左頬に大きなザのある大学院生前田アイコが、出版社に勤務する友人まりえの誘いで顔にアザがある人たちのルポの取材を受け雑誌の表紙を飾ったことからそのインタビューを元に映画が作られることになり、その打ち合わせで会った映画監督に思いを寄せるという恋愛小説。
アザへのコンプレックスから人前に出るまい多くを望むまいという自己抑制と、自分にも人並みの恋があるかもという期待に挟まれたアイコの心情の揺れ、ちょっとしたことで思いを打ち砕かれ沈みながらも現実の恋愛経験のなさから思いを寄せたら間合いを取れずに走り自分も相手も追い詰めてしまう不器用さ、それが同級生からの告白を得て落ち着きを見せ成長する様子が描かれ、それぞれに切なく、胸に響きます。このお話では顔面の大きなアザという形ですが、容姿・容貌に恵まれない多数の人たちが、多かれ少なかれ似たような気持ちを経験しているわけで、いろいろに考えさせられます。
「圧倒的に存在感があって、大きくて、強いものにひかれている自分に気付いた」「それなら、と私は前に向き直りながら、考えた。男の人はどんなものに魅了されるのだろう。自分よりも圧倒的に小さくて、頼りなくて、可愛らしいものか」(92ページ)。世間一般の「男」の感覚からたぶんずれている私には断言しかねますが、そのような感性は小さなプライドを守りたい安住感からのもので「魅了」されるものではないと思います。「そんなのつまらない」「そんなのは押しつけだ」として「だから私も、飛坂さんを圧倒的に大きくて強いものだと思いすぎてはいけないのだと考えた。私の期待や願望だけを込めすぎないように、ありのままをきちんと感じよう」(92ページ)と続ける作者に共感します。
老教授の言葉「もし無理をすれば違う自分になれるんじゃないかと思っているなら、その幻想は、捨てた方がいいかもしれません。そのほうが、君はきっと成長できる。たしかに、人は変わることもある。しかし違う人間にはなれない。それは神の領分です」(176ページ)。けだし至言というべきか、いや違うというべきか、ちょっと思いが錯綜しました。
島本理生 集英社 2013年4月30日発行
アザへのコンプレックスから人前に出るまい多くを望むまいという自己抑制と、自分にも人並みの恋があるかもという期待に挟まれたアイコの心情の揺れ、ちょっとしたことで思いを打ち砕かれ沈みながらも現実の恋愛経験のなさから思いを寄せたら間合いを取れずに走り自分も相手も追い詰めてしまう不器用さ、それが同級生からの告白を得て落ち着きを見せ成長する様子が描かれ、それぞれに切なく、胸に響きます。このお話では顔面の大きなアザという形ですが、容姿・容貌に恵まれない多数の人たちが、多かれ少なかれ似たような気持ちを経験しているわけで、いろいろに考えさせられます。
「圧倒的に存在感があって、大きくて、強いものにひかれている自分に気付いた」「それなら、と私は前に向き直りながら、考えた。男の人はどんなものに魅了されるのだろう。自分よりも圧倒的に小さくて、頼りなくて、可愛らしいものか」(92ページ)。世間一般の「男」の感覚からたぶんずれている私には断言しかねますが、そのような感性は小さなプライドを守りたい安住感からのもので「魅了」されるものではないと思います。「そんなのつまらない」「そんなのは押しつけだ」として「だから私も、飛坂さんを圧倒的に大きくて強いものだと思いすぎてはいけないのだと考えた。私の期待や願望だけを込めすぎないように、ありのままをきちんと感じよう」(92ページ)と続ける作者に共感します。
老教授の言葉「もし無理をすれば違う自分になれるんじゃないかと思っているなら、その幻想は、捨てた方がいいかもしれません。そのほうが、君はきっと成長できる。たしかに、人は変わることもある。しかし違う人間にはなれない。それは神の領分です」(176ページ)。けだし至言というべきか、いや違うというべきか、ちょっと思いが錯綜しました。
島本理生 集英社 2013年4月30日発行