伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

女子のための「性犯罪」講義 その現実と法律知識

2010-10-16 22:19:11 | 人文・社会科学系
 性犯罪をめぐる法律の規定、刑事手続、裁判例とその認定、犯罪統計等について概説した本。
 法律家の性別割合が男性に偏っているために性犯罪の被害者について、特に被害者の証言の信用性の判断についての理解が足りないことを指摘しつつ、他方において犯罪の性質上客観的証拠が少なく冤罪の場合の被告人の防御が難しく刑事裁判においては合理的疑いを残さない立証がなされなければ無罪となることに加え、性犯罪の再犯率は実は他の犯罪と同レベルかむしろ低いことも論じていて、ほどよいバランス感が見られます。
 初学者向けを志向しているのだとは思いますが、法律用語が多く、説明がない用語も結構あるし、用語解説も必ずしも易しくなかったりして、法学部学生か法律家業界人でないとちょっと難しいかも。
 最初の方で強姦罪と強制わいせつ罪を分けることには合理性がないと主張していますが、性犯罪の中でも特に強姦被害者の心の傷が重いという指摘(43ページ)もあり、それなら強姦罪を区別して重くすることに反対しなくてもというすっきりしない感が残ります。裁判例を比較的多数紹介しているのは参考になりますが、犯罪の成立(有罪・無罪)についての部分と量刑判断についての部分は分けて論じて欲しいなという気はしました。また1審判決の紹介と書いているのに引用文で「原判示」と書かれている(58ページ)のは、1審判決のはずもなくケアレスミスでしょうね。


吉川真美子 世織書房 2010年4月15日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈黙の時代に書くということ

2010-10-16 17:07:30 | エッセイ
 女性探偵V.I.ウォーショースキーシリーズで有名なミステリー作家が9.11以降のアメリカの独善的な正義と市民の権利の圧殺を批判したエッセイ集。
 前半では、日本で言えば全共闘世代に当たる著者が、キング牧師らの姿を間近に見つつ公民権運動に参加した学生時代、女性解放運動の流れに支えられながら作家を志した頃を語り、天使でもなく怪物でもないただのしかし自立した女性としてのV.I.ウォーショースキーを生み出すに至るまでが示されています。後半では、アメリカの精神史、少なくともミステリーのヒーロー像の中での利己的な個人主義の歴史を振り返り、9.11以降のアメリカの唯我独尊的な態度を過去からつながるものと位置づけつつ、著者は「自分の周囲の小さな世界で、リンカーンがやったように、傷口に包帯を巻き、闘いに赴いた者の世話をし、その未亡人と遺児の世話をする」ことの方に価値があると主張し、現代のアメリカは売れる本しか出版されないために政府・経済界の意に沿わない作家は沈黙を強いられ、愛国者法によって政府が根拠なく人々を拘束したり市民の権利を踏みにじっていると抗議しています。
 アメリカでの事件やミステリー作品の引用と、必ずしもまっすぐではなく多方面で論じているため、わかりにくい点も多々ありますが、アメリカ社会のありように違和感と恐怖を感じ黙っていてはいけないという著者の主張と心情はよく伝わってきます。
 私自身は、サラ・パレツキーは、20年前に日弁連広報室にいたときにインタビュー企画があった私の憧れのインタビューイがサラ・パレツキーのファンだとかでその頃までに出版されていたものをほぼ読み尽くした(結局そのインタビュー企画はボツになりましたが)以来です。そのときに自立した女性探偵に魅力を感じるとともに、労働組合をマフィア扱いする書きぶりへの違和感を持っていましたが、その背景事情が少しわかったかなという感じです。


原題:WRITING IN AN AGE OF SILENCE
サラ・パレツキー 訳:山本やよい
早川書房 2010年9月15日発行 (原書は2007年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兄妹パズル

2010-10-11 22:59:51 | 小説
 証券取引所のやり手社員だが平日も夕食には帰ってくる温厚な父親、美人で料理上手な専業主婦の母親、母親似の美男子で成績優秀な大学院生の兄浩一、中学時代サッカーのプロ選手になれるといわれながらスカウトを蹴って普通の高校に進み今は映画同好会で遊び暮らす大学1年生の兄潤一に囲まれて、絵に描いたような平和な家庭生活を送っていた高校2年生の亜実が、仲がよかった兄潤一の突然の家出を契機に思い悩み家族の秘密を知る青春・家族小説。
 しゃべるような文体が、あまり気にならずにすっと入ってきます。女子高生のしゃべりの体裁でありながらこうすんなり入るのは・・・と思ったら作者が私とほぼ同年代。なるほど。
 家族って何というやや重めのテーマを抱えているのですが、悲惨な場面もなく、登場人物のそれぞれの善意が感じられ、安心して読めます。重く深くを求めずに読む分には、読み味はいいと思います。


石井睦美 ポプラ社 2010年5月24日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サキモノ!?

