




本日は昨日から始まった横浜美術館の「熱々 東南アジアの現代美術 Welcome to the Jungle」展に出向いた。
題名のジャングルについて「無秩序な、文明化されていない」といった意味を持つサンクリット語の「ジャンガラ」に由来するという。都市化が進み、かつての密林とは異なる姿を見せる東南アジア。多様な文化に価値観が共存し、ジャングルさながらの密度と熱気を帯びた東南アジアの現代美術をご覧ください」との表記がチラシに記載されている。
なかなか東南アジアという括りで現代美術を鑑賞する機会がないなかで、気を惹く企画のような気がした。8カ国、25名の作家の作品が紹介されている。現代美術、特に「インスタレーション」と呼ばれる作品群は理解できないし、好みではない。しかし特に理由はないのだが、今回は是非訪れてみたいと考えていた。
まず最初の作品がイー・イラン(マレーシア)の「スールー諸島の物語」という写真13点の連作。解説には「本作は現代人のアイデンティティーに関するステートメントになっている。スールーの人々の居住域の実際の境界はマレーシアとインドネシアにまたがる水に支配された海峡にあり、そのアイデンティティーや文化は流動的で謎に満ちている。私たちは歴史、運命、地平線を分かち合っているのだ。フィリピンでの体験から作家は、地理的な配置に左右される「真正の」アイデンティティーという概念に対して疑いを呈している」と表記されている。
国民国家としての括り方や、政治的な国家編成に束縛されない人々にとってのアイデンティティーとは何かを問い続けている。このように既存の国家や政治体制の秩序から自由な立場を表明し、それらに対する違和感を作家活動の基本に据えている作家がいる。
一方で植民地からの解放運動・闘争を経て国民国家としてのアイデンティティーは前提としている作家もある。
私などは前者の思想にとても惹かれつつも、後者の作家たちが持つアイデンティティーの強さには羨望とともに、違和感を持つ。
共通して言えることは、東南アジアで急速に進む都市化の波、そしてグローバル化の中で人々が共同体を解体してしまう社会への違和感、批判に自覚的に関与している姿勢だと思う。解放運動下でのプロパガンダとしての美術という括りから脱却しつつも、やはり社会との関わりについてのメッセージを自覚的に表現に取り入れざるを得ないのだろうか。メッセージ性の強い作品が並んでいる。

私が気になった作品のひとつは、ティタルビ(インドネシア)の「小さきものの影」。
「作家の娘の胸像にはムスリムの母親が子供を守るために慣習的に唱える祈りの言葉がアラビア語で刻まれている。子供をいとおしむ母親の優しさがあらわされる。一方手の身振りは形骸化したアラビア語の暗誦に抵抗している用でもあり、宗教的価値を受け入れることへの拒絶も暗示する両義的な作品」との解説(要約)がある。

もうひとつは、ロベルト・フェレオ(フィリピン)の「バンタイの祭壇」。
「スペインの支配に対する反乱ののひとつ、パシの乱をモチーフにして、ピラミッド型のキリスト教の祭壇に抵抗するように逆ピラミッド型に配置された人形の群れ。植民地のヒエラルヒーを揺さぶろうとするもの」と解説(要約)にある。どの人形も精巧なつくりとなっており、人形のひとつひとつが支配されるフィリピンの人々の象徴のようだ。

三つ目はシャノン・リー・キャッスルマン(シンガポール)の「東南アジアの屋台車」。
東南アジア各都市の屋台を写した写真。その持ち主、営業する人は排除された写真だが、かえって屋台の共通性を浮き立たせている。屋台自身の照明が印象的だ。今回は、インドネシア、タイ、ベトナム、台湾の屋台の写真が展示されている。
「東南アジアの伝統的なストリート文化といえる屋台、急速に失われつつあるこれらをいとおしむような視線がある。長時間露光で細かい点まで表現している。屋台の主人が排除されることで、視線は道具や機械へ導かれ、屋台の本質に対する問いが喚起される」(要約)と書かれている。
フラッシュ無しならば撮影可ということで、三作品を撮影した。解説も写真に撮ることが出来た。他にも見落としがあるかもしれない。会期中にもう一度訪れたいと思っている。図録は1995円、今回は写真を撮影したので購入はしなかった。