「経済学のすすめ」というタイトルながら、特に現在の日本の経済学者、大学の経済学部の現状を批判し、文学・哲学・歴史学などの人文学を基礎とし(それらの一般教養を前提に)批判的精神をもった「モラル・サイエンス」としての経済学を志向すべきという、「あるべき」または著者としては「本来の」経済学の繁栄/復興を期待したいという本。
行政や企業からの経済学者への委託研究は、企業行動を正当化し府省益にかなう結論を導く「研究」を期待するもので、計量経済モデルの予測の信ぴょう性はいたって心もとないが、しばしば悪用されてきた。温暖化対策をめぐる議論で通産省が珍重した炭素税の導入が経済成長率を有意に低下させるという計量経済モデルに関しても、「計量経済学のプロである私に言わせれば『低下させる』という結論を導くモデルを作れと言われれば作れるし、『上昇させる』という結論を導くモデルを作れと言われれば作れる。にもかかわらず、数式とコンピュータにたぶらかされやすいマスメディアの記者たちは複雑な数式の並んだモデルを見ると、一片の恣意性も入り込む余地のない『科学的』なシミュレーション装置のように思い込む。」(140ページ)という話、原発の安全性等をめぐる電力会社やメーカーの「解析」と共通性を感じます。
日本では「学会誌のほとんどが、また大学の紀要までもが『査読付き』を名乗るようになった。」「公募への応募者を評価する際に、業績(論文)リストに並ぶ各論文の掲載誌が査読付きか否かを記入することが、応募者に義務付けられる。」「こうした公募制と査読制の導入は、一見、教員選考をフェアにするかのようだが、実のところ、教員選考をアンフェアにする元凶となった、と私は見る。」「実際、名ばかりの査読付き雑誌が少なくない。」(133ページ)、「日本の経済学者には、思想信条に無頓着な者が多いため、また審議のテーマに関わる専門的(医療・エネルギー・環境等についての)知識が総じて乏しいため、法学部出身の官僚が無理やりつくる『カラスは白い』という屁理屈を鵜呑みにしがちである。」(145ページ)、「経済学者がテレビ番組に出演する頻度もまた、日本が群を抜いて多いだろう。そんなわけで、日本の経済学者には、老若を問わず、論考を世に問う機会がふんだんに、否、ふんだん過ぎるほど多く用意されている。査読付き専門誌に論文を書く暇もなく、多くの経済学者がマスメディアで自説を披露している。その大部分が、時の政権や産業界に媚びへつらう内容の論考である。」(195ページ)などの指摘は、興味深いところです。

佐和隆光 岩波新書 2016年10月20日発行
行政や企業からの経済学者への委託研究は、企業行動を正当化し府省益にかなう結論を導く「研究」を期待するもので、計量経済モデルの予測の信ぴょう性はいたって心もとないが、しばしば悪用されてきた。温暖化対策をめぐる議論で通産省が珍重した炭素税の導入が経済成長率を有意に低下させるという計量経済モデルに関しても、「計量経済学のプロである私に言わせれば『低下させる』という結論を導くモデルを作れと言われれば作れるし、『上昇させる』という結論を導くモデルを作れと言われれば作れる。にもかかわらず、数式とコンピュータにたぶらかされやすいマスメディアの記者たちは複雑な数式の並んだモデルを見ると、一片の恣意性も入り込む余地のない『科学的』なシミュレーション装置のように思い込む。」(140ページ)という話、原発の安全性等をめぐる電力会社やメーカーの「解析」と共通性を感じます。
日本では「学会誌のほとんどが、また大学の紀要までもが『査読付き』を名乗るようになった。」「公募への応募者を評価する際に、業績(論文)リストに並ぶ各論文の掲載誌が査読付きか否かを記入することが、応募者に義務付けられる。」「こうした公募制と査読制の導入は、一見、教員選考をフェアにするかのようだが、実のところ、教員選考をアンフェアにする元凶となった、と私は見る。」「実際、名ばかりの査読付き雑誌が少なくない。」(133ページ)、「日本の経済学者には、思想信条に無頓着な者が多いため、また審議のテーマに関わる専門的(医療・エネルギー・環境等についての)知識が総じて乏しいため、法学部出身の官僚が無理やりつくる『カラスは白い』という屁理屈を鵜呑みにしがちである。」(145ページ)、「経済学者がテレビ番組に出演する頻度もまた、日本が群を抜いて多いだろう。そんなわけで、日本の経済学者には、老若を問わず、論考を世に問う機会がふんだんに、否、ふんだん過ぎるほど多く用意されている。査読付き専門誌に論文を書く暇もなく、多くの経済学者がマスメディアで自説を披露している。その大部分が、時の政権や産業界に媚びへつらう内容の論考である。」(195ページ)などの指摘は、興味深いところです。

佐和隆光 岩波新書 2016年10月20日発行