Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

江戸甘味噌

2013年04月01日 21時59分09秒 | 料理関連&お酒
 先日購入した江戸味噌、どのような味がするかためしに米ナスの輪切りに塗って焼いてみた。田楽味噌と較べるために両方使った。
 まず田楽味噌、これはよく使うもので甘味が強く感じられていつもの味。焼いても艶がある。江戸甘味噌は焼くと艶はなくなる。しかしほんのりと甘く、塩味は感じられない。しかしコクがあるというか、ねっとりした感じが口に広がりとてもおいしく感じられた。
 この江戸甘味噌はどんな料理に使うのか、わからないのでいくつかのメーカーのホームページを調べたら、まずは牡蠣の土手鍋や鯖の味噌煮などが出てきた。味噌汁には赤味噌とあわせ味噌とするのがいいとのこと。
 生の野菜につけて食べてもいいようだ。塩分が普通の味噌の約半分の6%とのことだ。これもうれしい。お酒のつまみとしても何か考えてみようと思う。

 調べてみると「たっぷりの糀を使った甘みと、少ない塩分を特徴とした江戸甘味噌は、将軍家出身地の三河「八丁味噌」の旨みと、京都「白味噌」の上品さを兼ね備えた味噌として、江戸中期に開発され、以来、江戸・東京の代表的な味噌として長く庶民に愛好された」「原料は大豆1に米が2(普通の辛口味噌は一対○・八)で、米麹をたっぷりと使う。仕込み温度は50℃と高温で熟成させることから、微生物の増殖は抑えられ、もっぱら米麹の酵素作用によって原料に含まれるデンプンやタンパク質が分解され、独特の風味が醸成される。普通の辛口味噌の塩分は12%前後だが、江戸甘味噌は6%と半分に抑えられ、特有のしっとりとした柔らかな舌ざわりが生まれる」「江戸甘味噌は通常の倍以上の米糀を使うため、第二次世界大戦中には賛沢品という理由で生産が禁止され、昭和27年に生産が解禁になった時には、大豆の配合割合が多い辛口味噌(仙台味噌、信州味噌)にとって変わられ、庶民の生活からはすっかり忘れられた存在となっていた」とのこと。
 戦争は日本人の舌まで変えてしまったということだ。

 その他のレシピも調べて少ない量だが、折角購入したこの味噌を楽しく味わうことにしよう。

シベリウス「クァルテット&クインテット」演奏会

2013年04月01日 14時51分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 昨日は肌寒くそして夜になるとちょっとだけだが雨模様であった。12時から20時まで、錦糸町のすみだトリフォニーホールでシベリウス漬けの一日を過ごした。
この演奏会の主催は「日本シベリウス協会」。シベリウス(1865-1957年)の生誕150周年を迎える2015年を記念して続けているシベリウスの全曲演奏会の一環。シベリウスは幼い頃からバイオリンに親しんでいたということで、作曲家シベリウスの原点のようなジャンルになるらしい。
 シベリウスの室内楽曲はそれほど演奏されることはない。レコードもあまり見かけない。どの曲も私ははじめて聞くものばかり。この10曲を最後まで聞きとおせるか自信はまったくなかった。

第1部は12時-14時
弦楽四重奏曲変ホ長調(1885年)
   弦楽四重奏曲イ短調(1889年)
   弦楽四重奏曲変ロ長調(1890年)、アダージョニ短調(1890年)
第2部は16時-17時45分
   ピアノ四重奏曲ハ短調(1891年)
   ピアノ四重奏曲ニ短調(1884年)
   ピアノ五重奏曲ト短調(1890年)
第3部は19時-20時
   マルティン・ウェゲリウスのためのフーガ(1889年)
   弦楽四重奏曲ニ短調「親愛なる声」(1909年)
   アンダンテ・フェスティーヴォ(1922年)
 
 第1部のシベリウス20歳から25歳にかけての作品は、上野学園大学、桐朋学園大学、東京藝術大学の学生によるカルテット。
 第2部はシベリウス協会の関係者のソリストによる編成という。
 第3部のクァルテット・エクセルシオは弦楽四重奏団として活躍している団体。

