このブログのリンクの貼ってある「時には本の話でも‥」のブログにで銭湯の話が出ていて、コメント欄で盛り上がっている。
私のコメントに管理人である「葦原の山姥」さんが次のように書いている。
「昔ながらの家族経営の銭湯は、本当に大変だと思います。開店準備から閉店後の片付けまで一日がかりで、休みは原則週1回。建物や設備・衛生面の維持管理まで考えると、相応の覚悟がなければ後を継げないでしょうね。加えて、円安による燃料費上昇や来春からの消費税アップを考えると、商売替えを検討しても不思議じゃありません。私が利用している銭湯も、要所要所手入れをしているでしょうが基本的な造りは子ども時分のまま。このまま使い潰すつもりなのかなぁと思ったりしています。一方、隣の町会の銭湯(およそ徒歩10分の距離)はバブル期にマンションに建て替え、その1~3Fを銭湯と集会所にしましたっけ。ですが、人手が足りず(子ども達は後を継がず)、親戚に手伝いに来てもらっているとか。日常の暮らしの中に当たり前に存在するのではなく、好事家の対象にされたり郷愁をそそる存在になった時点で、先細りになるのは仕方がないのかもしれません。これからは、スーパー銭湯のようなレジャーランド的なものばかりになるのでしょうね。」
書かれているとおりだと私も思う。私のいつも通うミニスーパー銭湯も家族経営で、夫婦と娘さんがしている。営業は12時から24時まで。多分週1回の休みの日に浴槽などの清掃やボイラーの点検などをしているように思う。年末年始の休みも元旦だけ。それ以外に休む日はない。付っきりでの営業だから今の時代に営業を続けるのはとても大変だと思う。受付だけでなく、営業中に脱衣場や浴場・休憩室・靴箱の清掃・サウナの点検なども行い、貸し出しタオルの洗濯・乾燥・整理を行い、石鹸等の販売も行う。結構重労働である。
私の家から3分ほどのところの古い銭湯は、取り壊してしまった。あとに出来るビルの中に銭湯が復活するのかわからないのだが、経営していた方はかなりの高齢者で、はっきりいって、熱心な営業ではなかった。15時から22時までとうたっていたが、21時を過ぎると迷惑そうな顔を露骨にされた。そのような時間では客は私一人ということもあり、これでは赤字だな、と感じていた。
昔は頭を洗うと洗髪料を取ったりしていたが、今はそんなことはできない。大体が家に風呂があるのが当たり前の時代だ。学生向けのアパートですら、風呂が無いと入居者はいない。
しかし大きな、人が入っても冷めない風呂で、手足を思いっきり伸ばして、筋肉の緊張がほぐれるのを実感しながら長湯をするのは、何者にも変えがたい贅沢である。さらに泡風呂などがあれば一日の疲れも1時間以内で充分癒せる。一日おきでもいい、週に一回でもそれが450円で得られるならば、こんなありがたいことはない、と思うのは好事家といわれる人だけでしかないのだと思うととてもさびしい。
かのブログには男湯と女湯では雰囲気も大分違いがある、との話も出ていた。男湯の会話では「最近はサウナにバスタオルを敷きっぱなしで出入りして、自分の場所を確保する人が多くなって、他の人が入れない状態らしいよ」と他の客が言っていた。女湯というのもなかなかの世界のようだ。だが、男湯でも体を洗わずに、特に股間を洗わないで入る客が多いという困った現象は、逆に女湯で語られているのかもしれない。
江戸時代は男女混浴、あるいは男女時間別での入浴だったようだが、私の子どもの頃は高い天井を男女で仕切る壁の上部はあいていて、夫婦の会話が行われ、子どもは仕切りにある扉から出入りしていた。だから男女の雰囲気の差などありようが無かったものだが、今はそうではないらしい。
私の家ではあまり、銭湯には行かなかったが、それでも時々入りにいった。小学生の低学年の頃、脱衣場近くの扉から子どもたちが出入りしていたが、時々同級生の女の子がひょっこり顔を出したりして、ドギマギしていたのがとても懐かしい。
高学年の頃は、私も銭湯に行くことは年に数回しかなくなっていたが、それでも壁越しに女の子の声が聞こえると、友達通しで肘をつつき合って、身体を洗うのを忘れて、聞き耳を立てていたものである。
銭湯の経験はそれ以降ない。50代半ばになって山で膝を痛めて、その痛みを解消するために通い始めて病みつきになっている。手術で膝は治ったが、銭湯通いは減量も兼ねて続けている。
