ちょうど、5年が経ちました。
今月に入って、番組などにも特集が頻繁に組まれて、今なお未曾有の大震災の爪痕が多くの人々に、
広い範囲にわたって生々しく残されているのです。現時点でまだ、2561人もの方々が、行方不明だそうです。
大震災直後の、死者・行方不明は18,456人と報じられ、内65歳以上が1万人、90%が水死だそうです。
阪神・淡路大震災の死者は、80%以上が圧死であったそうですから、津波の恐ろしさがまざまざと伺えます。
家屋などの建築物倒壊など40万戸、避難者40万人以上で、昨年末でもまだ18万2000人の人が
避難されているという。 仮設住宅の不自由な生活とともに、復興住宅に移住された人々も65才以上の
高齢者が38%にも及ぶ、仕事を奪われてしまった人々などなど、あれから一転して、命を取り留めた人々も、
日常の不安な生活、精神的にも落ち着かない、先が見えないで苦しむ人々が多くおられるのですね。
3.11は、地震・津波の被害だけでなく、これの原因による原発災害が大きな問題として残されていて、
今まだ原因の調査すら十分進んでいないといい、汚染水漏えい問題も、対処療法を繰り返すのみで、
風評被害も未だに残り、大きな、未経験の災害がまだ残されたままですね。 避難者もバラバラに離散した
家族も多く、いつ戻れるとも知れない希望の無い毎日を送られているのです。
復興庁HPから、公共インフラ復旧・復興状況(H28.2.29)を見ますと、
・災害公営住宅 49%
・復興まちづくり(民間住宅等宅地) 32%
・農地復旧 74%
・漁港復旧 73%
で、丸5年経った現在の数字ですから、遅々として進んでいないのですね。まぁ、難しい問題があるのでしょうが・・。
奇跡の松
(ネット朝日新聞より)
こんな風に、思い起こしているうちに、あの日に出会った私の状況が想い出されてきます。たまたま、
埼玉北部に用事で出かけていて、数人がテーブルを囲んで話し合っている時、ガタガタ・・と来たのでした。
ただならぬ、地震の大きさに、身を固くして、取りあえず最寄りのJR駅まで歩きましたが、列車は運休のまま
3時間ほど、頻繁に起こる余震に次第に不安が募ってくるのを感じていました。やっと家に連絡が通じた以外、
情報入手が無いまま、日暮れ近く、最寄りの小学校体育館で一夜を過ごしたのでした。寒い日でした。
うす暗い体育館でじっとしているとき、大阪の友人から安否のメールをいただいて ひと時 我に返ったような
感じがしました。
私自身は、単なる帰宅困難者の一人に過ぎませんが、この時の様子を、翌日のブログに記事アップしました。
ブログでは、3月末までに、14件の記事掲載のうち、12件が震災関連で、内、原発関連が7件ありました。
昨日の新聞では、高浜原発3,4号機の停止仮処分が決定したとあり、即刻原発停止処理が行われることと
なりましたが、その理由は、原子力規制委員会の新規制基準を満たす、関電の説明が不十分だというのが
主な点ですが、未だ、福島原発事故原因が明確となっていないことに対する、新規制基準の策定の信ぴょう性を
問いただしているとする見方から、読売の社説などは、裁判所自らが原発の安全を審査するのか・・とした、
不合理な決定と断じています。政府も、原子力規制委員会の判断を尊重して、再稼働方針に変わりなし・・と
事務的なコメントを出しています。 まあ、判断は、それぞれ専門機関で策定したものに従うとの原則は、
その通りですが、その核心は、未だ判明しない部分を内在したままの基準を、あたかも、ガラス細工で出来た
球が、壊れないように大事に触れないままそっとしているかのごとき様相が伺えて相がありません。
福島の苦しみは、また別のこととして、原発を完全に止めることが出来ないために、“原発は安価、安全”を
何度も上塗りをして事業者保護の側にあるのですね。それにしても、福島の原因をキチット解明し、対策も
切り張りでなく抜本的改善策が構築され、さらに使用済み核燃料の始末を明確にしてからの議論であるように
思えるのですが・・。
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