相模原上溝の「七曲下」の信号から蛯川を越えた右手に高尾山薬王院の末寺真言宗の寺院「国分山安楽寺」はある。開山は永亨5年(1433)に寂した源尊法師となっているが、伝承によると応安年間(1368~75)に義清法師により「蓮乗院安楽坊」として開山されたとも言われている。本尊は阿弥陀如来である。「山門」の右手前で四体の地蔵がお出迎えしてくれる。山門を潜ると正面に「本堂」があり、その左手には境内を見守るように「弘法大師像」、その奥に聖徳太子碑が建てられている。庫裡の前に気品漂う高貴な花といわれる「ボタン」が境内を華やかに彩っている。「山門」前には相模原ではこの一基といわれる三猿と富士山が描かれている「庚申塔」がある。(1804)
座間市役所の一階の庭園で友好交流都市の福島県須賀川市から贈られた「ボタン」が見ごろを迎えている。東日本大震災で被災した須賀川市に物資を提供支援したことから、支援の返礼で最初5株のボタンが贈られてきた。その後、一昨年も数株が届き今20株となった。今年は桜をはじめすべての花の開花が早く、ここ座間ののボタンも今月中旬から咲きだし既に終焉の美しさを魅せている。それでも残りの黄、色、紫、紅の色とりどりのボタンが豪華な大輪を咲かせている。ボタンは牡多重の花びらを持つ高貴な花を咲かせる「花の王様」であり貴婦人のような佇まいから美人の形容にも喩えられる花である。ボタンは「風格」とか「高貴」という花言葉とおりの花である。座間市役所館内庭園を鮮やかに彩る様はまさしく「ミニボタン園」のようである。(1804)
横浜市港北区小机町に雲松院の末寺の曹洞宗寺院「醫王山金剛寺」はある。創建年代は不詳であるが、天文9年(1540)明翁永壽が草創、天明6年(1786)小机の中央古城蹟の山並みの元に大繼良智が曹洞宗寺院として開山した一寺と伝わる。既に約480年の寺歴(歳月を刻んでいる。本尊は薬師瑠璃光如来。横浜線小机駅前を通る横浜上麻生道路を西に向かい、第三京浜手前の小机郵便局を右折、その先左側の小丘に当寺の堂宇が視界に入ってくる。参道前右側に自然石の大きな「寺号標」(寺門)が建てられている。参道石段を上ると正面に昭和60年に再建された重厚な「本堂」、右に「庫裏」がある。本堂前には慈愛の心を表わした菩薩像「慈しみ観音」が建てられこの町を見守っている。その周りには早くも紫色の花をつけたショウブが咲き彩っている。当寺は「武南十二薬師如来霊場7番」の札所となっている。(1804)