Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

追悼!佐々木高明氏

2013年04月08日 21時29分04秒 | 読書
 元国立民族学博物館長の佐々木高明氏が亡くなったとのニュースが流れた。
 私は1960年代の中ごろ、高校生になりたてのころ当時通っていた高校の国語の先生に「照葉樹林文化」の中公新書を教えてもらい読んだ記憶がある。
 今となってはどのように理解したのかはなはだ心もとないのだが、それでも大学に時代を通して上山春平・中尾佐助・佐々木高明の名前は記憶していた。就職したての頃、「続照葉樹林文化」(中公新書)を購入した記憶がある。しかし結局は読まなかった記憶がある。はっきり云って決して良い読者ではなかった。
 それでも日本の古代史の本を何の脈絡もなく、系統だてもしないでむやみに読んでいた。そしてたまたま集英社版の「日本史誕生」の第一巻を手にした時、国立民族学博物館副館長という肩書きを目にした。
 縄文時代の記述にとても新鮮な感じを受けた。そして縄文時代の栽培農耕について説得力のある記述に触れて、ずいぶんと歴史の認識も変わったんだなと感じた。

 その後、アイヌ新法の動きが加速される中で、ニュースに佐々木高明氏が度々登場されて、「日本は単一民族国家ではない」と力説をされているのを見て、私はとてもワクワクした。1997年「アイヌ文化振興法」が成立し第1条に「この法律は、アイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化が置かれている状況にかんがみ、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する国民に対する知識の普及及び啓発を図るための施策を推進することにより、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする。」と記載されることとなった。
 ところが、本来は全国で効力を持つ法律であるが、当時、衆議院議員石原慎太郎が強硬に反対し、実質的に北海道以外では効力を持たないような法律に変えられてしまった。この様な人が都知事をやってり国会議員に返り咲き、党の代表に就任するなど私には極めて残念な事態である。
 しかし佐々木高明氏はアイヌ文化振興・研究推進機構の理事長としてこの法律の施行について精力的に活動されたのを私は記憶している。自分のしてきたこと、発言してきたことにキチンと責任を取った活動をされているのだなあと感心した。

 そして3年ほど前に、「東洋経済」という経済史に氏のインタビュー記事が出ていると友人が教えてくれてコピーをもらった。経済誌にどうして登場したのかわからなかったが、その記事のコピーを読んで引き込まれたことを覚えている。こんなにわかりやすく解説される話し振りに驚いたのを良く覚えている。
 「日本の文化は単一ではない」「地域主権」「日清戦争以降につくられたナショナル・アイデンティティ」「ひとつの価値観で社会や文化が動かされるのは危険」‥どれもが生きた言葉として語られている。
 私は佐々木高明氏ほどの学識も経験も無いのだが、少なくとも自身の体験を重みのある言葉として紡いで行きたい。

 本日の訃報が掲載されたヤフーの画面にこのインタビューがアップされていたので、懐かしくてあわててコピーをして、画像に変換した。

      

 私はけっしていい読者ではなかったが、氏の著作に影響を少なからず受けた者として、また唯物史観ばかりの私の周囲の状況に対抗するにはこのような新しい視点は大事だと、とても感激してきた者として、大切にこのインタビュー記事を私のブログにアップしておこうと思う。同時に昔の「照葉樹林文化」の提唱の発端となった2冊の中公文庫なども再度目を通したいと思った。

春の嵐過ぎておだやかな天気

2013年04月08日 14時36分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の大雨・強風がおさまり、横浜はおだやかな日となった。小・中・高校の入学式の学校もあるようだ。私には入学式はとうに関係のない歳になった。
 小学校・中学校・高校の入・卒業式は親も感慨ひとしおのものがあろだろう。それはとてもよく理解できる。親としてそこに参加するのは家族の歴史の節目としても重要であると思う。

 だが、大学の入・卒業式、成人式、入社式となるとどうなのか。家族にとってはそれは内々の祝い事のひとつではあろう。しかしその場に親や保護者が参加するというのはいかがなものか。
 私が大学生になったときは入学式はなかった。紛争のあおりで中止になったのだが、私には入学式がそれほど重要なことには思えなかった。親元からはやく離れて自活・自炊したかった。それが大学に入いりたかった重要な動機のひとつだった。成人式は大学のバリケードの中でやり過ごした。
 実は大学でも卒業式はあることはあったが、私は参加したくなかった。とてもそんな気分ではなかったし、教授連中から『「お祝い」や処世訓など云われたくない』というのが当時の正直な気持ちだった。教授連中にお礼を言わなければいけない義理も感じなかった。就職先もあくまでも自分で見つけて、自分の個人的な努力で就職試験に合格した。それが当たり前の時代だった。

 最近では大学の入学式にも親が大勢押しかけるとのこと。卒業式にも親が出席するそうだ。さらに入社式にすら親が押しかけて企業の担当者がお断りする場面がテレビに放映されていた。とてもとてもその発想が私には信じられない。
 自分の子供が18歳を過ぎたら大人として接しなければならない。子供もそう思わなければ自立したことにならない。子離れしなくてはいけない親が多いのだろうか。就職について大学側が真剣に世話をする時代だからこうなったのか、そこら辺の背景は私にはよく理解できない。
 私の勤めた市役所でも、高卒で採用された方がいざ配属になったとき親が職場に来て所属の人に「よろしく」といって挨拶に回ったという逸話がある。私が歳をとるにしたがいそれに類似した逸話が多くなってきた。配属先に「このような出先職場に娘を勤めさせるわけにはいかない」と辞めさせられた新規採用職員がいたとの逸話すらある。
 高校を卒業して18歳といえば、大人として振舞わなければならないし、親もそのように遇さなければならない。
 私の子供も高校の卒業以降は大学の入・卒業式に参加しなかったし、それを求められても拒否したと思う。成人式の時も和装など用意なんかする気にならなかった。子供もそのことは理解していてくれたと思う。

 年寄りには、今の社会にとても適合できない不思議なものが多くあり過ぎる。