2007年から5年間インダス文明に関するプロジェクトでインダス文明遺跡に日本隊として初めて発掘に携わりインダス文明遺跡地域での環境調査を行った著者が、これまでに訪れたインダス文明の遺跡を紹介して、インダス文明について持たれている先入観に対して疑問を提起し、特にインダス文明が「大河文明」といえるかについて検討した本。
著者の主張は、インダス文明をインダス川に依存した大河文明と考えたのは、初期に発掘調査されたモヘンジョダロ遺跡とハラッパー遺跡を中心に、しかもインダス文明が世に知られたのが1924年以降と遅かったために既に調査が進んでいたメソポタミア文明になぞらえ同様に解釈されてきたためで、現代ではインダス文明期の遺跡は2000以上にのぼりモヘンジョダロ、ハラッパーにガンウェリワーラー、ラーキーガリー、ドーラーヴィーラーを加えた5大都市と評価するのが通常で、大河のないチョリスターン砂漠や海沿いに多数の遺跡があって、砂漠の遺跡では大河からの灌漑による農業よりも遊牧民による交易が都市を支え、海沿いの遺跡では海上交通に支えられて栄えたと評価すべきであって、むしろインダス川流域で灌漑農業で栄えたモヘンジョダロやハラッパーが例外的存在ではないかということにあります。インダス文明の遺跡に特徴的な石や焼成レンガを駆使した貯水池や水道(水路)は、大河の近くで水が豊富だったというよりは雨期に得られる貴重な水を乾期に供えて蓄えるためと解すべきで、砂漠地域の枯れ川ガッガル=ハークラー川がインダス文明期にはサラスヴァティー川と呼ばれる大河であったという主張は誤りであること(ガッガル川が氾濫を繰り返す大河であれば浸食されて存続できないはずの砂丘の上に遺跡があり、かつその砂丘の成立年代がインダス文明期以前など:162~167ページ)や、インダス文明遺跡では記念碑的建造物が見られず武器や武器により殺傷されたとみられる人骨の出土も(ほとんど)なく戦争と中央集権を示す証拠に乏しいことも指摘されています。
他方、著者の専門が考古学ではなく、インドの少数言語が専門のため、遺跡と出土物についての分析は基本的に他の専門家の報告書に頼っています。そういうこともあって著者は、インドとパキスタンの対立のためにパキスタン国内のインダス文明遺跡をインド人研究者が自由に見学することさえ許されず、インド国内ではインド考古局が独占して外国隊の発掘を許さずインド人考古学者は発掘に追われて定年退職後発掘ができなくなって初めて報告書の作成に取りかかるために報告書が出るのが極めて遅い上報告書が出るまで出土品を自由に見ることができず出土品は整理が行き届かないまま倉庫に眠っている、パキスタンでも英領時代にウィーラーが発掘したハラッパー遺跡の出土品が大量に倉庫に保管されているが蛇の巣窟になっていて到底近寄れない(38~42ページ)などの発掘調査が進まない状況を嘆いています。
他方、ファルマーナー遺跡で見つかった人骨の歯についている歯石を分析するとターメリックやジンジャーが検出され、インダス文明期に人々がカレーを食べていたことが判明した(140ページ)などの新しい研究成果も紹介されています。
「はじめに」で、これまでのインダス文明像がガラガラと崩れてとか、新しいインダス文明像を打ち立てると書いていることに象徴されるように、力みすぎの感があります。学者さんの研究ですからそれぐらいの気概があるのはいいんですが、この本の最初の方でインダス文明の年代について最新の教科書でも紀元前2300年頃~紀元前1800年頃としているのを「そんな古い知識が改訂もされず、教科書にも、事典にも堂々と掲載されている。それがまさにインダス文明研究の日本における実態なのである。」(8ページ)と書かれていて、著者の見解はというと「紀元前2600年~紀元前1900年とするのが一番妥当であろう」(14ページ)とされています。日本でいえば縄文時代後期とか晩期に当たり、それが300年とか100年ずれたとして、その分野の専門家には大きな違いかもしれませんが、一般人からすれば声高に言うほどの問題かと思ってしまいます(江戸時代が100年ずれたらビックリしますけど)。
著者自身の専門の話があまりなく、遺跡紹介が大部分を占め、著者の力みがやや空回り気味に感じますが、あまり紹介されることがないインダス文明の新しい情報が多数あり、高校時代にインドに強い興味を感じていた私には楽しく読めました。
