このブログにコメントを書いてくれる「大納言」様(ブログ「如月より」の管理人)より紹介をもらった「アメリカ先住民の肖像」展(フジフイルムスクエア)を見てきた。東京ミッドタウンの一角にあるフジフイルムの写真歴史博物館内にある。初めて訪れた。写真歴史博物館と銘打ってフジフイルムの歴代カメラの展示の端のついたての一面を利用した小さなスペースに22点が掲げられている。
解説によると作者エドワード・S・カーチスは1868年生まれで没年は1952年。独学で写真を学びルーズベルト大統領の経済的支援を得てアメリカ先住民の生活や肖像を撮影、「消え行く文化」を記録したという。日本で言えば明治維新の年に生まれている。
カーチスはさまざまな技法を使っているらしいが、今回はオロトーン、フォトグラヴュール、プラチナプリントの3種類の技法の作品を展示しているとのことである。私には技法のことは短い言葉だけの説明ではよくわからないのだが、チラシの表紙の「漆黒の外衣」、裏面の1「キャニオン・デ・シェイナヴァホ族」、4「ズニ族の酋長」、6「夢見る乙女」などが今回私の目を惹いた。それらは技法上は、1はプラチナプリント、4はフォトグラヴール、6はオロトーン、表紙の作品の技法は不明、とそれぞれの技法に散らばった。多分それぞれの技法のすぐれた面をキチンと発揮した作品を作っているのであろうと理解した。
インディアンといわれる人々にしてみれば、ヨーロッパ人の侵入というのは自然災害ですら破壊できなかった彼らの文明を破壊つくした巨大な災厄として、押し寄せてきたのであろう。少なくとも私はそのように教わってきた。
「消え行く文化」、これには信仰や神話や種族の歴史、言い伝えや生活の知恵、家族の歴史、そして共同体の掟や他の種族との交流などの共同の観念に属することの断絶・忘却・解体・死滅から、生命体としての人間の肉体の死滅までにいたるすべての消滅を意味していたと思う。わずかに残った種族としての生き残りばかりでは、文化も生命体も復活・復元は不可能であるとしか思えないほど徹底した文化否定・破壊・搾取・そして肉体の殺戮が行われたと思われる。
そんな歴史、しかも短期間の破壊・破滅という結果となった場合、その消え行く文化を撮影するには好奇心だけではその対象なる人々は心を開いてくれない。文化の根っこのところ、生活の根っこのところは見せてくれない。逆にかたくなに拒否されるに決まっている。
ここに展示されている肖像写真の目は決して撮影者を見てはいない。あるいはヨーロッパの文明の利器であるカメラを見つめてはいない。撮影者の目からそむけた別の空間を、ただし鋭く何かを語りかけるように、あるいは何かの言葉を注意深く聞くように見つめている。そのような人物に撮影者は寄り添うようにカメラを向けている、と私は思った。
このような撮影者だから撮影される側も、ヨーロッパという文明に心を開くことはなくとも、撮影者の「消え行く文明」に土足でずかずか踏み込まずに寄り添うように振舞う撮影者に心を一定開いたのではないだろうか。それが撮影者を射すくめることのない視線となってあらわれているのではないだろうか。撮影者の姿勢に感心した。
同時に撮影される「消え行く文化」の担い手の静かな思いがどんなものか、いろいろ想像させてくれる表情にさらに惹かれた。彼らは同情される被写体でもなく、消滅寸前のミイラでもない。確固として生きて来た重みが燐光のように輝いている。そのような表情に見えた。被写体としての彼らに光が当たっているのではなく、彼ら自身が輝いているように思うのは私だけであろうか。
私が一番感銘を受けたのは、1の「キャニオン・デ・シェイナヴァホ族」という作品だ。うすい光の中、広大な岩山を背景に荒涼として、決して豊かとは思えない平原をいく7頭の馬と人間。彼らに日は当たっていない。かつて彼らが大きな比重を占めたアメリカを象徴するような自然から去っていくさびしい隊列を考えてしまう。あらゆる文化や自然との関係や、そして自分たち内部の関係の一切合財を引きずって去っていく寂寥を感ずる。
これは私の勝手な読みであって、実際はそうではないのかもしれないが、この22点を見ればこの読みは間違っていないと確信する。私の見方は感情移入が強すぎるかもしれない。きっとそうだろう。もしそうならハズレということで、この文章を無視してほしい。
さらに6の「夢見る乙女」にも惹かれた。若い少女が異文化の男に、カメラに半身の裸体を晒すということはまず無いとおもう。撮影者とこの「消え行く文化」との関係を物語っている。少女は「消え行く文化」そのものの象徴だと感じた。あるいは少女の所作は、共同体のある観念に基づく儀式、所作などの一環としての行動なのかもしれない。秘められるべき秘儀を撮影者に許したものは何なのだろうか。少なくとも撮影者が「消え行く文化」へ土足で踏み込まずに寄り添うように交流しえた証左なのであろうと感じた。
あまりに感傷的な見方なのかもしれないが、こんな感想を持って会場をあとにした。あの東京ミッドタウンという現代東京の象徴のような場所とはズレの大きな展示のような気もした。
良い刺激を受けた写真展であった。紹介してもらった大納言様に感謝である。