伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

有罪捏造

2012-10-10 00:14:26 | ノンフィクション
 立件された5名(成人2名、少年3名)が最終的に全員無罪となった大阪地裁所長襲撃事件の弁護人による裁判過程のレポート。
 鮮明ではないとはいえ防犯カメラに犯人が映っていて体格が明らかに違うという事情があり、検察が地裁所長である被害者に遠慮して十分な取調を行わず被疑者の面割・面通しさえせず、最終的には自分はやっていないと供述を覆した少年の供述や共犯者がくるくる入れ替わる少年の自白に基づいて公判請求されたという事件であり、その自白も次々と覆されていったにもかかわらず、無罪判決を獲得するまでには長い道のりとさらなる決定打(後日判明したアリバイなど)を要したというあたりに現在の日本の刑事裁判の実情がよく描かれています。
 弁護士の目には、現役の若手弁護士の手になるところから、弁護士の業務の実情や裁判の進展や尋問、証拠に対する弁護士の見方・感じ方が非常にリアルで、弁護士の仕事について理解してもらうという観点でもいい本かなと思いました。おそらくはそれなりに控えたのだとは思いますが、検察官、裁判官、そして相弁護人に対する見方・評価にもリアリティを感じました。
 そういう刑事裁判や弁護士の仕事について理解するという点でお薦めしたい本だと思います。
 なお、被害者の大阪地裁所長の名前は仮名にしていますが、勾留状の記載では氏は仮名になってますが名の方は実名になっています。あえて仮名にする必要があったのかなという気もしますけど。


海川直毅 勁草書房 2012年5月25日発行
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ショージとタカオ

2012-10-09 00:08:34 | ノンフィクション
 布川事件(1967年に茨城県で発生した強盗殺人事件)で再審無罪判決を勝ち取った2人の元被告人の支援闘争と仮釈放から再審無罪確定までの長い道のりを収めたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」の監督による撮影経過のレポート。
 逮捕から仮釈放までの身柄拘束が29年、再審無罪判決確定まで44年。逮捕当時20歳と21歳だった2人は仮釈放時点で49歳と50歳、再審無罪確定時点では64歳と65歳。この本は、著者が初めて関わりを持った1994年の支援コンサートに始まり、実質的には仮釈放のところから綴られ、29年も外界から隔離されていたおっさんが普通の生活を確立するまで、生活しながら無罪をアピールする運動を続ける様子、仮釈放されているが故に支援者の抱いてきたイメージとのズレや周囲との摩擦に悩む姿などを描き続けています。きれいごとで済まない生活の確立や家族との関係など、そして仮釈放の際に獄中で出して棄却された第1次請求では諦めずに改めて再審請求することを宣言しながら実際に第2次再審請求書を提出するまでその後5年かかっていることに見られるような弁護人らの苦しみとおそらくは当事者の焦りなどの容易ではない状況を、本人の何気ない言葉や表情、家族や伴侶のインタビューで感じさせていくところにこの本の真骨頂があるように思えます。
 布川事件は、私が司法修習生になった年に、第1次の再審請求がなされ、青法協の弁護士たちが支援を訴えていた記憶があります。その頃から数えても28年。この本を読んでも再審開始までの弁護団の努力は並々ならぬものがありますし、改めて再審無罪の実現の厳しさを感じます。私が小学生の頃に道徳の授業で学校の先生から無罪だと教わった狭山事件はその後40年あまりを過ぎた今でも再審開始に至らないわけですし。


井手洋子 文藝春秋 2012年4月25日発行
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人工疾患

2012-10-08 00:23:10 | 小説
 別荘にこもって執筆中のミステリー作家が、近所の洋館に引っ越してきた小学生の頃の友人に生き写しの7歳の少年と世話をする高齢の家政婦と知り合い、少年と関わっていく過程で、少年の出自への疑問を感じて調査しその正体に行き着くミステリー小説。
 少年の正体、ミステリー作家の小学校時代の友人「ユウ君」との関係にすべてが収斂するミステリーですから、シンプルな構成で、作者の狙いにうまくはまって読めるか、早々に先が読めてしまうかが勝負の作品かなと思います。書き下ろしだけあってブレのない運びで、私は好感を持てましたが。
 ミステリー作家の書けない悩みが序盤で延々と語られるのはやや閉口しますし、医療技術面でこういうミステリーが成り立つのかは私には判断しかねますが、医師の倫理への問いかけ、先端技術の発達とその被験者・患者の思いには考えさせられます。もちろん、それ以前にあるDVからの救済がもっと何とかできないかという問いかけの方も悩ましいところですが。


仙川環 朝日文庫 2012年9月30日発行
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犯罪に挑む心理学ver.2 現場が語る最前線

