Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

イタリア紀行(その3)

2013年10月08日 21時02分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 いづれも西洋美術の精髄といわれるルネサンス時期のさまざまな名画をこれでもかというほど見てまわった。時間が取れずに一瞥だけで早足で通り過ぎた絵も無数にある。とてももったいない思いもしたが、ツアーである以上やむを得ない。しかしバチカン美術館にしろ、サンピエトロ大聖堂、ウフッツイ美術館、アカデミア美術館、ブレラ美術館‥どれも圧倒的な迫力で迫ってくる。
 あの教会の建物の重量感と巨大な空間の中で始めて生きてくる絵画である。あの重量感のある石の建造物とそれらに囲まれ、ステンドグラスの明かりに囲われた巨大で厳粛な空間がなければ生きてこないこれらの絵は、見上げる私たちを萎縮させる。キリスト教絵画の、キリスト教自体の持つある威圧感はこのような巨大な空間を前提にして始めて力を持つ。逆にそれらが無ければそれほどの印象は与えないのかもしれない。

 教会多く見ることができた。印象深かったのはヴェネツィアで訪れたサン・ジョルジョルジョ・マッジョーレ教会とアカデミア美術館。そしてミラノのブレラ美術館である。
 いづれもツアーコースには含まれていないが、やはりここを訪れて良かったと思う。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は観光ヒースから外れている分余計な装飾的なものが無く、祈りの場としての教会のイメージが色濃く残っている。ティントレットの「最後の晩餐」は光が反射してちょっと見難かったが、これはなかなかいい。また尖塔のテッペンに登ってヴェネツィアを一望する価値は充分にある。

 ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエルなどの有名人の他に、カルパッチョ、ベッリーニ、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ボッティチェッリ、マンテーニャ‥等々を満喫することができた。
 ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」「春」は、ちょうど予想していた通りの大きさの絵であったが、他はおおよそ想像以上に大きい作品であった。

 個々の作品を取り上げるだけの能力があればいいのだが、圧倒されるだけ圧倒されてしまった。これ以上の感想は省略させてもらいたい。

 これだけの美術品がある国だけに、美術館めぐりを中心にしたツアーなどが美術館や各種カルチャースクールで企画されているが、それを利用するほうが私などには良いのかもしれない。ただしかなり高価になってしまうが‥。
 さらに街中には各種の彫刻が所狭しと並び、美術館でも多くの彫刻で溢れかえっている。もう少し落ち着いた感じだと誤解していた。

悲しい知らせ

2013年10月08日 00時29分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年の2月のこのブログで記載したM君こと松井英明君。昨年末に心筋梗塞で倒れ、病院で闘病を続けていたが先月亡くなっていたとの連絡が本日入った。12月の下旬に倒れてから9月5日まで、8ヶ月半もの長い間の闘病生活であった。
 意識は多分戻らなかったと思われるが詳しいことはわからない。しかし本人もつらかったろうが、看病を続けた夫人のご苦労も察するに余りある。大変な苦労であったと思う。ご本人のご冥福を心よりお祈り申し上げると共に、夫人のご苦労に敬意を表したい。
 来月16日に「松井英明君を偲ぶ会」が企画されている。是非とも参加したい。中学生のとき、ほぼ3年間を通して毎日一緒に肩を並べて同じ駅から電車で学校に通い、高校に入ってからは私が引っ越したため同じ駅から通うことは無くなり、また同じクラスになることはなかったが、その母校の労使紛争の折には、一緒に組合支援に走り回った仲である。同年輩の仲間が亡くなるのはとても悲しいものである。

私の知る限りでの松井英明さんの事跡は次のとおり。
 松井英明さんは、武蔵野美術大学を卒業後、日本色彩研究所の常務理事などを歴任され、環境色彩、色彩を通じた快適環境職場づくりなどでも著作があり労働安全衛生の面でも活躍をされた。都市景観での色彩についての言及もあり、横浜市の新交通システムのデザインにも参画されたと聞いている。なくなる直前まで東京造形大学で教鞭をとっておられたと聞いている。