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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の講座

2013年10月12日 22時28分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の講座は神奈川大学の横浜キャンパスで行われた、「未曾有の歴史的地震活動期に入った21世紀日本?!」という無料の8回連続の講座。
 津波と防災に関する課題、大震災の社会的影響、被災地復旧の現状と課題、被災自治体としての釜石市の体験の検証。ならびに、南海トラフ地震の実態、歴史、予測、社会・経済損失の課題などを探るもの。
 現釜石市長の講演も予定されており、さらに行政や施設管理の立場からの発言もあるようで、災害行政に携わったこともあり、また現役時代そのことにこだわってきた私には魅力的な講座である。これだけの内容の講座を無料で聴講できるというのは、大変ありがたいと思う。
 初回の今日は、アジア・太平洋湾岸防災研究センター副センター長の富田孝史氏の講演。初めて聞くお名前だが、技術者の立場からの津波の解析、津波が実際の港湾施設に及ぼした被害について具体的な説明があった。とても興味深いものであった。
 特に津波で破壊されてしまった防災施設といえども減災には役立っていたこと、費用のかからない防災施設のあり方など示唆に富むものであった。マスコミなどの情緒先行の報道ばかりが入ってくる中で、客観的で技術的な検証を経た提起は極めて勉強になる。また、あの災害を客観的に検証することの大切さをあらためて認識した。

「福島菊次郎展」

2013年10月12日 18時46分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 関内の日本大通にある日本新聞博物館(横浜情報文化センター内)にて「92歳の報道写真家福島菊次郎展-ヒロシマからフクシマへー。戦後、激動の現場」を見てきた。
 戦後の激動の現場とは、広島の原爆症に悩む一家の歴史、60年安保闘争、三里塚闘争、東大闘争とあさま山荘事件、水俣病等の公害、ウーマンリブ、原宿族、そして点数は少ないが福島原発事故の南相馬市等の現場での撮影。
 写真の出発点は広島の被爆者一家を10年にわたり追いかけた「ピカドン ある原爆被災者の記録」。この広島の一家を追った写真は、この撮影者のどの写真よりも力がある。原爆症に苦しむ被災者の一人とその一家の悲惨な生活苦をえぐるように撮影しながら、原爆に対する告発と同時に、原爆症に対するいわれの無い非科学的な中傷と差別、行政の無力・無理解を告発している。
 現在の福島の原発事故での放射線被害対策が遅れる中で、被災者と現地に対する非科学的でいわれのない誹謗と中傷・差別が煽られ続けているが、政治に携わるものと差別を煽るもの両方に見せたいものである。すべて政治の怠慢、政治の貧困の所為にして片付けてしまう昨今の状況にも違和感はある。同時に戦後政治の悲惨さも酷さをもその時点で克服できなかった「日本国民」の酷さもまたキチンととらえたいものだ。
 写真が告発しているのは、政治の酷さであると同時に、それを許している「日本国民」でもある。このことは忘れてはいけない。
 「戦後の現場」といっても限られた現場であることは承知をしているが、この現場の状況は確かに日本全国に共通している時代の病巣であった。この中に身を多少なりとも寄せたことのある人間には迫ってくるものがある。それがうまく伝えられる時代ではないが‥。

 しかし依然として、現実の政治を止揚する方途は見えていない。

 ただし写真としての私の好みで言えば、このようなメッセージ性の強い現場写真よりも、離島での子どもたちを撮ったシリーズや「鶴の来る村」のシリーズなどの方が、「写真」として抜きん出ているように感じる。
 チラシの表紙の「輪回し」に興じる子どもの写真などが私の好きな写真である。もっとも写真に対する姿勢の違いだから、あくまでも私の好みの問題だが‥。