伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

砂の宮殿

2023-06-09 21:34:11 | 小説
 最先端の技術でがん治療を行うことを謳い、関西国際空港傍のビルで、もっぱら海外の富豪の医療ツーリストを顧客に高額の治療費を自由診療で得る「カエサル・パレスクリニック」を主宰する外科医の才所准一が、行政への口利きをしてもらってから多額の顧問料等を支払っている大御所の不審死、金儲け主義を批判するジャーナリストの追及等に悩まされ、志の高い腕利きの放射線医有本以知子の批判などからクリニックの理事間でも不協和音を生じて…という医療サスペンス小説。
 外科医になって4年目の才所が、検察官だった父に対して担当医として根治は無理で余命は短いと正直に告げたところ、父が自殺し遺書に、お前は患者の気持ちがわかっていない、患者は希望を持ちたいんだ、絶望するようなことは聞きたくないんだ、ほんのわずかでも生きる可能性を知りたかった、嘘でもいいから希望を持たせてほしかったと書かれていたことに衝撃を受け、患者に希望を失わせてはいけないということを信条としてきた(67~69ページ)という設定で、最愛の人との関係での結末は、あまりにも苦い。医師である作者の思念でか実践でか、苦悩を感じます。
 高額医療への批判がストーリーのメインに置かれていますが、医師にとってはそういう主張/批判は気になるのでしょうか。弁護士など、多額の手数料を取ってもっぱら金持ち(富裕層・大企業)のためにやっている者は多数いて、そういう人たちは何ら恥じている様子などありませんが。


久坂部羊 角川書店 2023年3月17日発行
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汝、星のごとく

2023-06-08 21:56:25 | 小説
 瀬戸内海の島の高校で、夫を奪われて心を病んでいく母と2人暮らしをしつつその父を奪った女の生き様に憧れを持ち苦しむ井上暁海、つまらない男に入れ込んでは捨てられてボロボロになる母親に呆れつつ母を支えようとし続ける京都から流れてきた青埜櫂、娘結と2人暮らしの化学教師北原が出会い、その後過ごした17年間を描いた小説。
 だらしない母親の足かせをはめられ見放せずに支えようとし続けるという点でかわいそうでもあり健気でもありますが、基本的には傲慢でジコチュウの櫂と、心を病んだ母親を見捨てられず自信も生活力も持てず女が自立して生きることが困難な島の環境で窒息しそうになりながら生き続けるとともに櫂を思い続ける暁海の、すれ違いと「木綿のハンカチーフ」から「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」的な様相も呈しながらの純愛とも苦悩とも言える関係をメインストーリーとしつつ、どこか突き抜けた包容力と意外な弱さを併せ持つ北原の存在で、自由に生きていいんだというメッセージを描いています。現実にはそのようには生きられない辛さ、とりわけ女の側に我慢を強いられる現実(それに対して抗議はしているけれども弱い)を含む描写の哀しさが読後感の多くを占めますが、どこかサッパリした感じもします。


凪良ゆう 講談社 2022年8月2日発行
2023年本屋大賞受賞作
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まぐわう神々

2023-06-07 22:19:58 | 人文・社会科学系
 神話や遺跡出土物、道祖神等の立像・陰陽石、祭礼や民俗芸能等に残る性神信仰、生殖器崇拝について論じた本。
 道祖神、陰陽石などについては中部地方東部と関東地方西部(長野県、山梨県、静岡県、神奈川県、群馬県)、著者の郷里の岡山県を中心とし、他の部分は文献による研究紹介が多く、網羅的なものではなく事例紹介的なものと受け止めた方がよさそうです。
 石像等については、明治5年の太政官布告で取棄が命じられたために東京や東海道・日航街道筋のものが軒並み排除されたが、地方ではそれが徹底されず残され、性神信仰の神体の残存率は世界でも類がないほどではないかと紹介しています(12~17ページ)。
 性神信仰・生殖器崇拝の動機については、性病平癒があった(子宝、豊作の祈願のみではない)ことを、著者は一種執念を持って論じているという印象があります。
 性器(の模型)を担ぎ出す祭りとして、小牧市田縣神社の豊年祭(へのこ祭り:3月15日)、犬山市大縣神社の豊年祭(おそそ祭り:3月15日前後)、佐渡市草刈神社・菅原神社のつぶろさし(6月15日)、松本市湯ノ原温泉の道祖神祭り(9月23・24日)、愛知県設楽町津島神社のさんぞろ祭り(11月第2土曜日)、愛知県西尾市熱池神社のてんてこ祭り(1月3日)が紹介されています(190~200ページ)。私が知る限り一番有名な(というか、それしか知らない)川崎市金山神社の「かなまらさま」はまだ出てこないのかと思っていたら、かなまらさまは一説には火をおこす鞴を男根に見立てたものでもともと鍛冶職人たちの信仰が元にあるので性神信仰といえるかどうか疑問だというのです(201~202ページ)。う~ん、学者/学問の世界は奥が深いのか我が/こだわりが強いのか…


