相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

新戸「相模川散策路」のアジサイ、開花始まる!!

2019-05-28 15:40:01 | アジサイ
相模原市の新戸地区に嘗て寛文2年1659年に築堤された「相模川の堤防」は相模川治水対策等により上流に相模湖、城山湖、宮が瀬湖が造られその堤防としての機能が終わったことから端を発し廃堤防敷を散策路へ活用すべく新戸老人会寿会による申請要望をもとに市が平成9年から7年かけて平均幅10m延長600mの中に散策路2.5m、両側に2mの植栽帯をもつ新戸の「相模川散策路」を完成させた。約200mの間に「約50本の河津桜」と「アジサイ」が植栽され新戸の名所の一つとなっている。河津桜並木の間に植栽されている「アジサイ」が今まだ大半が蕾であるが少しずつ開花し始めている。来週初めには色鮮やかな「アジサイ回廊」が出来上がっているに違いない。(1905)






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相模国国分寺後継寺院「東光山国分寺」

2019-05-28 12:48:53 | 寺院
海老名市国分に相模国国分寺後継寺院、高野山真言宗の寺院「東光山国分寺」はある。天平13年(741)聖武天皇の詔によって国ごとに設置された「官寺」で奈良の「東大寺」、「法華寺」がそれぞれ総国分寺、総国分尼寺とされた。日本各地に建立された国分寺、国分寺市にある「医王山国分寺」は「武蔵国分寺」といわれる。創建は奈良時代750年頃。本尊は国分薬師=薬師如来である。創建後の10世紀に衰退、鎌倉時代に修復、室町時代から戦国時代衰退、安土桃山時代から江戸時代に再興、幕末から明治初には衰退、明治時代に再興、そして現在と苦難の歴史を繰り返している寺院である。正徳年間(1773)住僧堯智本堂を再建し本堂、薬師堂、経蔵、山門、庫裡等の堂宇が並ぶが、幕末頃本堂、経蔵、山門等廃絶。明治期末火災により薬師堂類焼の厄を罹るも仏像類は難を免れ、同年11月薬師堂跡に仮堂の「本堂」が再建された。「山門」より石段を上りると境内左手正面に「本堂」、「客殿」、そして重要文化財の「梵鐘」がある「鐘楼」、「六地蔵」がある。山門前参道には市の指定樹「大けやき」が聳えている。(1905)








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