相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「県立相模原公園」では赤い「サルビア」の花が燃える様に!!

2020-06-27 15:40:07 | 公園・庭園
相模原市南区下溝に四季の花が絶えない「県立相模原公園」はある。お隣の相模原麻溝公園では今、アジサイがクライマックス美を魅せている。当園のメタセコイア並木があるフランス庭園、噴水広場の両側とナビステ―ション前のコンテナに燃えるような真っ赤な「サルビア」(サルビア・スプレンデンス)がひときわ鮮やかに咲いている。サルビアは19世紀初頭にヨーロッパに伝わり改良された花で熱帯から亜熱帯に分布するシソ科の多年草で、宿根性の品種が多い植物、その品種は900種以上に及びハーブや観賞用として幅広く利用されている。濃緑色のハート形の葉が密に茂り、花は長い穂になって下から順に咲いていく。萼も美しく色づき、花が散ったあともしばらく残ることから長く観賞できる花である。またサルビアは暑さに強い性質や花期が長いことから夏から秋にかけての公園や個人住宅の花壇、街路など公共の場よく見かけるポピュラーな花である。(2006)
 
 
 


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長谷の花の寺、四条金吾の石碑「四条山収玄寺」

2020-06-27 14:57:01 | 寺院
鎌倉市長谷、鎌倉大仏方向の通りに日蓮宗寺院「四条山収玄寺」はある。当寺は江戸時代に四条金吾の屋敷跡に妙詣尼が「収玄庵」を開いたのが興りである。創建は文政年間(1818~1829)。本尊は十界曼荼羅。四条金吾は北条氏、江間光時の家臣であり医術にも造詣深く鎌倉、佐渡、身延にと終始一貫して日蓮聖人に給仕し法華信者の鑑として大聖人より厚い信頼を受けていた。日蓮宗立宗当初から中心的門徒で鎌倉武士「四条金吾」は日蓮捕縛の報に自らも切腹覚悟で龍の口の刑場に向ったほど信心篤き武士であった。大正12年(1923)に日慈が本堂を再建、戦後「収玄寺」に改称した。多くの人が行き交う大仏通り左側に一際目を惹く東郷平八郎の揮毫の「四条金吾邸址」の石碑が建っている。「山門」を抜けると正面に日慈が1923年に再建の銅葺屋根が美しい「本堂」がある。堂内には日蓮上人と四条金吾夫妻像が祀られている。四季の花木や野草が咲き乱れ手入れが行き届いた境内は今、程よい本数の幾種かの「あじさい」によつて美しく彩られ「花の寺」らしい寺域となっている。(2006)
 
 
 
 
 





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長谷の花の寺「行時山光則寺」

2020-06-27 10:39:08 | 寺院
鎌倉市長谷に長谷寺の裏手にひっそりと佇み「花の寺」の日蓮宗寺院「行時山光則寺」はある。創建は文永11年(1274)。北条時頼の近臣宿谷光則が日蓮上人の龍ノ口法難で日朝上人を幽閉した後、日蓮宗に帰依し自らの屋敷に寺を建立したのが始まりである。境内裏手には今も日朝上人を幽閉したと伝わる「土牢跡」がある。「山門」を抜けると境内には正面に入り母屋づくりの「本堂」「客殿」がある。石碑、石塔が各所に建てられそれらの間、池の廻りに四季の山野草、茶花が立錐の余地なきほど植えられている。本堂前の樹齢200年の「海棠」は4月上旬には開花しその艶麗さ美しさを魅せつける。他にも200種の「山アジサイ」や梅など四季折々の花々が境内を彩る。既に満開となったアジサイ、カキツバタが咲いていて「花の寺」にふさわしい美しい寺域を創り出していた。花愛好家、撮影者には堪らない場所である。(2006)
 
 
 
 
 
 
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