Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

沖縄旅行 1日目

2013年10月29日 05時22分46秒 | 山行・旅行・散策
昨日の行程は
那覇空港ーひめゆりの塔・同資料館ー平和祈念公園ー首里城ー国際通りー夕食会
ひめゆりの塔の資料館は以前訪れたときとは展示が模様替えされていた。全体的には見やすくなっており、展示の工夫を感じた。以前は壕の中の様子が強調されていたと記憶している。それが整理され、簡潔になったと思う。代わりに手記や回想がクローズアップされ、見る者に迫ってくる。私は良くなったと感じた。
祈念公園は広々として手入れが行き届いている。ガイドの案内で神奈川の戦死者の礎の前までいった。モモタマナという木々が礎を守るように美しく立っている。時間がなく資料館には行けなかったのは残念。次の機会があることを願うしかない。摩文仁の丘を遠望して公園を後にした。
この2カ所では高校生の修学旅行が幾つも来ていた。その中に横浜市内の複数の高校と鉢合わせしたり、やはり複数の神奈川県立高校のバスと行き会ったりした。彼らがどのように受け取っているか・・期待をしたい。

首里城は修復工事が続いている。全体の復元が待ち遠しい。私は初めて訪れた。当時の衣服の案内人などの工夫がいい。琉球王国の盛衰が見て取れる。
不思議に思うのが2点。
琉球(あえて沖縄とは言わない)の歴史では、グスク時代が突如出現する。それ以前は考古学だけの範疇になってしまう。国家の成立はもっと遡れないのか、文字資料の出現と国家の成立がどうしてイコールなのか、という疑問がいつもある。
もう1点は、明治の日本軍隊がどうして首里城を駐屯地とし先の戦争でも司令部を首里城に構えたのか?対馬でも金田城という天智・天武朝の遺跡に、明治から戦前まで防衛拠点を置いている。
近代戦とはいえ、旧日本軍の発想は古代・中世と変わらないということだったみたいだ。「防衛上重要」とはなにを持って「重要」としたかなのだが、旧日本軍が何を守ろうとしたか知りたいものである。決して琉球の文化伝統でも、沖縄の人々でも無かったことは、沖縄戦の様子を追えば明白であろう。

国際通りはずいぶん感じが変わっていた。店が明るく様変わりしている。みやげ物自体も明るくなった。ミニチュアのシーサーの表情も多様になり明るくひょうきんだ。Tシャツの模様も豊富になった。泡盛が美味しいことは変わらない。歩いていて楽しい通りであることも変わらない。泡盛の100ミリリットル瓶を7本も買ったが持って帰ることが出来るだろうか?みんなに飲まれてしまいそうである。