神崎宣武 角川選書666 2023年3月23日発行
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分断と凋落の日本

2023-06-06 21:15:46 | ノンフィクション
 元経産官僚にして、安倍政権批判で報道ステーションを降板させられた著者が、安倍政権以降の軍事と企業優先の政治、原発復活、人事政策による霞ヶ関支配とマスコミ対策等について論じた本。
 映画「妖怪の孫」はこの本が原案と明記されています(8ページ、著者プロフィール等)。「妖怪の孫」は2023年3月17日公開で、この本の出版が2023年4月12日。「妖怪の孫」は安倍政権、安倍晋三の言動に焦点を当てて過去を振り返るという色彩が強いのですが、この本では岸田現政権の様子も、安倍政権の過去に縛られていると言ってみたり安倍晋三よりも考えもなしに安倍超えをやっているなど、安倍政権との比較でですが、フォローしています。
 集団的自衛権行使は憲法第9条違反をいう政府見解を変えるために内閣法制局長官の首をすげ替えたことが衝撃的な事件であり、霞ヶ関官僚の目から見れば「時の総理大臣がルールを無視して『テロ』をやるんだと」と受け止められ霞ヶ関が大きく変わったことを生々しく論じ(36~39ページ)、「武器輸出3原則」を変更した中曽根政権でさえアメリカなどの同盟国への武器「技術」の輸出を国会で散々議論してようやく解禁したのに安倍政権では武器そのものの輸出を大きな議論もなく認めてしまった(39~41ページ)など、元官僚ならではの(著者は中曽根政権時代武器技術輸出担当課の係長だったとか)解説が光ります。
 原発復活でも経産省・原子力規制委員会のやり口がわかりやすく説明されています(78~114ページ)。原発完全復活プランに対して最高裁がそれを止める機能を果たせないという根拠には、樋口裁判官が経験した裁判官会同を挙げています(114~117ページ)が、ここでは最高裁裁判官15名全員が安倍政権以降に任命された(この本の出版時点で安倍政権8名、菅政権5名、岸田政権2名)ということも、「妖怪の孫」的な視点では挙げておいて欲しかったと思います。
 それらの政治的なテーマ以外に、著者が元経産官僚ということから、経済政策の問題、あまりにも企業優遇を続けたために日本企業がイノベーションの努力をせず取り残されて競争力がなくなりかつては強かった家電も半導体も壊滅状態でEV(電気自動車)も乗り遅れたなどの指摘が勉強になりました。


古賀茂明 日刊現代 2023年4月12日発行
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被災した楽園 2004年インド洋津波とプーケットの観光人類学

