本日はヒョンなことから堤剛が横浜のみなとみらいホールで開催する「バッハ無伴奏チェロ組曲」全曲演奏会のチケットが手に入り、本日聴いてきた。
演奏はとてもすばらしく、堪能したのだがまずは舞台後部席の感想から。
舞台後部席というのは、みなとみらいホールに限らず私には始めての経験であった。普段はこれまでどんな場合でも舞台正面からの席を購入してきた。前回、みなとみらいホールでパイプオルガンの演奏会は初めて2階側面の席だった。特に音響で気にはならなかった。今回どのように音が聞こえるのか、楽しみにしていた。
まず、堤剛のすばらしいチェロの最初の音が出た瞬間、私は舞台後方から聞いていてビックリした。私はちょうど演奏者の真後ろの少し高い位置の席であったのだが、足元からチェロの朗々とした音が正面の3階席のほうに這い登っていくような錯覚にとらわれた。音自体は3階まで登っていくのに時間的な差は感じられることはないはずなのだが、私にはそのように感じた。ホールの物理的な構造からそのような事態を勝手に想像してしまっていたのだと思う。
チェロの場合、演奏者は楽器の後ろに位置して音を客席に向けて弾く。私には夏山の頂上のすっかり暮れてしまった闇の中で、向側の山に先ほどまでかかっていて今はすっかり沈んでしまった太陽に向かってろうろうと響かせている音のように感じられた。音が遠くまで響く醍醐味を味わったようなきぶんになった。
自分で演奏しているような錯覚にとらわれた。
こんな音の経験も悪くない、いやむしろ好ましいものではないかと感じた。実に新鮮な気分になることが出来た。
私はバイオリンの経験があり、弦楽器については正面から見たほうが音楽にはなじめる。左手の指の位置、右手の弓の動かし方から弦楽器特有の音質を想像しながら演奏者を見ていると、とても楽しい。チェロの演奏も同じだ。しかし真後ろの席からそんなことを想像しながらの鑑賞は難しい。だが、本日のこのような音の広がりの経験をつんで、後部座席も決して悪くないものだと実感した。
また機会があったら後部座席の券を購入してみようと思う。値段安いので慣れればいいのかもしれない。でも果たして大人数の管弦楽曲の演奏会などでもこれが有効かどうかはわからない。また、金管楽器などの指向性の強い音はたとえ少人数でもそぐわないかもしれない。
さて、堤剛のバッハの無伴奏チェロ組曲、わたしは大変すばらしい演奏だったと思う。チェロを演奏する者も、聴く者にとっても、この6曲の組曲はバイブルのような曲である。今年71歳を迎える堤剛は、すでにこのバッハの無伴奏チェロ組曲全曲の録音を2度行っている。そして一度の演奏会でこの6曲を弾くという、大変なエネルギーが必要な演奏会である。
重厚なチェロらしい張りがあり、音に深みがますます加わり、そして奇を衒わない堂々としたチェロ組曲であると思う。私好みの演奏だ。
プログラムというか、6曲の並べ方にも工夫があるという。作品番号順の演奏ではなく「構成や調性等を考慮して曲順が工夫」されたことになっている。この曲順については、是非とも詳しく堤剛の解説が欲しいのだが、残念ながらプログラムには記載は無かった。
実際は、1番-5番-休憩-2番-6番-休憩-4番-3番となっている。もっとも演奏しにくいといわれ高音部が多用される6番を第2部の最後に持ってきて、演奏者が「実はもっとも難しい」という4番が第3部のはじめに演奏される。そして最も有名な第3番がプログラムの最後に位置している。
先ほど記したように、構成と調性等をどのように考慮したかは不明だが、それでも演奏会を聞けば、6曲が有機的な構成になっているように感じる。起承転結が感じられるような気もする。
第1番の出だしのあの響きは、この6曲全体の序奏のように太く厚みをもって響き渡る。6曲全体を聞くにしても、たいがいこの最初の音で、最後まで聞きおおせるか否かのすべてがかかっている。
そして今回高音域ばかりでとても難しいといわれている第6番をじっくりと聞くことが出来た。高音部と低音部の交互の掛け合いの様子が、メリハリが利いた演奏ゆえに好ましいと思った。高音部の音に艶があり、とても若々しい音に聞こえた。何よりも低音部が豊かに響いているので、高音部が艶やかに鳴るのだろう。高音部特有の掠れが感じられなかった。
内面的・瞑想的といわれる第2番と、渋いといわれる第4番。内面的と渋いとどう違うのか、問い詰められれば応えようが無いのだが、「渋い」と云われると私には好ましいと感ずるようになってきた。
第4番のじっくりと聞かせる低音の緩やかな曲想と多少のテンポの揺れがとても好ましい。またトリルとビブラートがこの第4番に着て俄然表情豊かになる。堤剛の音色にはぴったりの気分だ。そして最後に演奏された第3番、それも3番目のクーラントと4番目のサラバンドの美しい旋律と厚い響きにびっくり。3時間近い演奏時間の最後に、この朗々とした響きが出るのがすごい。
なお、アンコールの「鳥の歌」、チェリストなら誰でもがあこがれる曲だが、このハーモニクスは特段に美しい感じた。
久しぶりにすばらしいチェロの生演奏を聞いてすっかりご機嫌になった。チケットが手に入る幸運、しかも堤剛のこだわりのプログラムという幸運に感謝である。会場は2000席あまりあるのだが、ほぼ埋まっていた。一人の演奏家でこれだけの参加というのもすごい。また音もこの広い会場に負けてはいなかった。
実は、24日にはモーツアルトのホルン協奏曲全曲の演奏会のチケットも手に入っている。ホルンは松崎裕という元NHK交響楽団の首席奏者。これも楽しみにしている。3月から4月は充実した演奏会が続く。