私のコメントに管理人である「葦原の山姥」さんが次のように書いている。
「昔ながらの家族経営の銭湯は、本当に大変だと思います。開店準備から閉店後の片付けまで一日がかりで、休みは原則週1回。建物や設備・衛生面の維持管理まで考えると、相応の覚悟がなければ後を継げないでしょうね。加えて、円安による燃料費上昇や来春からの消費税アップを考えると、商売替えを検討しても不思議じゃありません。私が利用している銭湯も、要所要所手入れをしているでしょうが基本的な造りは子ども時分のまま。このまま使い潰すつもりなのかなぁと思ったりしています。一方、隣の町会の銭湯(およそ徒歩10分の距離)はバブル期にマンションに建て替え、その1~3Fを銭湯と集会所にしましたっけ。ですが、人手が足りず(子ども達は後を継がず)、親戚に手伝いに来てもらっているとか。日常の暮らしの中に当たり前に存在するのではなく、好事家の対象にされたり郷愁をそそる存在になった時点で、先細りになるのは仕方がないのかもしれません。これからは、スーパー銭湯のようなレジャーランド的なものばかりになるのでしょうね。」
書かれているとおりだと私も思う。私のいつも通うミニスーパー銭湯も家族経営で、夫婦と娘さんがしている。営業は12時から24時まで。多分週1回の休みの日に浴槽などの清掃やボイラーの点検などをしているように思う。年末年始の休みも元旦だけ。それ以外に休む日はない。付っきりでの営業だから今の時代に営業を続けるのはとても大変だと思う。受付だけでなく、営業中に脱衣場や浴場・休憩室・靴箱の清掃・サウナの点検なども行い、貸し出しタオルの洗濯・乾燥・整理を行い、石鹸等の販売も行う。結構重労働である。
私の家から3分ほどのところの古い銭湯は、取り壊してしまった。あとに出来るビルの中に銭湯が復活するのかわからないのだが、経営していた方はかなりの高齢者で、はっきりいって、熱心な営業ではなかった。15時から22時までとうたっていたが、21時を過ぎると迷惑そうな顔を露骨にされた。そのような時間では客は私一人ということもあり、これでは赤字だな、と感じていた。
昔は頭を洗うと洗髪料を取ったりしていたが、今はそんなことはできない。大体が家に風呂があるのが当たり前の時代だ。学生向けのアパートですら、風呂が無いと入居者はいない。
しかし大きな、人が入っても冷めない風呂で、手足を思いっきり伸ばして、筋肉の緊張がほぐれるのを実感しながら長湯をするのは、何者にも変えがたい贅沢である。さらに泡風呂などがあれば一日の疲れも1時間以内で充分癒せる。一日おきでもいい、週に一回でもそれが450円で得られるならば、こんなありがたいことはない、と思うのは好事家といわれる人だけでしかないのだと思うととてもさびしい。
かのブログには男湯と女湯では雰囲気も大分違いがある、との話も出ていた。男湯の会話では「最近はサウナにバスタオルを敷きっぱなしで出入りして、自分の場所を確保する人が多くなって、他の人が入れない状態らしいよ」と他の客が言っていた。女湯というのもなかなかの世界のようだ。だが、男湯でも体を洗わずに、特に股間を洗わないで入る客が多いという困った現象は、逆に女湯で語られているのかもしれない。
江戸時代は男女混浴、あるいは男女時間別での入浴だったようだが、私の子どもの頃は高い天井を男女で仕切る壁の上部はあいていて、夫婦の会話が行われ、子どもは仕切りにある扉から出入りしていた。だから男女の雰囲気の差などありようが無かったものだが、今はそうではないらしい。
私の家ではあまり、銭湯には行かなかったが、それでも時々入りにいった。小学生の低学年の頃、脱衣場近くの扉から子どもたちが出入りしていたが、時々同級生の女の子がひょっこり顔を出したりして、ドギマギしていたのがとても懐かしい。
高学年の頃は、私も銭湯に行くことは年に数回しかなくなっていたが、それでも壁越しに女の子の声が聞こえると、友達通しで肘をつつき合って、身体を洗うのを忘れて、聞き耳を立てていたものである。
銭湯の経験はそれ以降ない。50代半ばになって山で膝を痛めて、その痛みを解消するために通い始めて病みつきになっている。手術で膝は治ったが、銭湯通いは減量も兼ねて続けている。