2023-06-05 21:35:47 | 人文・社会科学系
 2004年に東京大学文化人類学研究室の博士課程にいた著者がビーチリゾートの調査を予定していたところにインド洋津波が発生し、その後10年以上にわたって被災地としてのプーケットに付き合うことになり、逐次発表した論文をつなぎ合わせて出版した本。
 プーケットを採り上げているという点では一貫していますが、過去に発表した論文のつなぎ合わせで、著者のスタンスに変化があるため、1冊の本として読み通すには違和感を持ちます。
 2005年から概ね2011年頃までに書かれた前半では、著者はプーケットの観光産業に従事する人々の中でも専ら日本人観光客に対する現地でのサービスに従事するタイ在住日本人という少数者に妙に肩入れして観光客が減少し戻らぬことによる現地在住日本人たちの困窮とそれが放置されていることの不条理・不正義を強調して論じています。ここでは津波後6か月ないし1年の現地の人々の努力と観光客が戻ってこなかったことを書いているのですが、後半で現在では観光客数が復活していることを述べている(後述するようにむしろそれに苦言を呈するかのようですが)のに、いつ頃からどれだけ回復したのか、そして前半で登場する人たちがその後どうなったのか、観光客の回復まで耐え切れたのかの追記がまったくなされていません。そこがフォローされずに放り出されているのは読者に対して不親切に思えます。また、著者は2006年から2008年にかけてプーケットのメインビーチのパトンビーチに滞在していたが「2年間の在住中、一度たりともパトンビーチでは泳いでいない。繁華街のバングラ通りの道端にぶちまけられた吐瀉物や、腐敗を通り越して毒に変成したような水たまり、何より最終的にはビーチへと流れ込む『ドブ川』の汚水に普段から慣れ親しんでいると、それらが溶け込んでいるだろう海水に自分の体を晒そうなどとは、金輪際思わなかった」(224ページ)というのですが、それをこの本の出版に当たって書き下ろした第8章で初めて書いていて、2009年から2011年頃に書いた前半ではまったくそれに触れないまま復興した楽園に観光客が戻ってこないのは風評災害だなどと述べています。
 後半では、汚水を海に垂れ流し続けた結果、2014年には排水路から真っ黒な水が海に流れ込み一帯の波打ち際が黒く染まり、その後も同様の事態が繰り返され、水質汚染やごみの不法投棄等の環境悪化が顕著になっているにもかかわらず、観光客数が復活し賑わっているプーケットを、著者は、夜のツァーの魅力、泥酔と性欲が渦巻く「楽園」として生き残っているとむしろ嘆いているように見えます。
 また、2016年と2021年に書かれた第6章では、前半で書かれているところでは現地の人々の希望としてあり得ず現にそのような意図があるとは思えない被災地ツァーとしてのプーケットの可能性に関して論じていますが、最初から非現実的な話で、ここに入れられてもいかにも観念論的な学者さんのお遊び/自己満足に思えます。
 前半の現地の日本人グループに肩入れして観光客が戻らないことの不条理を言う(その際にプーケットの海がすでに「楽園」というイメージにそぐわない汚染にまみれていることは、実感していても隠す)姿勢と、後半の遠く離れた学者の興味からの冷めた突き放し気味の姿勢の落差に、複雑な/あるいは読者としてもどこか醒めた思いを持ちました。

この本には関係ないですが、テーマつながりでインド洋津波でのタイのリゾートでの被災を描いた映画についての感想記事はこちら→映画「インポッシブル」


市野澤潤平 ナカニシヤ出版 2023年3月31日発行
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それでは釈放前教育を始めます! 10年間100回通い詰めた全国刑務所ワチャワチャ訪問記

2023-06-04 19:37:33 | ノンフィクション
 吉本興業に勤務していたことから刑務所の釈放前指導導入教育員をしていた著者が刑務所の実情等について書いた本。
 「はじめに」で書かれている著者が釈放前指導導入教育員であったということ、タイトルとサブタイトルから、著者が行った釈放前教育の内容、そこでの受刑者とのやりとりや釈放前教育を受けた受刑者のその後とかを経験に基づいて書いているものと期待して読んだのですが、著者が行った釈放前教育に関する話は第2章の前半と第4章の最後、本全体でいえばせいぜい4分の1くらいで、釈放前教育を受けた受刑者のその後なんて話はまるでありません(先生の話を聞いてよかった、釈放後の生活や更生に役立ったなんて連絡してきた受刑者は皆無ってことでしょうか。10年かけて100回も通ったというのに)。
 残りの、この本の大半を占めるのは、法務省矯正局の広報かと思うような、刑務所は受刑者のために至れり尽くせりをしてよくやっているという話です。刑務所に批判的な記載はまったくと言ってよいほどありません。大阪弁護士会が大阪刑務所で受刑者に販売される日用品の価格はティッシュペーパーが市価の約4.5倍など高すぎると申し入れたことを報じた朝日新聞記事について、高額だという事実は否定できないのでしょう、「確かに、もらえる報奨金から見ると、最低限必要な物は格安に提供できたらいいのでしょうが、色々と都合もあると思います。刑務所というところでの物や人の出入りは管理面から見ても簡単ではありません」と刑務所側を擁護する姿勢を示しています(202~203ページ)。
 著者は、受刑者の処遇(前述のようにいいことばかり)に言及しては、税金で賄われていると指摘するなど、この本全体を通じて、刑務所の管理者側と一体になった上から目線の姿勢が顕著です。釈放前教育の「授業」で著者が100万円あげたら何に使うかという質問をしたのに対して、「実は兄弟が7人いるのですが、みんなで東京ディズニーランドとディズニーシーに泊まりがけで行きたいです」と答えた受刑者に兄弟はいないと後で刑務官に聞かされて、著者は開いた口が塞がらないとはこのこととか「嘘撲滅」こそ教育における最大級の優先取り組み事項ではないでしょうかなどと5ページ近くもかけて文句を言っています(133~137ページ)。著者の言う釈放前教育で重要な「コミュニケーション力」って何なのでしょう。お笑い芸人の技術・芸の重要部分はうまく嘘をつくことではないのでしょうか。著者自身、釈放前教育では「100万円を用意しました。24時間以内に使うとしたら、どう使いますか?貯金はダメですよ。ボクが納得する使い方なら差し上げます」と質問しているといいます(107ページ)。それは嘘じゃないんですか? そういう嘘から始める会話を盛り上げようと受刑者が害のない嘘を言ったら、それは許されない、けしからんということになるんですか。私には、そういう著者の姿勢が鼻につく本でした。