長田俊樹 京都大学学術出版会 2013年10月10日発行
著者の主張は、インダス文明をインダス川に依存した大河文明と考えたのは、初期に発掘調査されたモヘンジョダロ遺跡とハラッパー遺跡を中心に、しかもインダス文明が世に知られたのが1924年以降と遅かったために既に調査が進んでいたメソポタミア文明になぞらえ同様に解釈されてきたためで、現代ではインダス文明期の遺跡は2000以上にのぼりモヘンジョダロ、ハラッパーにガンウェリワーラー、ラーキーガリー、ドーラーヴィーラーを加えた5大都市と評価するのが通常で、大河のないチョリスターン砂漠や海沿いに多数の遺跡があって、砂漠の遺跡では大河からの灌漑による農業よりも遊牧民による交易が都市を支え、海沿いの遺跡では海上交通に支えられて栄えたと評価すべきであって、むしろインダス川流域で灌漑農業で栄えたモヘンジョダロやハラッパーが例外的存在ではないかということにあります。インダス文明の遺跡に特徴的な石や焼成レンガを駆使した貯水池や水道(水路)は、大河の近くで水が豊富だったというよりは雨期に得られる貴重な水を乾期に供えて蓄えるためと解すべきで、砂漠地域の枯れ川ガッガル=ハークラー川がインダス文明期にはサラスヴァティー川と呼ばれる大河であったという主張は誤りであること(ガッガル川が氾濫を繰り返す大河であれば浸食されて存続できないはずの砂丘の上に遺跡があり、かつその砂丘の成立年代がインダス文明期以前など:162~167ページ)や、インダス文明遺跡では記念碑的建造物が見られず武器や武器により殺傷されたとみられる人骨の出土も(ほとんど)なく戦争と中央集権を示す証拠に乏しいことも指摘されています。
他方、著者の専門が考古学ではなく、インドの少数言語が専門のため、遺跡と出土物についての分析は基本的に他の専門家の報告書に頼っています。そういうこともあって著者は、インドとパキスタンの対立のためにパキスタン国内のインダス文明遺跡をインド人研究者が自由に見学することさえ許されず、インド国内ではインド考古局が独占して外国隊の発掘を許さずインド人考古学者は発掘に追われて定年退職後発掘ができなくなって初めて報告書の作成に取りかかるために報告書が出るのが極めて遅い上報告書が出るまで出土品を自由に見ることができず出土品は整理が行き届かないまま倉庫に眠っている、パキスタンでも英領時代にウィーラーが発掘したハラッパー遺跡の出土品が大量に倉庫に保管されているが蛇の巣窟になっていて到底近寄れない(38~42ページ)などの発掘調査が進まない状況を嘆いています。
他方、ファルマーナー遺跡で見つかった人骨の歯についている歯石を分析するとターメリックやジンジャーが検出され、インダス文明期に人々がカレーを食べていたことが判明した(140ページ)などの新しい研究成果も紹介されています。
「はじめに」で、これまでのインダス文明像がガラガラと崩れてとか、新しいインダス文明像を打ち立てると書いていることに象徴されるように、力みすぎの感があります。学者さんの研究ですからそれぐらいの気概があるのはいいんですが、この本の最初の方でインダス文明の年代について最新の教科書でも紀元前2300年頃~紀元前1800年頃としているのを「そんな古い知識が改訂もされず、教科書にも、事典にも堂々と掲載されている。それがまさにインダス文明研究の日本における実態なのである。」(8ページ)と書かれていて、著者の見解はというと「紀元前2600年~紀元前1900年とするのが一番妥当であろう」(14ページ)とされています。日本でいえば縄文時代後期とか晩期に当たり、それが300年とか100年ずれたとして、その分野の専門家には大きな違いかもしれませんが、一般人からすれば声高に言うほどの問題かと思ってしまいます(江戸時代が100年ずれたらビックリしますけど)。
著者自身の専門の話があまりなく、遺跡紹介が大部分を占め、著者の力みがやや空回り気味に感じますが、あまり紹介されることがないインダス文明の新しい情報が多数あり、高校時代にインドに強い興味を感じていた私には楽しく読めました。
長田俊樹 京都大学学術出版会 2013年10月10日発行