世田谷区北烏山2丁目、4丁目、5丁目及び6丁目にかけて26ヶ寺院が建ち並ぶ「世田谷の小京都」と呼ばれている「烏山寺町」はある。関東大震災後の大正12年(1923)に浅草、築地、本所、荒川などにあった寺院が漸次移転によって形成(成立)した。寺町掲示板の一番となっているのが、本山は身延山久遠寺で山形藩主水野家の菩提寺である日蓮宗寺院「玄立山妙高寺」である。創建は寛永2年(1625)。首玄院日立上人が寛永2年(1625)浅草今戸に開山の後、水野忠邦を含めた幕府の名門、水野家の帰依を受けて江戸浅草に4千坪の地を寄附せられ堂塔が出来上がった。本尊は釈迦如来像。震災後、昭和2年(1926)に烏山へ移転した。妙高寺は千歳烏山駅から「烏山寺町」に入る中央高速前の一番手にある寺で「山門」を抜けると正面に「本堂」、右に「庫裏」と「書院」(旧有栖川宮邸の書斎を移築)がある。墓所には尊皇の先覚者藤井右門、日本画家「速水御舟」、今村紫紅、小村雪岱、金工の後藤家、漆芸家「川之辺一朝」、水野家代々の墓、水野忠精、忠弘の墓がある。(1702)