竹中功 株式会社KADOKAWA 2023年3月23日発行
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世界は「 」を秘めている

2023-06-03 23:24:11 | 小説
 いつもダボッとしたトップスと細身のパンツ、ハイカットのスニーカーで過ごす周りからはクールで大人びていると見られている玉川つばさが、自分では好きなものがなく選ぶのが面倒だからと同じようなものを身につけ選択肢が与えられたら迷わず最初の方を即決しているだけで「自分がない」と悩んでいたところ、小学校の卒業式の日に初めて口をきいた同級生の雨宮凪良が海辺をカラフルな服を着て化粧をしハイヒールを履いて散歩しているのを見かけ、「似合ってる、ね」と声をかけたのをきっかけに仲良くなり、他方小学校からの親友の小羽からは悪い噂があるから付き合わない方がいいと言われるなどして悩み…という青春小説。
 同じ作者の「世界は『 』で満ちている」「世界は『 』で沈んでいく」があり、『 』シリーズ3作目という位置づけかとも思われますが、共通点は海辺に近い町の中学生の話であること、前の話に出てきた不良グループと噂される男子(和久井将暉、宇賀田悠真)が名前だけ登場することくらいで、連続性はほとんど感じられません。前2作では主人公が前半では観念的で拗くれた言動に走る点が共通していたのですが、今作はそういうこともありません。
 主人公が、小学校時代スカートをはかず、母親がイヤなことはしなくていい、無理するなと口癖のように気を遣っているという設定が、トラウマや観念的な信条という方向で描かれるのかと思ったのですが、玉川つばさはとてもまっすぐで純情な拗くれたところのない人柄で、最後まで清々しい思いで読めました。人間には裏や醜いところがあるのが当然でそれが描かれていないのは嘘くさいという考えを信奉しこだわっているのでなければ、爽やかに読めていい作品だと思います。


櫻いいよ PHP研究所 2023年2月27日発行
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痛みの心理学 感情として痛みを理解する

2023-06-02 23:09:02 | 自然科学・工学系
 痛みについて、主として脳科学的な見地から、痛みの認識・感じ方への心理的な影響、月経周期と痛み(痛覚感受性)の変化、新生児の痛み、アロマセラピー・リラクセーションの効果、他者の痛みを癒やしたいという心理の根拠、痛みの緩和・痛みに対する耐性を得る手法等を論じた本。
 痛みは感覚と言うよりも「感情」であるということが編者の主張として最初に説明され、現実に痛みを感じたときと痛みを想像したとき(痛そうな画像を見せたとき)の脳活動(脳画像上活発化した部位)が概ね共通している(14~16ページ)、予期(予測)した痛みの程度が小さい(小さな痛みが来ると思い込んでいる)ときには実際の刺激に対応する痛みより小さな痛みを感じる(26~31ページ)、痛みを受けた後の鎮痛は実際の刺激の低下と関係なく刺激が終わるという認識に依存する(31~35ページ)などの実験・研究成果が説明され、なるほどと思いました。もっとも、fMRIによる脳画像は脳の血流が増大していることを示しているもので、それをどう評価すべきかは慎重な検討を要すると考えられますし、被験者が感じる痛みは被験者の申告によっていますので被験者が実際に感じた痛みと申告した痛みが一致しているのかという問題も検討すべきように思えますが。
 「まえがき」で編者は「本書『痛みの心理学――感情としての痛みを理解する』が画期的なところは、そうした疑問にさまざまな角度で答え、日常場面で使えるさまざまな処方箋を示していることである」と自負しています。編者が第9章で「痛みに強い脳をつくる」と題して述べているところでは、ネガティブな感情を抑えつけて表出を抑制するのではなく痛みをより客観視し自身の感情にとってより負荷の少ない意味で受け入れる(認知再評価)、運動療法を行うということが書かれているくらいです。これで「画期的」と言えるほどの処方箋を示しているとは、私には思えないのですが。


