蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

心内辞書  (bon)

2016-03-07 | 日々雑感、散策、旅行

 私たちは、日常、ほぼ無意識のうちに、言葉を話し、聴き、読んだり、書いたり、聴いた言葉を繰り返す
などをしています。もちろん、熟慮の上での発言や、注意を払って聴く場合などもありますが、いまここで、
問題としているのは、言葉というものが、どのように認識され、理解して、行動に移すなどの行為に結びついて
いるか?という、言語学的な側面から、その構造みたいなものを捕えてみたいと思いました。

 心の中の辞書というか、脳の中でどのようにして、これらの言語行為がなされているか、ネットによれば、
“話す,聴く,読む,書く,聴いた言葉を繰り返す,などは言語運用とよばれ,それらの活動のすべてに
司令を出しているのが母語についての言語知識(または言語能力)と考えられていて、さらに、その言語知識は、
心内辞書(レキシコン)と計算システム(言語の演算)からなる。” と述べられています。

 つまり、脳の中に ある種の辞書があり、それに基づいて いろいろと変化させたり編集したりして、
言葉を理解したり発声したりしているというのです。 また、幼児が短期間のうちにいろんな言葉を覚え、
言葉の“音”からその意味を理解し、あるいは自らの意志に基づく言葉を発するメカニズムはどのように
なっているか? そこで、この辞書(心内辞書)について、その構造などについて調べてみたくなったのです。

  心内辞書は、「印刷された辞書や電子辞書と意味を解釈する点では似ているが、検索の方法はまったく
違うそうで、音声を聞いて意味を解釈するプロセスは、音素を次々に照合して絞り込んで一意に特定する
のではなく、聞いた音の特徴から意味を類推し、同時に自分が予測した意味と合致させるというプロセス」
なのだそうです。 したがって、音が全て聞き取れなくても音の一部の特徴だけで解釈可能な優れた辞書と
いえますが、実際にはどのような記憶の形として保存されているかなどは、まだ解明されていないそうです。  
この心の中の辞書は、高校を卒業する頃で、母語の場合に数万語以上が理解できる状態に達していると
いわれているようです。この辞書は、英語ではMental Lexiconと呼ばれています。

        心内辞書
          (アマゾンHPより)

 

 最近の、言語学者 由本(ゆもと)陽子氏(阪大大学院教授・文博)の記事に、おもしろい例がいくつも
紹介され、この難題が比較的分かりやすく説明されていて、我々が通常、文(言葉)における文法という
文型や規則原則があるように、言語そのものにも文法のようなものがあって、これによって言語知識や
言語使用が支配されている、そのような体系であるといっています。これを「生成文法」というのだそうですが、
これは普遍的な原理体系であるとされています。 幼児が、短期間に言葉を操ることが出来るのはこのため
なのだそうです。

 たとえば、実例で、6歳の幼児の会話で、「野球は、ピッチャーとキャッチャーとバッチャーがいるんだよ」 
これは間違った認識に基づく応用ですが、幼児がこれらの単語が2つの要素からなる事を理解し、さらに
人を著す接尾語だと認識していることが示されているのだと。 このことは、幼児の 心内辞書ににある
「語の文法」に従った結果であると指摘されています。 また、大人の世界でも、誤った語形成は見られ、
“酎ハイ、ウーロンハイ、コークハイ”がそうだと・・。 酎ハイは、ハイボールのウイスキーまたは
ジンの代わりに焼酎をソーダで割った飲料のことをさすが、ウーロンハイなどになれば、もはやハイボールとは
全く関係しなくなっているのです。“ハイ”の元の意味は完全に失われてしまい、カクテルの一種として
新たな接尾語として使われたことになると分析されています。

 また、心内辞書の中では、語彙情報を基に、単語を組み合わせて、さらに新しい言葉(単語)を創り出して
いるとも指摘しています。 例えば、動詞。 動詞は述語ですが、多くの場合単独では機能を果たさず、
対象や着点などを必要とする。 つまり、「壊す」では、何をという対象が必要だし、「与える」では、
何を誰にという具合に対象と着点が必要となる。これらの要求される対象や着点を“述語の項構造” と呼ばれ、
このうち、“対象”などはその動詞に最も密接な「直接内項」とされ、名詞+動詞の組み合わせで具体物を表す
複合名詞が構成されています。例えば、「爪切り」、「ねじ回し」、「音頭取り」、「火消し」などが
あげられます。「爆買い」、「山積み」、「上乗せ」などは、状況を示す複合名詞でしょうか。

 しかし、動詞がもう一つの項(着点=場所)を必要とするような場合は、そのことを付加しなければ
意図する意味は表せないとしています。「石切り」が採石場を表す場合は、「石切り場」、「魚釣り」で
釣り場を示す時は「魚釣り場」、「酒飲み」では、「一杯飲み屋」などの例が示されています。

 何気なく使っている、言葉も言語学の分析によれば、いろいろと原理的なことが判明して、どうして
そうなるのか? などがほんのちょっと理解できた気がしますが、まだまだ、生煮えの域が出ず、もっと奥が
深いとしりつつ、なかなか踏み込めないでいます。 人工知能を構成したりする時には、これまでの
シソーラスだけでは不十分で、このような心内辞書や生成文法を紐解く必要があるのでしょうね。

 生煮えで申し訳ありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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