相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

250基の大規模な「相良家墓所」

2017-11-23 16:31:33 | 墓所・廟所
人吉市願成寺町、相良家の菩提寺「伝法山願成寺」の裏に「相良家の墓地」=初代から37代までの歴代城主等を埋葬=がある。相良氏は藤原鎌足の子孫とされ平安時代の終期には遠江国「相良荘」の地頭をしていた武家である。建久4年(1193)、相良頼景は肥後国球磨郡多良木村に下向し、同9年にその第一子「長頼」が同郡の人吉荘に下向、元久2年(1205)に人吉荘の地頭に任命されている。戦国の世を乗り切り「豊臣秀吉」、「徳川家」からも所領を安堵され明治維新まで命脈を保った。以来700年、人吉球磨は鎌倉初期から江戸時代の終わりまで相良氏の治世下にあり、長きに亘って所領を守り抜いた全国的には稀有な大名である。墓地の構成は相良家初代当主「相良長頼」から37代「相良頼綱」に至る歴代当主、妻、親族の約250基ほどが配されている。入口正面にひと際大きな角柱墓(塔)が相良家初代当主「相良長頼の墓」である。右わきの石段を上っていくと「第1墓所」から「第5墓所」に分けて配置され、優れた構成を見せる。第1墓所には2代から19代迄、主に中世に生きた城主の墓である。石塔は三基の宝篋印塔と三基の近代式角柱塔を除き、他は「五輪塔」形式である。戦国時代以前は小型であるが、江戸時代以降に建立された石塔は規模も大きく墓前の石塔籠が配置されている。中に石田三成の供養墓もある。一族が一ヶ所にこれだけ集められていることは他に類を見ない規模の墓所(墓域)である。(1711)










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人吉城主「相良家氏寺&菩堤寺」の「伝法山願成寺」

2017-11-23 08:50:16 | 寺院
人吉市願成寺町に 真言宗大覚寺派寺院で相良家の菩堤寺「伝法山願成寺」はある。鎌倉時代の天福元年(1233)人吉城主初代相良三郎藤原長頼公が創建。文禄元年(1593)、寺録を300石を有し慶長16年(1611)後陽成天皇の勅願所となり、塔頭6院を擁し諸堂伽藍が建並ぶ大寺院でとして寺勢も隆盛を極めた。しかし永録15年(1572)、西南戦争により古の諸堂伽藍は悉く焼失、その後大正11年に再建今に至る。本尊は国指定要文化財の阿弥陀如来坐像。また寺宝として県指定重要文化財の不動明王、両界曼荼羅、七重の石塔、古文書数千点を所蔵している。人吉駅より球磨川下り乗り場を直進、肥薩線、くま川鉄道湯前線踏切を左折、寺の経営かと思われる「みどり保育園」の先にある「山門」を抜けると正面に大正末期に再建の「本堂」がある。右手に「鐘楼」、「お堂」がある。また当寺の背後には相良氏の初代から37代までの「歴代藩主=相良家の墓」が整然と並んでいる。之だけ一ヶ所に集められていることは他に類を見ない規模である。(1711)







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