相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

旧陸軍士官学校があった「富士山公園」

2017-02-23 15:02:03 | 公園・庭園
座間市入谷にキャンプ座間の東側に小さな公園「富士山公園」はある。公園の前には道路を挟んで対面には昨年出来た「座間総合病院」がある。公園門より園内に入る入口に平和祈願の小さな子供像が迎えてくれる。ここよりやや急こう配の坂となり左手に遊具が設置されている。大きい木の上部をL字型に加工した椅子二つ、その奥に東屋が設置されている。園内は鬱蒼とした木々のそよぐ音とのみで静そのものである。冨士山の名がつくがどの地点からも富士山は見ることができない。ここはかって昭和12年(1937)東京からこの地に「旧陸軍士官学校」が移転。その名残の南地区「遙拝所方位盤」がある。生徒らは毎朝、点呼後に雄健神社に参拝し続いて遙に赴き宮城(皇居)・明治神宮・伊勢神宮及び各自の原隊や故郷に向かって遙拝が日課であった。この方位盤はその遙拝するための方位と国内外・朝鮮半島・中国東北部の主要都市の方位を矢印によって表示したもので校内では最も重要なものであった。(1702)






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座間の古刹「来迎山宗仲寺」の河津桜と紅梅の競演

2017-02-23 10:07:43 | 寺院
座間市座間に座間の古刹とされる浄土宗寺院「来迎山宗仲寺」はある。平安期には当寺の前身「良真院」として鎌倉期に修業場が置かれた跡地といわれている。当寺は高遠藩初代・内藤修理亮清成が実父の「武田宗仲」の菩提を弔う為、慶長8年(1603)に創建。本尊は阿弥陀如来。徳川家康公が鷹狩り時に立ち寄ったとされ、元和3年(1617年)家康公の霊柩が久能山から日光へ遷御される際に一行がこの場所にて休息をとった。慶安2年(1649)寺領7石4斗の拝領、下馬札を賜っており、山門右手に家は康公お手植えの「大樹イチョウ」がある。また境内には最近完成した「月影の泉」がありその中央には「大燈籠」が屹立し夜になると本堂と燈籠の灯りが池に映し出され「幽玄な世界」が広がる。山門を抜けると左手奥に「本堂」、本堂左手に「鐘楼」、「水子観音堂」、「清浄殿」がある。山門を入ると今が旬の3本の「河津桜」が満開を迎えていた。また「清浄殿」を抜けた墓域には「内藤代々の墓」、その奥に「三体の女性像」、「河津桜」と「紅梅」各5本、しだれ「白梅」が1本が甘い香を漂わせ見事な競演を魅せている「彫刻の広場」がある。(1702)












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