差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

櫨紅葉

2017年09月10日 | 日記

 秋の訪れをいち早く知らせる植物の一つにハゼの紅葉がある。櫨紅葉(はぜもみじ)は秋の季語ともなっている。その櫨、鉢植えにして愉しんでいる兄の庭で早くも紅葉しているのでアップする。自然界ではまだであろうが、鉢植えの為であろう。

 ♪、、むかしのむかしのかざみのとりの

    ぼやけたとさかにはぜのはひとつ

    はぜのはあかくていりひいろ

    ちいさいあき ちいさいあき

    ちいさいあきみつけた

{語り部}

徴兵された家庭は、人手が足りない。子供たちが働き手である。学校でもそうした家庭に、今でいう特別活動としてあろうかお手伝いとして行かされた。今でも思い出すのは、田圃に積んだ藁混じりの馬糞を散らすことである。それも素手で、、、。昼食に出るご馳走も愉しみのひとつであった。

 


柘榴の実

2017年09月09日 | 日記

  このところ不順な天候が続いてきたが、ようやく回復し秋らしい空を見せるようになった。暑い最中きれいな花をつけていたお隣の柘榴、いつしか実となり紺碧の空をバックに色づき始めている。秋らしい快晴の日々が続いて欲しいものである。

{語り部}

 戦中・戦後の混乱期、疎開してきた人々で複式学級だった学校も児童数が130人ほどに急増したことがあった。学用品も不足し偶に届くノートなどもくじ引きで配る有様であった。籤運が弱く悔しい想いを何度したことか。その母校も、数年前廃校となってしまった。当時を知る者にとっては夢のような話である。


お気に入り

2017年09月08日 | 日記

 小振りで可憐な花を咲かせる朝顔、ようやく咲いてくれたのでアップする。と言うのは一緒に蒔いた朝顔は、とうに咲いたのになかなか発芽しない。それが彼らの生理にあっているのかもしれないが、あまりに遅いので諦めかけていたのである。

 朝顔の季語は秋というのは、この種のためにあるような気がする。飾り気のない原種に近いこの朝顔、お気に入りの一つである。弦も元気だし、次々と咲いてくれそうだ。

{語り部}

戦況がおもわしくなくなると、親せき縁者を頼って疎開する人々が、一寒村にも来るようになった。彼らは生活の基盤がない。困窮するする人々も少なくない。配給を受け取りに来る人の中には、栄養失調(この頃よく使われた言葉)となり異様にお腹が膨らんだ方もいた。間もなく亡くなったとの噂を聞く、、、。

 


体調管理

2017年09月07日 | 日記

  このところスッキリしない日が続くが、秋涼のスカッとした快晴の朝を迎えたいものである。

 ところで、季節の変わり目はややもすると体調を崩すことが多いという。高齢者は特に体調の管理が難しいという。他人ごとではない留意していこう。

{語り部}

 実家は、精米所を営んでいた関係か戦後コメの配給所も兼ねていた。米穀通帳を持っている人に配給するのである。しかし、食糧難の時代、米が必ず届くことはなかった。それを補うために代用食としていろいろなものが届くのである。サツマイモなどは上等で、トウモロコシの粉や杏子の干したもの米軍の払い下げ物などである。特に驚いたのは、一斗缶に入った真っ赤なケチャップである。それをどう分けたか定かではないが、初めて見るあの赤い毒々しい色(当時はそう見えた)が印象に残っている。


咲いてくれた!

2017年09月06日 | 日記

 フヨウ再び咲かせようと切り戻しを初めて試みたところ、小振りであるが昨日咲いてくれた。7分ぐらいの大きさであるが、、、。しかも涼しくなったせいか夕刻まで萎えることなく開いていてくれた。蕾も5つほどつけているので暫らく愉しめそうだ。 キキョウの方の切り戻しは、まだ蕾がつかない。咲いてくれるのは、晩秋の頃か。

{語り部}

自動車が木炭や切り刻んだ木片で走る時があったということを知る人は少なくなった。敗戦の前後の話である。ABCD包囲網で石油不足となり代替として木炭自動車等が走るようになったのである。乗合自動車(バス)も商用車(タクシー)も後ろにタンク(ガス発生装置)を積み走っていた。

 タクシーなどは、ガスを発生させるため(不完全燃焼させて)苦労したという。実家の発動機も木炭で動かしていた。馬力が落ちるとタンクに水を差し(そういう装置がついていた)不完全燃焼を促進していたことを覚えている。精米所を営んでいたので発動機は籾摺りなどに使っていた。今石油封鎖が、、、、。


