世田谷区北烏山2丁目、4丁目、5丁目及び6丁目にかけて26ヶ寺院が建ち並ぶ「世田谷の小京都」と呼ばれている「烏山寺町」はある。関東大震災後の大正12年(1923)に浅草、築地、本所、荒川などにあった寺院が漸次移転によって形成(成立)した。寺町掲示板の一番となっているのが、本山は身延山久遠寺で山形藩主水野家の菩提寺である日蓮宗寺院「玄立山妙高寺」である。創建は寛永2年(1625)。首玄院日立上人が寛永2年(1625)浅草今戸に開山の後、水野忠邦を含めた幕府の名門、水野家の帰依を受けて江戸浅草に4千坪の地を寄附せられ堂塔が出来上がった。本尊は釈迦如来像。震災後、昭和2年(1926)に烏山へ移転した。妙高寺は千歳烏山駅から「烏山寺町」に入る中央高速前の一番手にある寺で「山門」を抜けると正面に「本堂」、右に「庫裏」と「書院」(旧有栖川宮邸の書斎を移築)がある。墓所には尊皇の先覚者藤井右門、日本画家「速水御舟」、今村紫紅、小村雪岱、金工の後藤家、漆芸家「川之辺一朝」、水野家代々の墓、水野忠精、忠弘の墓がある。(1702)
府中市南町に敷地面積13haの中に色んな施設建物や公園があり、それこそ「森」全体が野外博物館となっている「府中郷土の森公園」はある。園内は四季の花が咲き乱れ、水辺や池に休息にやってくる多くの鳥をウォッチングもできる。おりしも「郷土の森公園」の「梅園」では2/4から「梅まつり」が開催されており梅の花、春の香りに誘われ多くの観梅客で賑っていた。梅園には60種、1100本の梅が植栽されている。今年は例年に比し開花が早いようであるが梅園全体の見ごろは2月末ということ。園内梅は全体的には3割から4割ほど開花ているようで、訪問した日は咲きだしたばかりのもの、すでに満開になったもの、まだ蕾のものとまちまちだが園内全体が紅白に染めあげられ、甘酸っぱい香りが充満していた。園内がまさしく濃淡豊かな郷土の森の梅で色づき彩られる季節を迎えはじめている。梅は百花に先駆けて咲く花、今週雪か雨の予報で開花が止まりそうであるが暖かい日が何日か続くと一斉に開花するという気温に敏感な花、咲き始めから散り際まで「旬の美しさ」を存分に堪能したいものである。(1702)