エル・グレコとラファエロに続いてルーベンスと、最近はルネサンス期からバロック期にかけてのヨーロッパの絵画が目白押しに紹介されている。ルーペンスも日本ではなじみの深い画家であるし、あのふくよかな子供の絵は確かに多くのファンを掴みそうだ。
しかし私はルネサンス以降の絵の常識を覆すこともした画家としての一面があることが好きな理由だ。それが今回来日した一枚。「復活のキリスト」という題の絵だ。
十字架に架けられて死んだキリストが3日後に復活した情景を描いた作品。キリスト者にとっては信仰のもっとも根幹をなす聖書での物語りだ。私にはとても信じることなどできないエピソードだ。聖書でもキリストのこの復活によって各使徒や信者、教団の活動が強固になり、キリスト教の原初の活動が始まったように記載されている。この復活が無ければ教団の始まりも何もなかったかのようだ。
だからキリストは、本来かなり精力的に復活して弟子たちの前に現れたのでなければならない。そういうことを考えれば、多くの画家に描かれたような弱々しく棺おけから出てくるキリストは現実とはそぐわない。弱々しくなくても、幽霊のようにフワットした印象では存在感は希薄だ。敵対者や教団内の懐疑者をねじ伏せるような存在感が無ければ復活した意味はないと思う。しかしながら整然のキリストは聖書の記述では、一緒に十字架に架けられた3人の中でもっとも早く死に、体力の無さが売り者といっていいくらいのキリストの印象だ。
聖書の物語の中では、教会で物売りなどを追い出す話が自らの体力を誇示する数少ない場面だ。私はこの筋骨隆々として精力的なキリストがとても好きだ。これからの1ヵ月あまり、実に精力的に弟子たちのもとを訪れるキリストこそが新宗教の提唱者の風貌に似つかわしくないだろうか。初期キリスト教に対する反対者の存在を考えれば、こんなキリスト像がもっともっと描かれてしかるべきだと思っている。
しかし歴史的にはこのような復活のキリストは描かれてこなかった。その歴史を踏まえると、こんな精力的、筋骨隆々とした「復活のキリスト」は本当に当時受け入れられたのだろうか。ひょっとしたら、これまでのキリストのイメージからの脱却がもとめられていた歴史的背景があるのではないか、と疑ったこともある。しかしそんな事態は無い様だ。
するとこの絵はルーベンス独自の聖書理解に基づく絵なのだろうか。そこら辺はわからないし、私には解く鍵は持ち合わせていない。
しかし聖書の記述を直接体現しているように画家自らがこのようなキリスト像を描くというのは、やはりより現代に近づいていると思う。私にはこのキリストの姿を描いたことによってルーベンスが好きになった。
それはいつの頃だったろうか。30代も半ばを過ぎていた頃のことだ。特にこれといった印象や事件が合ったわけではないのだが、何かの画集でこの絵を見て引きつられたことを覚えている。どんな画集だったか、も覚えていない。
また、私の聞いた講座では、このキリストの顔はルーベンスととても仲のよかった、そして若くして亡くなったすぐ上の兄の顔に似せているということだ。肉親や家族をとても大切にした画家という評価も定まっているようだが、果たしてこれは兄の顔であろうか。上記の絵のようにルーベンスは兄の顔を、畏敬の念を込めて描いている。それは決して猛々しくはない。慈愛に満ちた温厚な顔である。精力的に活動するキリストとは対照的な性格に描いている。兄の顔をキリストに反映しているというのはどうも納得はいかない。
また、「復活のキリスト」の左上の天使である二人の子供の絵は、そのなくなった兄の遺児で、ルーベンスが後見人になっているとのことだ。右側の女性の格好の天使はルーベンスの15歳年下の若い妻なのだろうか。
私はそこまで穿った見方にはどうもついていけない。家族の投影があったとしても、なかったとしても絵の迫力・絵の価値は変わらないと思う。
ただ盛期ルネサンス以降、画家が絵の中に登場するだけでなく、歴史上の人物や神話に登場する神々、あるいは聖書に登場する人々に家族の肖像を描きこんだというのは、それだけ絵画の描きようがキリスト教会の干渉を排してきた結果と考えてもいいのかもしれない。
さて、ルーベンスという画家の名を知ったのは、日本の子供なら「フランダースの犬」というのが定番。私もそうなのだが、しかし実際に画家の絵を見たのは30歳も過ぎてからのことだ。当時読んだ本にはルーベンスの絵などは載っていなかったので、なんでそんなに感動的なのかはとても理解できなかった。物語の印象の方がずっと強かった。それでもルーベンスという画家はずいぶんとこのフランダース地方の人に慕われているんだなあという程度の印象は持った。
後から聞いた話では、この作者はイギリス人だそうで、イタリアで貧窮のうちに亡くなった作家だということだ。20世紀の作品だが、舞台はスペイン統治時代、宗教改革の初期の頃のネーデルランド地方の混乱を反映して、当時のカトリック教会の現状に対する痛烈な批判が込められているとのことである。
「あれを見られないなんて、ひどいよ、パトラッシュ。ただ貧乏でお金が払えないからといって!ルーベンスは、絵を描いたとき、貧しい人は絵を見ちゃいけないなんて、夢にも思わなかったはずだよ。ぼくには分かるんだ。ルーベンスなら、毎日、いつでも絵を見せてくれたはずだよ。」という表現にそのような作者の意志が働いていたとは私は知らなかった。
ただ日本ではこんなに有名でも当のベルギーではほとんど知る人の無い物語だったようで、この落差にはずいぶんと欧州と日本の意識の差、子育ての仕方の差があるようだ。15歳の少年にしてはか弱すぎるというのが、当のベルギーの人々の感想だという。なるほどそれもよく理解できる。10歳前後の子供ならまだしも、15歳にしてはもっとたくましく世の中に対処してほしいと思うのもうなづける。
ネットでは「日本人観光客からの問い合わせが多かったこともあり、2003年にはアントワープ・ノートルダム大聖堂前の広場に記念碑が設置された」との記述がある。
イギリス人作家もここまで日本で愛される物語を作ろうと考えたのではないだろう。ビックリしているかもしれない。