小さな花だけど、、

2017年09月05日 | 日記

 日中はともかく朝夕の気温は、めっきり低くなってきた。園芸店では早くも初秋の装いを彩る草花並べ始めている。今朝盆栽たちのパトロールをしていると、サツキ鶴翁の鉢にビオラのこぼれ種あったらしく2輪咲いているのを発見!わが庭にも、秋の訪れを感じた一時であった。これからも衰え始めた五感に働きかけ、秋の訪れを愉しもう。

 昨日のサロンでは、おれおれ詐欺の電話があったことが報告された。一向に減らないサギ犯罪、実体験者の話は注意を喚起し防犯意識を高める良い機会となる。語り合うことの大切さを、、、。


フリーマーケット

2017年09月04日 | 日記

 娘たちが、フリーマーケットをするというので孫の相手がてら覗いてみた。日常的に使うものや骨とう品など多彩に陳列されていた。プロは別にして多くは売り手も買い手も素人集団、その駆け引きを聞いていると笑いがこぼれる。廃品として捨てるよりも、こうして再利用されることは良いことである。

{語り部}

 鉄道文明から車社会となり、世の変化が激しい。嘗て小さな駅でも駅員さんが7,8人いたものである。子供の頃利用していた駅、今は無人となり賑わっていた駅前も寂びれて、歯が欠けたようにまばらとなってしまった。利用者が少なく2両編成の気動車となり、長いプラットホームも半分以上が雑草が茂っている有様である。ホームに佇み往時の賑わいを偲ぶのみである。

 もっとも変化の激しい時代を生きてきたように思うのだが、人の一生で世の変化を如何ほど見届けられるものであろうか、、、。


台風一過

2017年09月03日 | 日記

 今日も素晴らしい快晴の朝を迎える。これも台風の置き土産か。天候不順の日々が続いたので安定してもらいたいものである。昨日のウォーキングは、多摩湖周辺を歩いた。久しぶりにスカイツリーの方面を遠望することが出来たので撮ってみた。老人力が順調についてきて幽かにしか見えなかったが、撮ったものを花子フォトタッチで拡大してみるとよく映っているのでアップしてみた。

 {語り部}

「しょうこんゆ」と書き、変換してみると「松根油」とは出ない。生産していたころ真っ先に出たであろうに今や死語となっている。

 今話題になっている「石油禁輸」をされた我が国は、戦争遂行するため代用品として松の根を蒸し油を抽出したもの(松根油)を考えたわけである。田舎でも炭窯のようなものを造り生産していた。松の根を勤労動員で掘らされた人々の苦労話を今でも思い出す。実際は使われなかったという。戦争というものはなんと無駄ことが多いことか、、、、。


孵化した金魚の模様

2017年09月02日 | 日記

  大型台風予報通り逸れて大過なく去って行きそうである。お土産としての昨夜の激しい雨は、池の水を入れ替えてくれて綺麗にしてくれた。

 そのため、この春孵化した金魚たちのコントラストな色彩を纏い始めた姿を愛でることが出来た。 掛け合わせた親のような模様がなかなか出ないものである。中には先祖がえりかフナのようなものもいる。これからも変化がみられるかも知れない。暫らくしてアップしよう。

         午前中に萎えてしまうツユクサ 花言葉は「懐かしい関係」だという

{語り部}

 信じられないかもしれないが、戦後の混乱期では汽車が急こう配の路線にさしかかると速度を落とし、止まること度々であった。「石炭の質が悪いから」「機関士の未熟さやサボタージュしているから」とかいろいろ噂をしていたが今となっては知る由もない。

一方進駐軍(占領軍)の乗っている列車は立派でそんなことはなかったらしい。子供心に屈辱感を味わったものである。


朝顔の季節

2017年09月01日 | 日記

 今朝は、肌寒さを感じる中で目覚める。温度計を見ると20度をきりそうであった。春先ならば暖かさを覚えるような陽気であろうが、酷暑の夏に慣れた体には真逆にとらえられるるから妙である。老人力を着実につけて来ている身にとっては体調管理に一層気を付けなければならない、、、。

 裏庭の垣根に這わせた朝顔列をなして咲いているのでアップしてみた。俳句の世界では、秋の季語ということだが、今頃咲くのはすぐに萎えることない。長持ちするのがいい。

 朝顔に つるべとられて もらい水  (千代女)

好きな俳句の一つである。子供の頃、実家は釣瓶井戸であったので実感がありそう思うのかもしれない。