 第1部、1885年の四重奏曲は20歳の時の作品。古典的というか、解説によるとハイドン的という作品。しかしなかなか心地よい感じの曲だった。
 1889年の作品は音楽院の卒業作品で、出世作みたいなものらしい。確かにこれは聞きごたえがある。最後のエネルギッシュなうねりは、初期の交響曲につながるような感じをうけた。
 1890年の作品は静かな旋律が聞かせどころだと思った。
 いづれも著名な音楽大学の選抜の学生だから、個々の実力はプロ並なのだろうがアンサンブルとなるとやはりチョッともうひとつという感じ。特に1890年の作品の静かな旋律の聞かせどころは、こなすのは大変と思われた。1889年の作品はすばらしいアンサンブルに思えた。

 第2部、1891年のピアノ四重奏曲、ピアノ曲が原曲ということもあり、弦のアンサンブルがピアノの伴奏のような役割になっている。
 1884年のピアノ四重奏曲は19歳の作品だが、ずいぶんと立派な曲ではないだろうか。日本初演ということだが、演奏家もバイオリンがこの一連の演奏会の室内楽の音楽監督をしているという佐藤まどか。音の厚みといい高音の伸びといい、この技量はすごいと思った。バイオリンだけでなくピアノもチェロもよく響いていたと思う。パートの扱いとして1stバイオリンの活躍に比して2ndバイオリンがちょっとさびしい。演奏家のことではなく作曲上の問題としてやはりまだまだ習作の段階なのであろう。
 1890年のピアノ五重奏曲は第三楽章の旋律が美しい。生前には終楽章が演奏されることは無かったとのことだが、この第5楽章=終楽章のエネルギーは圧倒された。エネルギッシュというよりも重厚な響きだ。もう一度聞きたい曲だ。

 第3部、クァルテット・エクセルシオによる「親愛なる声」。これはすばらしい曲だと思った。また演奏もすばらしかったと思う。19年の歴史を持つカルテット、やはりアンサンブルの力量は年月が大きく作用すると実感した。
 特に第三楽章のなんと美しいことか。曲も演奏もいい。どのパートもバランスがとれていてそれぞれにその特徴を聞かせてくれるが、ことにビオラがいい。演奏者の力量もすごいと思った。作曲者もこの地味なアンサンブルの下支えの楽器の音色を十分活用しようという意識がわかる扱いになっている。ビオラの音が艶やかに響いて、新鮮でそして心地よかった。
 1909年というのは作曲家にとっては大きな節目の年であった。前年に発症した喉の癌による手術や、それにともなう煙草・酒の禁断、そして死の恐怖を経て内省的になったと言われている。またドビュッシーから大きな影響を受けた年でもある。2年後には私の好きな交響曲第四番が出来上がる。
 これは是非CDを探して手元において聞き続けたい曲だ。
 
 シベリウスという作曲家の弦楽四重奏などの室内楽曲は、交響曲などの作曲にエネルギーが向かうと作曲されなくなったとのこと。最後に聞いた「親愛なる声」は例外のようだ。これはベートーベンが弦楽四重奏曲を重視して作曲し続けたこととは対照的だが、しかし、シベリウスという作曲家の原点といっていいようだ。
 全体を通してとても緊張感がある曲が続き、飽きたりすることが無かった。全10曲を聴きとおすことが出来た。どの曲でも、テンポの速い曲、ゆったりとだが旋律をじっくり聞かせる曲、フーガの魅力、リズムやアクセントなどで緊張を継続する曲など多様な幅、深みを堪能した。
 先ほども書いたが、ビオラの扱いがとてもいい。ビオラが大きな比重を占める指向性を感じた。それが「親愛なる声」に結実したのだろう。

 小ホールの音の聴き具合も良かった。規模も室内楽には適した広さだと思う。
 年末の12月には同じすみだトリフォニーホールで「ピアノ・トリオ全曲演奏会」も企画されている。これも是非聞きに行きたい。