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晴れるという予想だったのだが、曇りがちの一日であった。その風を理由にウォーキング・ジョギングは中止。
朝から、横浜駅まで歩いていく途中の八重桜が見ごろになっていた。若い小さな木であるが、緑道の上法に植わっていて、歩いていることからは見上げる格好になる。もう少し大きくなれば見事な樹形を見せてくれそうな予感がする。このまま無事に成育して欲しい。
本日の読了
「百年前の日本語-書きことばが揺れた時代」(岩波新書、今野真二)
感想は後日予定。
先日堤剛のチェロの演奏会の感想を書いたが、書き忘れたことをひとつ。
初めて舞台後方席に座ったのだが、15分×2回の休憩時間の大半を席のすぐ後ろのバイプオルガンの演奏台と巨大なパイプを下から見上げていた。演奏台の鍵盤や操作ボタンを見ても何もわからないのだが、同じ字句がしたためられた操作ボタンが幾つも並び、とても複雑な様相であった。これを理解して操作する演奏者とはすごいものだとあらためて感心した。
そして客席からは舞台の後方にあるこの演奏台、逆に演奏台から客席を見ると舞台と前方の客席が足のはるか下に見える。ちょっと怖いと感じがする。足がすくむようだ。
足がすくむのは、巨大なパイプが背後に垂直に行く本も並んでいることも原因だ。巨大なパイプは足元より少し先が一番太くで先端はまた細くなる。そのために先端が見えずらく、一層そそり立つような具合に見えてしまう。それ故、パイプが背後から背中を押しているように錯覚してしまう。
客席を背にしてパイプを見上げると、これまた見上げる人を圧するようにパイプが覆いかぶさってくるように見える。背中から客席に仰向けに倒されるような威圧感がある。この圧力に抗して、鍵盤を強く押して、パイプを出来るだけ振動させて見たい衝動に駆られる。
そんなことを思いながら休憩時間の大半を、パイプオルガンの演奏台とパイプそのものを見上げていた。これは見飽きることは無いような気がする。あのパイプオルガンの維持管理を行う人、演奏する人はどんな思いを持ちながらかかわっているのだろうか。実際に聞いてみたいと思った。