江東区亀戸に真言宗智山派の名刹「福聚山善應寺普門院」はある。大永2年(1522)三股城中(隅田川・荒川・綾瀬川が落ち合うあたり、現足立区千住)に創建され後、元和2年(1616)現在地へ移転した。移転の際、梵鐘を川に落としてしまったことからその地を「鐘ヶ淵」と呼ばれる言い伝えを有する。慶安2年(1649)には5石の朱印状を拝領した御朱印寺となり末寺数ヶ寺を擁する小本寺格の寺院であった。江戸時代の地誌「絵本江戸土産」に将軍が鷹狩の際に立ち寄り腰を掛けた御腰掛の松が描かれている。「亀戸天神」の右手に位置し「寺号標(寺門)」を抜けると林のような鬱蒼とした境内正面に「本堂」がある。前に廃材等が置かれており美観が損なわれていたのが残念である。本堂左に亀戸七福神の「毘沙門天を祀るお堂」がある。当寺には伊藤左千夫墓や大島伯鶴の歌碑など文化財が残されている。(1905)






