昨夜は遅かったけれども、早朝のテレビを観戦しました。ラグビーW杯、サモア戦です。
先制トライから始終リードを保ちながらも接戦を28ー22で勝利しました。
昨日から福井に来ています。三究会の久しぶりのリアル集会が当地でありました。
お昼を山友と一緒にとり、それから行動を共にして楽しい夜が明けました。
今日のブログは、福井のホテルからアップしています。 先ほど、朝風呂から戻り
昨夜のアルコールも抜けてスッキリとした気分で、小高い山の上から見る窓の外
の景色はうっすらとガスっています。
今日は「中秋の名月」です。中秋の名月が満月となるのは、3年連続で、今夜
6:58頃満月だとありますので、お月さまは、満月の姿でお出ましになります・・。
来年は、満月ではなく、次に満月の中秋の名月となるのは 7年後だそうです。
今夜、晴れることを願いながら、月の出を待つことにしましょう。
(ネット画像より)
手元の会報には、渡部潤一氏(国立天文台上席教授)の連載記事『中秋の名月』
があります。それには、秋の月が輝いて見えるのには2つの理由があるとあります。
『一つは気象学的な理由で、大気中の水蒸気が真夏より少なく、大気の透明度が
良くなるから。もう一つは天文学的な理由で、北半球の中緯度から見ると、秋に
なるにしたがって月の通り道(白道)がどんどん北寄りに高くなり、満月が地平線
から高くなることから、大気の影響を受けず空高く煌々と輝くのである。』と。
先日の、チコちゃんのテレビでも、秋の空は高くなる‥お話が出ていましたね。
こちらは、大気の水蒸気が少なくなり、雲が高くなる‥というのがメインの理由
だったようでした。
拙ブログにも中秋の名月や十三夜について、何度か記事アップしていますので、
極力内容がダブらないように心がけていますが、「中秋の名月」を眺めた人は旧暦
の9月13日のお月さまを見る習わしがありました。こちらの月を「十三夜」と呼ん
で、歌にもありますね。
(ネット画像より)
蓼科農園の大収穫祭の夜、ファイアーストームを囲み仲間で歌っている時、丁度
「十三夜」の煌々と輝く月と一緒だったことがありました。 ところで、なぜ、
旧暦の9月に見る月も15日にせずに13日にしたのでしょうか?
会報記事の渡部氏によれば、徒然草に『八月十五日、九月十三日は婁縮(ろう
しゅく=現在の牡羊座)なり・・とあり』どちらの夜の月も同じ星座に来るという
のが主な理由かもしれない と。 また現実的には、一月遅れればそれだけ気温
も低くなり、十五夜の月の出まで待っていられなくなったということもあるかも
しれない。
日本人はどれだけ月を愛でてきたのだろう。日本は星の文化ではなく月の文化
だともあります。星座を作り出した中東やエジプトなど砂漠地帯の人々は季節や
方位を知るために星を頼りにしなければならなかった。しかし、日本ではどちらも
星に頼る必要はなく、全国共通の星文化は生まれなかった。その代わりに月を愛
でる豊かな文化が芽生えたと考えられていました。
十五夜や十三夜だけではなく、十六夜、立待月、居待月、十九日は寝待月または
臥待月・・などと月の出を待つ言葉があり、十五夜が雨で見えない時でさえ「雨月」
や「無月」と呼んだようです。
江戸時代には、月の出を待つ習慣が庶民の間にも広まった、いわゆる「月待信仰」
と呼ばれる風習があったそうです。中でも人気があったのは、旧暦十一月二十三日
や二十六日に行われた二十三夜待、二十六夜待であったそうです。 この月齢の
月の出は深夜1時過ぎから3時頃とかなり遅いので、次第に月の出を待つ間、飲めや
歌えのオールナイトの宴会へと姿を変えていったとあります。
これらはいささか流れが変わってしまった例ですが、日本には月に関する諺や
俳句など多くあり、「竹取物語」は、さしづめ世界初の月をモチーフとしたSF小説
といえるかもしれない・・などと結ばれています。
(国立天文台HPより)
夜空に輝く月はいつも同じ顔を見せながら、満ち欠けの変化を繰り返し、見る
人の心情にも呼応したり、何かを語りかけたりと観る人を大きなロマンの世界に
誘ってくれるのです。今宵は一つ静かに月を眺めてみましょう。
そして、今年の十三夜は、10月29日ですね。
ムーンライト・セレナーデ Moonlight Serenade グレン・ミラー