伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。今年も目標達成!

世界で大活躍できる13歳からの学び

2017-02-07 21:56:25 | 実用書・ビジネス書
 課題に対する答えをレゴブロックを使うなどして「見える化」し、その後調査して得た情報と課題に答えた時点での考えを比較して話し合い、それらの過程や結果を映像化してネット上遺してアーカイブ化して振り返ることができるようにするというような方法論で中学の英語教育を行い、日本で初めて「グローバル・ティーチャー賞」の最終候補となった著者が、教育論を語った本。
 日本の教育は、知識を「知っている」ことを目指し、「答えがすでにある問題」について速く正解を出すことには向いているけれども、世界では「理解すること」が重視され、学んだ知識をどう使うか、どう判断するかを聞いてくる、現状を分析して自分が知っている知識をフル活用して「最も正解に近い仮説」を立て、それを相手が納得するように伝えることを求めている、言い換えれば、日本では「勉強」に力を入れ、世界は「学び」を求めているというのです(46~47ページ、94~97ページ)。
 これって、法律相談について新聞・雑誌やネットでの「法律相談」と称する記事を見て一般の人が持つ誤解と、弁護士が現実に行っている(少なくとも私が行っている)法律相談の違いみたい。ときどき、法律相談を、文書で質問したら、それに対して既にある法律知識を当てはめてそれで回答が来るものと思って、手紙やメールを送ってくる人がいるのですが、本来の(少なくとも私がする)法律相談は、現実の紛争の具体的な事実関係とそれを裏付ける証拠を検討して、相談者にとってより望ましい解決をするために、仮に裁判になったら裁判官にどういう事実を説得できるか、その事実にさまざまな法律や裁判例、その他の知恵を出して、どういう結論が妥当だと裁判官に説得できるかを考えて、その見通しの下で、相手や相手方の弁護士に何を説得できるかなどを考え、どのように進める可能性があるか、そのために今後準備するべきことは何か等を考えていくものです。前提となる事実をどう考えるかでも具体的な証拠を検討し評価する必要がありますし、使えそうな法律や裁判例を考えるときも事実関係の細部まで検討しないと見誤る危険があります。最初から決まった1つの答えがあって法律の知識を当てはめればそれがわかるという性質のものでは、全然ありません(新聞や雑誌・ネットでの「法律相談」と称する記事の多くは、本来「法律豆知識」とでも呼ぶべきもので、とても「法律相談」などと言える代物ではありません。その手の記事のおかげで、どれだけ多くの人が法律相談を誤解しているか…)。この本で、勉強は一方的な個人プレー、学びは対話だと言っている(100ページ)のと同じで、対話のない(手紙とか。メールもそれに近い感じがします)法律相談なんて、私の感覚では、あり得ません。


髙橋一也 主婦と生活社 2016年11月7日発行
 
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