いづれも西洋美術の精髄といわれるルネサンス時期のさまざまな名画をこれでもかというほど見てまわった。時間が取れずに一瞥だけで早足で通り過ぎた絵も無数にある。とてももったいない思いもしたが、ツアーである以上やむを得ない。しかしバチカン美術館にしろ、サンピエトロ大聖堂、ウフッツイ美術館、アカデミア美術館、ブレラ美術館‥どれも圧倒的な迫力で迫ってくる。
あの教会の建物の重量感と巨大な空間の中で始めて生きてくる絵画である。あの重量感のある石の建造物とそれらに囲まれ、ステンドグラスの明かりに囲われた巨大で厳粛な空間がなければ生きてこないこれらの絵は、見上げる私たちを萎縮させる。キリスト教絵画の、キリスト教自体の持つある威圧感はこのような巨大な空間を前提にして始めて力を持つ。逆にそれらが無ければそれほどの印象は与えないのかもしれない。
教会多く見ることができた。印象深かったのはヴェネツィアで訪れたサン・ジョルジョルジョ・マッジョーレ教会とアカデミア美術館。そしてミラノのブレラ美術館である。
いづれもツアーコースには含まれていないが、やはりここを訪れて良かったと思う。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は観光ヒースから外れている分余計な装飾的なものが無く、祈りの場としての教会のイメージが色濃く残っている。ティントレットの「最後の晩餐」は光が反射してちょっと見難かったが、これはなかなかいい。また尖塔のテッペンに登ってヴェネツィアを一望する価値は充分にある。
ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエルなどの有名人の他に、カルパッチョ、ベッリーニ、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ボッティチェッリ、マンテーニャ‥等々を満喫することができた。
ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」「春」は、ちょうど予想していた通りの大きさの絵であったが、他はおおよそ想像以上に大きい作品であった。
個々の作品を取り上げるだけの能力があればいいのだが、圧倒されるだけ圧倒されてしまった。これ以上の感想は省略させてもらいたい。
これだけの美術品がある国だけに、美術館めぐりを中心にしたツアーなどが美術館や各種カルチャースクールで企画されているが、それを利用するほうが私などには良いのかもしれない。ただしかなり高価になってしまうが‥。
さらに街中には各種の彫刻が所狭しと並び、美術館でも多くの彫刻で溢れかえっている。もう少し落ち着いた感じだと誤解していた。
あの教会の建物の重量感と巨大な空間の中で始めて生きてくる絵画である。あの重量感のある石の建造物とそれらに囲まれ、ステンドグラスの明かりに囲われた巨大で厳粛な空間がなければ生きてこないこれらの絵は、見上げる私たちを萎縮させる。キリスト教絵画の、キリスト教自体の持つある威圧感はこのような巨大な空間を前提にして始めて力を持つ。逆にそれらが無ければそれほどの印象は与えないのかもしれない。
教会多く見ることができた。印象深かったのはヴェネツィアで訪れたサン・ジョルジョルジョ・マッジョーレ教会とアカデミア美術館。そしてミラノのブレラ美術館である。
いづれもツアーコースには含まれていないが、やはりここを訪れて良かったと思う。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は観光ヒースから外れている分余計な装飾的なものが無く、祈りの場としての教会のイメージが色濃く残っている。ティントレットの「最後の晩餐」は光が反射してちょっと見難かったが、これはなかなかいい。また尖塔のテッペンに登ってヴェネツィアを一望する価値は充分にある。
ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエルなどの有名人の他に、カルパッチョ、ベッリーニ、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ボッティチェッリ、マンテーニャ‥等々を満喫することができた。
ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」「春」は、ちょうど予想していた通りの大きさの絵であったが、他はおおよそ想像以上に大きい作品であった。
個々の作品を取り上げるだけの能力があればいいのだが、圧倒されるだけ圧倒されてしまった。これ以上の感想は省略させてもらいたい。
これだけの美術品がある国だけに、美術館めぐりを中心にしたツアーなどが美術館や各種カルチャースクールで企画されているが、それを利用するほうが私などには良いのかもしれない。ただしかなり高価になってしまうが‥。
さらに街中には各種の彫刻が所狭しと並び、美術館でも多くの彫刻で溢れかえっている。もう少し落ち着いた感じだと誤解していた。