荻野祐一編 誠信書房 2023年3月15日発行
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憎悪の科学 偏見が暴力に変わるとき

2023-06-01 21:34:19 | 人文・社会科学系
 人が人種・民族、性的嗜好(LGBTQ+)等によるヘイトクライムを犯すに至る原因について考察した本。
 前半では脳スキャン等の実験や知見を紹介し脅威の認識や憎悪と脳の働き(活性化する部分等)を論じ、脳科学的な解説がなされていますが、これに関しては脳スキャンでわかるのは特定の部位の血流の増加であってそれが脳の具体的な働きや感情とどう結びついているのか等の評価判断には慎重であるべきという意見が研究者からなされ、著者も疑問を投げかけています(141ページ)。各種の心理学系の実験研究が紹介されていますが、その実験結果の解釈には検討の余地がありそうに思える点もあり、なによりも著者自身が度々、だからといって同様の状況に置かれた者が皆ヘイトクライムを犯すわけではないと指摘し、何が偏見を憎悪に変えヘイトクライムを犯すに至るのかが問題提起されます。憎悪を促進するものとして、価値観への脅威やトリガーとなる事件、宗教や過激な思想等が挙げられていますが、結局のところ偏見が憎悪に、暴力に変わる原因や、ティッピングポイント(大きな変化が一気に生じる転換点:350ページ)といった著者が提起した興味あるポイントを説明できているように感じられません。著者自身が最後の章で研究の限界について縷々述べているところです(353~359ページ)。実験研究の紹介と並行して、実際の事件について加害者の経歴や事件に至る経緯を多数紹介していて、読みでがありますが、そこは「科学」というよりはジャーナリズムの文章で、まさにそういう事例があったことは事実でも同じ境遇に置かれた他の人がヘイトクライムを犯すとは限らないものです。
 ヘイトクライムの実例について多くのケースを知るという点では収穫がありましたが、タイトルから憎悪についての科学的な解明や、偏見が憎悪や暴力にエスカレートする原因や機構・機序の理解を期待すると、分厚い本を長時間かけて読んだ結果、今ひとつ釈然としない気持ちで終わると思います。
 刑事裁判で5人の精神医から統合失調症と診断された被告人に対して、ノンフィクション作家が孤独な女性と偽って文通し「医者を騙した」と告白させ、その手紙が裁判の証拠とされて心神喪失が否定されて終身刑となったというケースが紹介されています(212~214ページ)。著者はそれに否定的な評価はまったくしていませんが、ずいぶんと野蛮なやり方がまかり通っているのだなと思います。
 冒頭に、著者がジャーナリストを志して大学院入学を決めていたが犯罪学へと進路を変えることにつながった事件として、ゲイバーから出たところで3人の男に襲われて殴られ同性愛を詰られた経験を書いています(9~11ページ)。ここで著者は加害者の属性について3人の男であること以外は記載していません。私は、この本の趣旨、同性愛を理由に言いがかりをつけてきたことから考えるまでもなく襲撃者は白人だと受け止めました。著者はこの襲撃者について第4章に至って初めて黒人であったことを明らかにします(121ページ等)。しかし、その場面でも著者はそれまで襲撃者の人種を明らかにしなかった理由はまったく説明しませんので、あえて隠したとか読者を試そうという意識ではないようです。著者にとって、路上でいきなり言いがかりをつけて殴る人物は説明しなくても黒人ということなんでしょうか。あるいは私が、悪者は白人だという偏見を持っているということでしょうか。ちょっと悩んでしまいました。


原題:The Science of Hate : How prejudice becomes hate and what we can do to stop it
マシュー・ウィリアムズ 訳:中里京子
河出書房新社 2023年3月30日発行(原書は2021年)
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