Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日は千葉まで遠征

2013年04月13日 22時45分36秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は俳句結社誌の大会ということで、午前中に横浜駅をたって、千葉市の千葉駅前まで出かけた。千葉は現役時代に労働組合の集まりがあり、3度か4度訪れたことはある。しかしいづれも会合が目的なので、千葉駅を降りて会場までの往復をしただけ。千葉という街並をじっくりと見学することはしていない。
 今回も残念ながら午後12時半の受付から19時半の大会終了まで駅前の会場に詰め切り、終了と同時に横浜からの参加者とともに電車に乗り街並を見学することもなく、帰途についた。
 政令指定都市となって街並の発展著しい千葉市の景観を見学したいのだが、なかなかその機会がない。現役を離れた私が街並を見学して仕事に行かせるわけでもないが、それでもいろいろな街並を見学することはワクワクするものがある。地域地域でさまざまな試みや努力があるのを見るのはやはり楽しいし、その街ならではの施設や景観を見る楽しみは仕事を通して身につけることが出来たと思っている。

 しかし1時間あまり、横須賀線にじっと座って過ごすのはとてもつらかった。普段何しろ何かにつけ体を動かすことばかり考えているので、じっとしているとエコノミークラス症候群でも発症するのではないかという脅迫観念が頭をもたげてくる。高血圧の薬も中止となったり、再開となったりと改善しつつあり、コレステロール値も基準値内に収まるようになっているので、そのような心配はまったく無いと言われている。しかし第2の心臓といわれる両足の太ももとふくろはぎの筋肉が張ってきてつらくなる。
 飛行機なら便所の往復などを利用して歩いたり、屈伸運動をしたりする位は出来るのだが、電車では車内を歩き回ったりするのも何となくみっともなくて遠慮してしまう。それでも文庫本の半分以上を読み終えることが出来たので、満足することとしよう。
 帰途も同じようにじっとしていた。通勤客でそれなりに混んでいて、歩き回ることはもともと困難であった。帰宅時間も遅くなり、本日のウォーキングは諦め明日にまた体を動かすこととした。

 さて、俳句の方だが100名を越す参加者があり、今回の大会に向けた俳句が800余句ある中で、とりあえず昔の俳句を投句したところ、主宰の選に1句入っていた。おかげでお酒もおいしく飲むことが出来た。

★五月闇水の匂いのその先に Fs


追悼!ザオ・ウーキー

2013年04月13日 06時37分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ザオ・ウーキー氏が亡くなったとのこと。92歳だったという。
「ハロルド」というブログ”http://blog.goo.ne.jp/harold1234”で知った。

 ブリヂストン美術館に行くと必ず最後はザオ・ウーキーの絵をじっくりと見てから、館をあとにする癖がついている。
 「07.06.85」のあの青の印象は深い。さまざま表情見せる海のようでもあり、空のようでもあり、果てしない宇宙空間の奥を覗くようでもあり、見る度に自由に想像できる。白もまた引き込まれる。原初の海での生命の誕生や、人の営み、人工の都市景観の象徴のようにも見える。
 次から次に湧いてくる想像に身を遊ばせることができる。時間があっという間に過ぎていく。その時間がうれしい。あの絵の前に立つとそのような自由な飛翔に意識がすぐに移行するから不思議である。この意識の飛翔をもたらしてくれる絵、これだけが私の絵に対する評価軸だ。

「21.Sep.50」


「07.06.85」


 初めて見たのは「21.Sep.50」。パウル・クレーの絵かと思ったのだが、作者を見てビックリ。ザオ・ウーキーという名をしっかりと頭に刻み込んだ。そしてその後「07.06.85」を見てこの絵がもっとも好きになった。

経歴を見ると、
1921 北京に生まれる。生後6ヶ月のとき、上海に移る。
1935 杭州美術学校に入学。
1948 パリへ移住、アカデミー・グラン・ショミエールに通う。
1951 ヨーロッパ各地を旅行。
1957 アメリカを旅行。同地の作家たちに影響を受ける。
1958 スーラージュとハワイ、日本を訪問。香港で二度目の妻メイと出会う。
1964 フランス市民権を取得。
1972 妻メイの死により、制作意欲を喪失。24年振りに祖国を訪れる。
1977 フランソワーズ・マルケと再婚。
1982 京都国立近代美術館にて回顧展。開会式に出席。
1985 母校の杭州美術大学で講義を行う。

 「水墨画など東洋の伝統を踏まえた抽象絵画」、「東洋と西洋が融合した叙情的な抽象画」とマスコミは紹介しているが、技法的なことはわからないが、これらの評はどうなのだろうか。生前に言われているとして本人は納得していたのだろうか。もし技法上のことならば教えてほしいと切にお願いしたい。
 絵として、一枚の作品をとおして前にたたずみたくなるその絵の魅力を言い表すのはなかなか難しい。上のような評を言ってすべて言いおおせたような気になるのがもっとも怖ろしい。
 ブリヂストン美術館はザオ・ウーキーのコレクションに力を入れている。いくつか見た作品、どれも私は同じように好きだ。
 亡くなったと聞いて、また近いうちに見に出かけよう。