相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

からすやま寺町の寺院「金剛山多聞院悲願寺」

2017-02-21 18:25:36 | 寺院
からすやま寺町通りに入る手前に真言宗豊山派寺院「金剛山多聞院悲願寺」はある。創建は寛永5年(1628)。本尊は地蔵菩薩。当初は新宿駅から程近い甲州街道に面した新宿角筈村が創建地である。昭和20年太平洋戦争の戦火により本堂他すべてを焼失した。戦後24年に東京都による新宿駅周辺の区画整理事業の要請を受けたため昭和29年に本堂庫裡を再建し昭和30年現在の烏山寺町に移転した。境内には天保八年の僅か一年間に大飢餓による落命者568人の「無縁墓」(高さ3m)がある。約400年の寺暦を有する当寺は「御府内八十八ヶ所霊場3番札所」、「玉川八十八ヶ所霊場44番札所」でもある。(1701)








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相模国延喜式13社の一つの古社「寒田神社」

2017-02-21 11:46:50 | 神社
足柄上郡松田町松田惣領に平安時代中期の「延喜式神名帳」に記された相模国「延喜式13社の一つ」に列せられる松田の守り神・古社「寒田神社」は酒匂川の左岸台地上に鎮座する。創建は仁徳天皇3年(315)。主祭神は倭建命、弟橘比売命、菅原道真公、誉田別命。御神宝として弥生時代後期の白木の椀大小一組がある。1626年(寛永3年)には徳川家光より150石朱印地を寄進されている。しかし1656年(承応3年)酒匂川の氾濫により社殿等流出した。1868年(慶応4年)に再建され、1874年(明治7年)に郷社、1941年(昭和16年)には県社に列せられた。謂れでは日本武尊が東征の際に立ち寄ったという伝説もある。境内には樹齢数百年以上の古木が残り、諸願成就の篤い信仰は今日に継承されている。嘗ては「相模田神社」、「佐武多神社」、「佐牟太神社」等と称した。延喜式神名帳には「相模國足上郡 寒田神社 小」として記載されている。江戸時代には「寒田神社神田大明神」とも称した。御殿場線をわたり酒匂川方向に進むと松田小学校の奥にある。鳥居を抜けると正面に「拝殿」奥に「本殿」という形式の「社殿」、右に「神楽殿」、左手に「参集殿」と「社務所」がある。境内には「寒田稲荷社」、「祖霊社」「神明社」(天照皇大神)、「天神社」(国常立尊)、「熊野社」(伊佐那岐命)と 「小祠」が祀られ、他に「明治二十七八年之戦役陣兦軍人之碑」、「忠魂碑」、倭武尊の「腰掛石」が各所に建てられている。(1702)




















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