鎌倉時代から江戸時代初期にかけての村と百姓の姿を、幕府や領主・地頭との関係での自立性、領主との年貢と饗応の関係、村同士の争いと調停・裁判などの角度から、従来考えられていたよりも村としてのまとまりと自立の度合いが強いことに着目して解説した本。
正史に残りにくい民衆の姿を寺や古家の古文書や果ては落書きなどから読み込んでいく作業だけに、資料も史実も断片的になっていて体系的な記述とはいえず、また数少ない史実と資料から一般化できるかという疑問は当然に残りますが、大変興味深い本です。
飢饉の際の救済に始まっているとはいえ年貢さえ払っていれば逃散は自由というのが鎌倉時代以来の伝統だとか、村の惣堂は誰のものでもなく共同のものだから旅の者が泊まるのも自由とか、厳しい生活の掟が前提ではあるものの意外に自由な空気が日本の中世にもあったのだなと思います。
逃走した農民やさらには犯罪者の家財は没収されても、田畑は領主に没収させずに村で耕し(惣作)、本人が戻ってきたときや子どもが大きくなったら戻すということも少なからず行われていたという話で、村の連帯責任は領主側の都合だけではなく村側でも村の安定と自立のための要求という面があったと論じられています。
村と領主の間では、特に農村と在住の領主の間では、ことあるごとに年貢・上納と祝儀・返礼のかたちで金品のやりとりがあったことが紹介され、実は村からの上納のかなりの部分が返礼で村の代表者に戻されていた(村役人の役得になるわけですが)と論じられています。
領主が一方的に百姓を支配していたという印象が強い武家政治の時代ですが、別の側面もありそうだなと思わせてくれます。
藤木久志 岩波新書 2010年5月20日発行
正史に残りにくい民衆の姿を寺や古家の古文書や果ては落書きなどから読み込んでいく作業だけに、資料も史実も断片的になっていて体系的な記述とはいえず、また数少ない史実と資料から一般化できるかという疑問は当然に残りますが、大変興味深い本です。
飢饉の際の救済に始まっているとはいえ年貢さえ払っていれば逃散は自由というのが鎌倉時代以来の伝統だとか、村の惣堂は誰のものでもなく共同のものだから旅の者が泊まるのも自由とか、厳しい生活の掟が前提ではあるものの意外に自由な空気が日本の中世にもあったのだなと思います。
逃走した農民やさらには犯罪者の家財は没収されても、田畑は領主に没収させずに村で耕し(惣作)、本人が戻ってきたときや子どもが大きくなったら戻すということも少なからず行われていたという話で、村の連帯責任は領主側の都合だけではなく村側でも村の安定と自立のための要求という面があったと論じられています。
村と領主の間では、特に農村と在住の領主の間では、ことあるごとに年貢・上納と祝儀・返礼のかたちで金品のやりとりがあったことが紹介され、実は村からの上納のかなりの部分が返礼で村の代表者に戻されていた(村役人の役得になるわけですが)と論じられています。
領主が一方的に百姓を支配していたという印象が強い武家政治の時代ですが、別の側面もありそうだなと思わせてくれます。
藤木久志 岩波新書 2010年5月20日発行