ルーベンスの絵画の中でもこの1611年ごろのアントワープ大聖堂の祭壇画の「キリスト降架」と「キリスト昇架」は日本でもかなり有名だ。特に「キリスト降架」は「フランダースの犬」の最後の場面で登場し、主人公ネロの息を引き取る際に幕が開き月明かりに照らされたこの絵の登場は、実際にこの絵が書物に挿絵として描かれていなくとも印象に残る。
そしてこの絵の梯子の下で息を引き取る主人公には、この梯子が天国へ登る梯子としての役割をはたし、物語の唯一の救いの場面なのだそうだ。
実際に、名作といわれるこの絵を祭壇画として眺めて見たいという欲求が私にある。画集でも残念ながらこの絵を見る機会はなかった。今回その絵を忠実に模写したという版画が展示されていて是非見てみたいと思った。
版画を前にして私は登場人物の動きが大仰ながらも人体表現がそれぞれ極めてリアルで、全体としてもひとつのまとまりがある構成に驚いた。十字架の上からキリストを引っ張り揚ながら徐々に降ろす役回りの男二人、それを下でほぼ全身で支える若いヨハネ、梯子の上で指揮をとるかのように見守るヤコブ、ヤコブの反対側で布とキリストの左腕を支える長老然とした人物は使徒の誰であろうか。その人物の下の女性が聖母マリアであるらしい。下ですでに足を支えているのはマグダラのマリアと思われる。それぞれの役割と動きが実にリアルだ。そして統一的な動きをしている。
しかし実際のルーベンスの描いた原画では、キリストの身体とその身を包もうとしている白い布に光りが当たり、浮き出るように描かれている。またヨハネは真っ赤な服を着ていて、一番目立つ服装をしている。このヨハネの服の赤がキリストの身体から流れる赤い血と呼応しているのだが、残念ながら版画ではこれが表現できない。
原画では一番若い弟子でキリストにもっとも愛された弟子の一人のヨハネとキリストが画面の中央で相対している。これが何を表しているのかは私にはわからないが、意味があるのであろう。
また空は暗く、厚い雲が垂れ込めで陰鬱な場面をさらに暗くしている。その中でのキリストの体に当たる光と赤い服の輝きは鮮烈である。光の当て具合が効果的だ。
またキリストの肉体は他の画家の描くキリストよりかなり肉付きがよい。復活のキリストでもそうだったが、ルーベンスの描くキリストは肉体的にも立派でそれこそ押しの強さが強調される。多分のルーベンスのキリスト理解がそのようなのであろう。断食による骨と皮だけのようなキリストのイメージが多い中、なかなかユニークな描写だと思う。
一方でこのようなたくましい肉体と、十字架での死というのが私などは頭の中でうまく結びつかないこともまた確かだ。聖書や古代ギリシャの絵画に人間性が求められる一方で、あまり生々しい肉体は聖書の物語や神話とうまく結びつかないこともある。これは画家にとっては難しい課題であろうと思う。
この版画、確かに原画の雰囲気を伝えているが、原画を見ないとこの版画は生きてこないと感ずる。
さて、この「キリスト降架」とついになっているのが「キリスト昇架」。はたしてアントワープ大聖堂の祭壇画にルーベンスの「キリスト昇架」がある。
こちらもキリストに日が当たり、これは使途ではなく刑を執行する者によってキリストが貼り付けにされた十字架が立てられている図になる。
これは版画も今回はなかったので、他の本からスキャナーした絵を掲げてみた。
こちらの絵は「降架」よりさらに筋骨隆々とした作業員により思い十字架かまさに立てられようとしている図だ。十字架の横棒が他の磔刑図より短く、吊り下げられるようなキリストになっている。作業する人間の役割も、全体のバランスも統一が取れていて、有機的によくまとまっている。
両手と両足に打たれた釘の部分から流れ出る血の赤色が小さいながら妙にアクセントになっている。
またヨハネが赤い服を着ていたが、この絵でも作業する一人がやはり赤い服を着ている。この赤もまた目立つ。この図でのこの赤の服装の役割は何なのであろうか。また左下の犬は何の役割なのだろうか。背景には緑の木があり、空も青く明るい。これもちょっと気になる。
他にも気になった作品がいくつもあるが、ルーベンス展の感想としてはこれで終了とする。
このブログの記事を書きながらずいぶんとルーベンスの絵の解説を読んだし絵も見た。なかなか勉強になった。頓珍漢な感想もあるかと思うが、素人の思い込み感想として大目に見ていただきたい。