2010-10-10 09:47:02 | 小説
 新卒で商品先物取引会社に就職した主人公が厳しいノルマ、上司の罵声、勧誘の相手方の拒絶や無視、舌先三寸で客を騙して金を出させることへの良心の呵責などに悩まされながら営業社員となっていく小説。
 証拠金取引で出した証拠金の数十倍の売買をする商品先物取引ではわずかな値動きで大きな利益や損が生じて、損の場合にはあっという間に証拠金が消えて追加証拠金(追い証)が出せなければ損が確定し、利益が出ている間は決済はさせないというしくみはこの小説でも説明されています(その結果、客は、利益が帳簿上出ていてもそれは次の取引の証拠金に回されて何度も取引を繰り返して巨額の売買手数料を先物取引会社に稼がせ、幹部営業社員の巧みなあるいは恫喝の営業トークや決済指示の無視などを乗り越えて強硬に決済指示をして利益が出ているときに決済してしまわない限りは、いつか訪れる大きな損失発生時に追い証が出せなくなって、大きな損失を出して取引を終了するということも読み取れるわけですが、それははっきりは書かれていません)。
 しかし、主人公ら営業社員が勧誘した顧客がその後幹部社員の担当になりどうなったかは知らないという形で、営業社員のつらさが中心に描かれ、労働根性ものという感じの展開になっています。単純につらい労働条件で、それを乗り越えていくというパターンの小説は、それも結局はあくどい経営者の存在を消極的にであれ正当化する側面を持つわけですが、まぁありかなとおもいます。しかし、その労働が人を騙して金を出させる、被害者が多数存在するものであるとき、それでいいのかという思いが残ります。終盤で、主人公を、後輩との関係で人間として成長したように描いていて、成長物語っぽい終わり方ですが、人を騙して金を出させることへの良心の痛みをなくすことは成長ではなく人間としては劣化だと思います。


斎樹真琴 講談社 2010年4月20日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真綿荘の住人たち

2010-10-07 23:54:32 | 小説
 民家を改築した下宿屋「真綿荘」に住む自信過剰でデリカシーに欠けるKY男大和葉介、レイプされた心の傷が癒えず女しか愛せなくなった山岡椿、体格も容姿も男っぽい地味で純情な鯨井小春、引きこもりの画家真島晴雨、華やかな着こなしで作家の謎めいた管理人綿貫千鶴らが友人ないし恋人を巻き込んで繰り広げる青春小説。
 KY男大和の自信過剰ぶりから始まり、順次話者を入れ替えて展開していきますが、連載の過程で大和の性格が円くなることもあって、終わってみれば最初の章では奇人っぽく見えた大和と鯨井が一番普通に見えてしまいます。
 前半ではどこかラブコメっぽい、私の年代で言えば、柴門ふみふうの展開で、そういう路線に転向したかとも思いましたが、後半では綿貫さんのグロテスクな秘密と心境が語られて重くなっていきます。
 全体を通してみると、ともに高校生のときにレイプされたことで人生が変わることになった椿と綿貫さんの2人のある意味で対照的な、しかしともに痛ましく切ない生き様がテーマとなっているように感じました。椿の傷ついた心と、自分自身でどう向き合っていくのかについての整理された部分とまだ整理できない動揺が哀しく、椿に寄り添いときに切り結ぶ高校生の八重子の揺れる心もまた切ない。ある意味でわかりやすい椿と八重子に対し、レイプした男を囲い込んで内縁の夫と周囲に紹介しつつアンビバレントな想いを持ち続ける綿貫さんと晴雨の関係は、あり得なさそうでしかし現実には少なくない女がそれに近い現実に耐えているかもしれず、複雑な深さがあるようでもあり机上の空論のようでもあり・・・やはり私には理解しにくい。


島本理生 文藝春秋 2010年2月10日発行
「別冊文藝春秋」2008年11月号、2009年1月号、3月号、5月号、7月号、9月号、11月号連載
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私は無実です 検察と闘った厚労省官僚村木厚子の445日

