のようです。
 なので、「あさ」が、第1回卒業生を前に語る言葉の放送があるとすれば、
GW明けのお楽しみということなんですね。

                

 朝ドラのヒロイン、白岡あさのモデルは大阪を拠点に活動した実業家で教育
者の広岡浅子(1849~1919年)で、京都の豪商小石川三井家の四女に生まれ、
大阪の豪商加島屋に嫁ぎ才覚を表すのです。「幕末から大正の、日本人の女性
が表舞台に出ることがなかった時代に、企業経営者として、銀行、生命保険
会社、更には女子大学を日本で初めて作る女性起業家のパイオニアである」
とあります。

『大同生命の源流 広岡浅子の生涯:第3章日本女子大学校の設立』に詳しく
記載されていましたので、これらを参考に単純にまとめてみました。

      成瀬仁蔵
        (ウイキペディアより)

 教育者、成瀬仁蔵と出会ったのは、林業を営む実業家土倉正三郎の紹介で
あったが、成瀬は、浅子の加島銀行本店のすぐ近くの梅花女学校の校長であっ
た頃だった。浅子、46歳の頃でした。成瀬は、女子大学設立を提案するも浅子
は断りますが、成瀬が手渡した自身著書「女子教育」を読むにつれ、成瀬の
女子教育に対する思いを理解しその必要性に感銘を受けるのです。この「女
子教育」の要旨は、①女子を「人」として教育する ②女子を「婦人」として
教育する ③女子を「国民」として教育する であり、そして、女子大学校
設立のための具体的なビジョンが詳細に記されていたことも、経営者・浅子に
とっては大いに納得のいく内容であった とあります。

         女子教育
         (大同生命HPより)

 浅子は早速、日本初の女子大学校の設立に向けて、九州の炭鉱事業と掛け
持ちで、大学設立のため、土倉と浅子が多額の寄付を出し、更に苦労しながら
大阪の財界へ提案し寄付を募るのです。そしてこの活動は、大阪ばかりでなく
東京の政財界を巻き込む形で進展し、協力者:伊藤博文、大隈重信、渋沢栄一
ら名だたる人々の協力が得られるのです。

 賛同者は増え、大阪「清水谷」の地を2万4千円(現在価格1億2千万)で購入
するなど着々と準備が整い、大学校設立も目前と思われた時、「明治31年恐慌」
と呼ばれる経済大不況に見舞われるのです。大学校設立のための寄付金どころ
ではなくなってしまうのです。 特に大阪の打撃は大きかったようです。さら
には女子大学校設立に協力的だった政界の有力者たちも、明治31年という年は
第二次松方内閣、第三次伊藤内閣、第一次大隈内閣、第二次山県内閣と、一年
で四人が総理大臣を務めるという目まぐるしさで政局は混乱し、多くの政治家
は政党の結成や遊説で多忙を極め、女子大学校設立は二の次となってしまった
とあります。

 このように寄付金募集が滞り、女子大学校設立運動への批判も強く、さら
には後ろ盾となる政界の協力も望めない状況に陥るのです。

 東京は復興の機運が出てきた折、三井家の目白台の別荘土地(5千5百坪)が
浅子に委ねられたこともあり女子大学校は東京で設立することに決定された
のです。 既に購入済みの「清水谷」の地は、大阪府が買い上げ、当時の高等
女子教育の計画であった大阪府立第一高等女学校が同地に設立されたのです。

 1901年に、日本最初の女子大学「日本女子大学」は東京目白台にて開校し、
大阪府立第一高等女学校は、大阪府立清水谷高等女学校として開校するのです。

        日本女子大学校〈開校当時)
        (大同生命HPより)

 第1回卒業生に向かって浅子の述べた言葉が朝ドラでもあるかどうかわかり
ませんが、大同生命の記事には次のように述べられたとあります。

              

 『今一年で第一回卒業生の出る時が参ります。これについて世の中の人は
いかに立派な女子が出るかと大きな望みを持って待っておりますから、皆さん
が卒業後、社会にお立ちなさるについては、大きな忍耐と注意とをもってこの
学校の目的を達せなければなりません。もしも皆さんが失敗をなさったならば、
皆さん一人に止まらず、学校全体の失敗となり、学校全体の失敗は、日本女子
教育の失敗となり、日本女子教育の失敗は、国家の進歩発達に大いに関係を
及ぼします。言葉を換えて言えば、我国の興るか否かは、皆さんの双肩に担う
所の運命であります。実にあなた方の責任は重大です。

 このように申しますと、皆さんはどうすればよいかとお考えになるでしょう、
あるいは大事業を興すか、また何か華々しき事をして、我こそは女子大学校
の卒業生であることを示さなくてはいけないと、お考えになるかもしれません。
しかし、私は決してそういう意味で責任の重さをいうのではありません。

(中略)

 皆さんは学校を出てから妻となり、あるいは教育家となり、あるいはまた
何かの事業に従事される事もあるでしょう。あるいはまた下女となることも
あるでしょうが、それでよろしい。

 即ち私の望む所は、皆さんがその境遇に従い、高きも、卑しきも、尊きも、
賎しきも、満足して予め養成した犠牲的精神をもって自己を捨て、忠実に事を
なさることであります。言葉を換えて言えば、皆さんは色々の方面に別れ別れ
となって、その責任を全うすれば、それで社会のため、国家のため、また女性
のために尽くす事が出来るのであります。』

 凄い人だったんですね。

 

 

 

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コメント (2)
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