2012-10-07 02:25:37 | 人文・社会科学系
 犯罪捜査・矯正(少年院、刑務所等)で犯罪心理学がどのように用いられているか、それらの現場で働く心理学系の人々の紹介をした本。
 警察の科学捜査研究所(科捜研)の技官や少年鑑別所・刑務所勤務経験者、学者の分担執筆で、科捜研や矯正現場の人が書いた第1部は心理学を学ぶ学生向けの心理学専攻者の職場紹介的なニュアンスの記述が続き、それぞれの現場では一生懸命やっているうまく行っているという建前的な解説が続きますが、主として学者(矯正現場等を経験して学者になっている人もいるでしょうけど)が書いた第2部では各専攻領域間で意見が異なり他のやり方の限界の指摘や自己の領域の優越性の主張が目についたりして、分担執筆の短所(執筆者によって記述の深さや質のばらつきが大きい、全体的な一体性・統一性がない)と長所(さまざまな視点が入り個別執筆者の利害や建前を乗り越えられる)双方がよく見える本になっています。
 「心理学は一般的傾向として、他者の行動の原因を行為者の属性、特に性格に求める傾向があります。たとえば犯罪行動があると、その原因をその人の性格に求め、それゆえ犯行を再度くり返す傾向があるように見がちです。しかしながら、私たちはそのことを少し割り引いて、他にも原因があることを考えなくてはなりません。また、一般的にも人は犯罪行動を単純でわかりやすい原因に求める傾向があります。」(138ページ)という指摘や、従来の「社会心理学」を批判して「極論を言えば犯罪者に特徴的なパーソナリティはない」「行為者の動機や心的メカニズムはきわめて主観的なものであり、犯罪のトータルな解明にとって多くは有益ではない」(173ページ)という指摘、さらには多くの性格についての研究が現在多方面で混乱を呈しておりその原因の大半は性格概念の曖昧さと測定の精度の低さにあり犯罪・非行を扱う人ひとりの一生を直接に左右する重大領域でその轍を踏むことはないか現在の研究を見ていると危惧される(200ページ)などという指摘が、いまだにロンブローゾやクレッチマーを引用したり犯罪者プロファイリングの有効性を声高に言う第1部と共存するところが、良かれ悪しかれこの本の特徴といえるでしょう。
 犯罪者プロファイリングについては、典型的な見込み捜査の手法を科学的なものに見せることで冤罪の危険性を高めるリスクがあると私は懸念しますが、心理学として扱うのならば公表される成功した例の陰にいったいどれだけの失敗例があるのか、要するに的中率がどれだけなのかをまず明らかにすべきだと思います。それ抜きにたまたま当たった例だけを紹介して有効だというのは、役人の予算取りのためと怪しげな予言者の自己満足レベルにとどまるのではないでしょうか。この本で的中率が紹介された「地理的プロファイリング」では、連続放火犯で「円仮説」(連続犯の犯行か所の最も遠い2点を直径として描いた円内にすべての犯行か所と犯罪者の住居がある)が成り立ったのは約5割(29ページ)だそうで、そうすると拠点犯行型(円仮説成立)か通勤犯行型(円外から通ってきて犯行)かは五分五分になってしまい、捜査方針を立てるのに役立たないことになると思うのですが。


笠井達夫・桐生正幸・水田惠三編 北大路書房 2012年8月20日発行(初版は2002年)
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原発と原爆 「日・米・英」核武装の暗闘

2012-10-06 22:09:50 | ノンフィクション
 日本の政治家と官僚たちが、核武装能力を持ち維持するために、原発の導入に際して原発の運転で生じるプルトニウムの返還を求めるアメリカをイギリスやさらにはソ連と競争させることで妥協させ、東海再処理工場の建設でもプルトニウムの混合抽出を求めるアメリカに対して粘り強い外交交渉で事実上の単体抽出を認めさせた(混合抽出が技術的に有効と日米が合意すれば混合抽出に切り替える→日本政府が無効と言い続ける限り単体抽出継続可能)などの経緯をレポートし、原発と原爆・核武装が深く結びついていることを論じる本。
 著者の主張は、核武装カードがあったからこそ日本政府は60年の安保改定を有利に進められたし、核武装カードがなければ沖縄返還交渉や日中国交回復も今とは違った形になったかもしれない(後2者は第5章の終わりでそう書いているだけで具体的なことは紹介されていませんが)、先人が努力して確保してきた核武装カードを、反・脱原発の世論に迎合して簡単に捨てるべきではないというものです。
 外交を含めた交渉にはさまざまな交渉材料があるのは当然で、核武装カードを重視しそれに頼る外交は、国際社会での日本の地位を北朝鮮のようにするリスクを抱えることになります。現に北朝鮮やイランなどが核拡散防止の観点から批判されるときに決まって持ち出されるのが日本の余剰プルトニウムや再処理工場・ウラン濃縮工場という事態が繰り返されています。現代社会では、核武装や戦争などの「脅し」系の材料以外での交渉こそが求められているのだと私は思います。こういった核武装カードに頼る冷戦時代的発想との訣別こそが求められているのではないでしょうか。
 この本の中では、核武装カードの話以外にも、アメリカの被爆者治療センター構想が共産主義者のプロパガンダの材料を消し放射能の人体への影響を調査研究することが目的で被爆者の救済など目的ではなかったこと(36~56ページ)、東海原発(1号機:コールダーホール型)の建設をイギリスのGECは将来を見込んで格安で落札したが耐震設計が未知数の上日本側が契約を楯にすべてをその価格内で修理交換させ嫌気がさしたGECは原子力事業から撤退し建設が終わると人員を引き上げ運転開始後はトラブルが続発して国際社会でイギリスの原発の評判が地に落ちたこと(119~142ページ)、アメリカが日本や同盟国に供給してきた濃縮ウランの製造を一部ソ連に下請けさせていたこと(176~191ページ)など大変興味深いことが書かれています。
 日本政府が田中・ニクソン会談でアメリカから輸入を決めた濃縮ウラン1万作業トン、GEがソ連に外注した濃縮ウラン100作業トン等の評価で、作業トンと濃縮ウラン量、その規模について正しい理解をしているかやや疑問が感じられます。作業トン(tSWU)については製品濃縮度と廃品(ウラン)濃縮度によって数字が変わってややこしく私もよくわからないのですが、天然ウラン(原料ウラン7トン)を製品濃縮度3.5%の濃縮ウラン1トン(廃品濃縮度は0.25%)とするときの分離作業量は4.8tSWU、製品濃縮度を同じ3.5%としても廃品濃縮度が0.3%の時(原料ウランは7.8トン必要)は3.5%の濃縮ウラン1トンを得る分離作業量は4.3tSWU、天然ウラン(原料ウラン10トン)を製品濃縮度4.7%の濃縮ウラン1トン(廃品濃縮度は0.27%)とするときの分離作業量は7tSWUだそうです(ATOMICAより)。そして現在の標準的な原発といえる110万キロワット級原発の炉心の燃料中のウラン量は約30トンです。こういう数字を念頭に読んでみてください。


有馬哲夫 文春新書 2012年8月20日発行
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認知症の人のつらい気持ちがわかる本

2012-10-02 22:11:41 | 実用書・ビジネス書
 認知症患者の不安・落胆・苛立ちと、家族・介護者の心構えや対応についてイラストを中心に解説した本。
 本人が記憶していないことは、本人にとっては現実でないのだから、まわりで否定したり怒ったりしてもそれで本人が反省したり行動を改めるわけではない。しかも記憶はなくなっても感情はあるので、否定したり怒ったりすると悪感情だけが残る。本人が困ったことをしたり言い出しても、否定しないで、本人の言葉を繰り返すなどで共感を示すなどしたり、他の話に誘導したり、お茶を飲ませたりして気持ちを落ち着かせるなどの対応をする。近所の人々には事情を話して理解してもらうようにする。悲観的になっても仕方ないので、今でもできることを考え、プラス思考で乗り越えた方がいいというようなことが、具体的な事例に応じた対応策にも触れて書かれています。
 やりきれない気持ちになりますが、現実的にはこういう本を読んでおくことが必要な時代と世代になってきたのだという実感を強めています。


杉山孝博監修 講談社 2012年8月24日発行
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認知症 「不可解な行動」には理由がある

2012-10-01 18:23:45 | 実用書・ビジネス書
 認知症患者の状態について記憶・認知機能の障害を説明するとともに臨床例を題材に本人の心理を説明する本。
 認知症では、時間・場所・人の見当識すなわち「今はいつ?」「ここはどこ?」「あなたは誰?」の認識が失われる、記憶の「記銘」ができなくなるために今言ったこと・したことが覚えられない(覚えたことが思い出せないのではなく、そもそも覚えられない。逆に昔の記憶は残っており思い出せるし、思い出せる時期に生きていると錯覚したりする)、多数の情報の一部を選択して注意を向けるとか複数の物事に同時に注意を払うことができなくなって車の運転や料理ができなくなったり、多くの情報を処理して評価判断することができなくなり人の顔がわからなくなったり音楽が雑音に思えたりするというようなことが説明されています。
 その上で、認知症患者は、見当識が失われた結果不安に思っているし、一気に認知能力がなくなるわけではないから「本人は何もわからない」のではなく自分でも困惑し情けなく思い思い通りにできないことに苛立っていることを理解する必要があると説いています。
 認知症で情報処理能力が落ちると会合で多くの人の意見を聞いて落としどころを考えたり、相手の出方を見て自分の対応を考えるというような情報の記憶と過去の記憶の照合判断といった作業がうまくできなくなって、会合で意見を言ったりゲームをすることが負担になるばかりでおもしろくなくなり、その結果、趣味や外出が減り、新聞や本を読むことが苦痛になる、家族は本人が既にいやな思いをしてやらなくなりそのことで気分が落ち込んでいるのを無理にやらせようとするのではなく、散歩とかシンプルな美しいものを見るとか現状でもできる気分転換を勧めた方がいい・・・というような解説と対応案が多数書かれています。
 根も葉もない疑いを持たれたり深夜に起こされたり徘徊されたりコンロに火をつけられたり胸やおしりを触られたりする家族・介護者が、そう言われてもどこまで対応できるかに疑問はありますが、患者の側の気持ちをできるだけ知り・考えようという姿勢とその説明には感心しました。


佐藤眞一 ソフトバンク新書 2012年8月25日発行
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