2010-10-06 00:14:05 | ノンフィクション
 郵便不正事件で大阪地検特捜部が立件して無罪となった厚労省官僚をめぐる検察の捜査と裁判の様子を関係者の公判での証言や裁判中の発言で綴り、冤罪の構図をレポートした本。
 検察側証人の供述調書と公判でのそれを覆した証言と取材に対して語った言葉から、検察官が関係者をだましたり脅したりしながら検察の描いたストーリーに合わせた供述調書を作り出していく様子が生々しく描かれています。認めないと刑務所行きとか認めたら保釈で配慮してやるとかいう脅しや取引もさることながら、えげつないのは検察官が現実にはありもしない客観証拠があると騙してそういう証拠があるのなら仕方がないとあきらめさせて虚偽の調書を作っていったこと。いくら何でもそこまでするか、と一般人や私のような検察官に対しても人間的職業的な信頼感を持つ者は思うところですが、この本の出版後に明らかになった、文書ファイルのプロパティという客観証拠さえ検察のストーリーに合わせて改ざんしてしまうという想像を超える事実を見ると、ああいう人たちならそれくらいするだろうなと思い切り納得してしまいます。
 同時に、この事件では、被告人が高級官僚で強い意志を持ち続けるとともに、人望があり関係者が次々と証言を覆し、実績のある弁護人も選べ、検察の捜査の詰めが甘く、被告人も含めた関係者が詳細な手帳の記載を残していて、裁判長も無罪判決をいくつも書き「ほとけの横田」と呼ばれているという被告人に有利な要素が多数重なっていました。これだけの条件があればこその無罪でもあるわけで、同じような冤罪でもこういう条件がなければ世間から注目されることもなく簡単に有罪判決で終わっていたと思われます。そういった残酷さと絶望、この事件のようにそれでも真実を明らかにできる場合があるという希望、これが併存するのが現実の社会という認識を噛みしめておきたいと思います。
 著者は判決期日の9月10日までに出版することにこだわり、あとがきの日付は2010年7月10日、現実にもギリギリ判決前に書店に並んだようですが、奥付の発行日は9月30日。この日付は編集者が気が利かないってことでしょうか。
 それから、最近は小沢支持一辺倒の感のある週刊朝日関係者が、ことあるごとにこの事件を小沢一郎の事件と対をなすように表現し、小沢も潔白・冤罪と印象づけようとしているのが鼻につくのが玉に瑕の本です。


今西憲之+週刊朝日取材班 朝日新聞出版 2010年9月30日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人と裁判 歴史の中の庶民と司法

2010-10-04 23:26:38 | 人文・社会科学系
 日本の文学や文献に現れた過去の裁判の事情や一般市民の司法に対する見方についてのエッセイ集。
 元が雑誌のコラム的な文章のようで、そういうものとして読む限りは、雑学的な関心から興味深く読めます。それでも、著者の司法制度改革審議会意見書を絶対視し、過去のことがらにこと寄せて意見書を正当化しようとする姿勢がちょっと鼻につきますけど。
 サブタイトルにある「庶民」の視線を考えるならば、歴史文献の解釈では庶民を強調する著者が、財界の要請に応える意見書を絶対視し、自らも司法のクライアントとして常に企業に言及することには違和感を持ちました。「財有るものの訟は、石を水に投ぐるが如く、乏しき者の訴は、水を石に投ぐるに似たり」(財産をたくさん持つ者の訴訟事件は、水に石を投げ込むように、すんなりと受け入れられ、貧しい者の訴訟事件は、石に水を投げつけるように跳ね返され、審理に入ってもらえない)という17条憲法第5条の聖徳太子の嘆き(14~15ページ)は、弱者の証拠収集制度の補強なくただ迅速を求める昨今の裁判所とマスコミの流れ、そして司法制度改革審議会意見書の路線でも、貧しい者は有利な証拠がないために迅速に敗訴することになり、そういう意味で今と通じるように思えます。もっとも著者は、おそらくこの本のために書き下ろした終章では、それではいけないと述べてはいますが。
 一冊の本として通し読みするときには、体系的な記述とはいいにくく、つまみ食い的な印象が強く、それぞれの話題が突っ込み不足で紹介が終わってこれから本論かと思ったら次の話題にいってたりします。一気読みするよりは、ときどき雑学的に読むのが正解かなと思います。


川嶋四郎 法律文化社 2010年7月10日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乱暴と待機

2010-10-01 22:08:11 | 小説
 野犬の殺処分場に勤める右足の膝から下が動かない29歳男山根英則が、右足が動かなくなった事故の復讐をするために連れてきて同居させている幼なじみの人に嫌われることを極度に恐れる気の弱い25歳女緒川奈々瀬との間で続ける陰鬱な日々に、好奇心から入り込んできた英則の同僚の自信過剰のジコチュウ青年番上とその恋人で奈々瀬の同級生だったあずさが絡んで展開する青春小説。
 2008年の作品ですが、映画の公開にあわせて読んでみました。
 主人公2人の屈折ぶりと、脇役2人の性格の悪さが強く印象づけられますが、その性格の悪い2人がジコチュウに徹することでむしろ明るく憎めなく思えていき、屈折して暗いもののまじめだと思え被害者的に位置づけられた主人公2人が屈折を深めるうちに能動性を感じさせて性格を変えていくという、キャラ設定の変化に巧みさを感じました。
 気が弱くて拒否できない奈々瀬を高校時代に利用していた男たちは、そして同類の番上は、その志の低さ故に奈々瀬の想い人とはなり得なかった、その気になればもてる奈々瀬がそこまでして想う相手は・・・ということが、裏テーマになっているような気がします。


本谷有希子 メディアファクトリー 2008年2月29日発行
「ダ・ヴィンチ」2007年2月号~10月号連載
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする