伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

日本人と裁判 歴史の中の庶民と司法

2010-10-04 23:26:38 | 人文・社会科学系
 日本の文学や文献に現れた過去の裁判の事情や一般市民の司法に対する見方についてのエッセイ集。
 元が雑誌のコラム的な文章のようで、そういうものとして読む限りは、雑学的な関心から興味深く読めます。それでも、著者の司法制度改革審議会意見書を絶対視し、過去のことがらにこと寄せて意見書を正当化しようとする姿勢がちょっと鼻につきますけど。
 サブタイトルにある「庶民」の視線を考えるならば、歴史文献の解釈では庶民を強調する著者が、財界の要請に応える意見書を絶対視し、自らも司法のクライアントとして常に企業に言及することには違和感を持ちました。「財有るものの訟は、石を水に投ぐるが如く、乏しき者の訴は、水を石に投ぐるに似たり」(財産をたくさん持つ者の訴訟事件は、水に石を投げ込むように、すんなりと受け入れられ、貧しい者の訴訟事件は、石に水を投げつけるように跳ね返され、審理に入ってもらえない)という17条憲法第5条の聖徳太子の嘆き(14~15ページ)は、弱者の証拠収集制度の補強なくただ迅速を求める昨今の裁判所とマスコミの流れ、そして司法制度改革審議会意見書の路線でも、貧しい者は有利な証拠がないために迅速に敗訴することになり、そういう意味で今と通じるように思えます。もっとも著者は、おそらくこの本のために書き下ろした終章では、それではいけないと述べてはいますが。
 一冊の本として通し読みするときには、体系的な記述とはいいにくく、つまみ食い的な印象が強く、それぞれの話題が突っ込み不足で紹介が終わってこれから本論かと思ったら次の話題にいってたりします。一気読みするよりは、ときどき雑学的に読むのが正解かなと思います。


川嶋四郎 法律文化社 2010年7月10日発行
コメント
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