早くも街中では年賀状用のソフトなどが店頭に並び始めている。コンビにでも簡易なソフトが雑誌コーナーで陳列されている。最近はメール、それも携帯電話などを利用して年始の挨拶を交わしているので、年賀状は随分と発売枚数が減少しているとのこと。郵便会社も躍起になっているようだ。
郵便会社もメール用の年賀状アイテムや、年賀用・暑中見舞い用に、フリーメールのサイトのようなものを立ち上げたら面白いかもしれない。そのうち喪中ハガキまでメールなどで済ますことになるのだろうか。あるいは喪中の欠礼といった習慣は無くなってしまうかも知れない。宗教的な儀礼から考えても私もこれにはそれほどの意味があるとは思えないのだが‥。
さて、私は年賀状派であると同時に、メールでも年賀メールをやり取りする方もいる。両方の方も多い。無料のメールで意匠も凝ったものがたくさんある。簡単に動くものや文言が浮き出てきたりなかなか楽しいものである。いろいろ探して送ったら、向こうからも同じ意匠のものが届いて、思わず笑ってしまったこともある。
郵便会社に配達してもらう年賀状を作る、書く、と言う行為は、その一年を振り返る機会でもある。大した量の文書を記載するわけではないが、コンパクトに記載する労力が必要だ。これは楽しみである。私は、パソコンで作るので、記載する文書の量は手書きよりも多い。昨年からは、全員に同じ文章ではなく、相手のグループごとに7から10位のパターンをつくり、さらに個人向けの一言もパソコンで付け加えるようにしてみた。手間はかかるが手書きほどではないし、その方が生きた年賀状になると思ったからだ。しかし仕事を現役でしていたら、今の時代にはこんなことはなかなか出来ない。
個人向け一言は、本当は手書きであることが大切であるとも思っているが、如何せん悪筆である。一言、といっても枚数は多い。パソコンのワープロソフトに頼りすぎて、、字を普段書きなれていないので、すぐに手が疲れて、何が書いてあるかいっそう判らなくなる。情けないものである。
受け取った人からは「字が細かくて読めないから、もっと簡略に書け」というお叱りや、「面白い」といってくれる方までいろいろある。自分では気に入った作業なので当面はこのパターンを続けようと思っている。
そしてそろそろ年賀状の作成モードに頭を切り替えなくてはいけないのだろうか。それは少し早すぎる気もする。あと少なくとも3週間先でも良さそうだ。
郵便会社もメール用の年賀状アイテムや、年賀用・暑中見舞い用に、フリーメールのサイトのようなものを立ち上げたら面白いかもしれない。そのうち喪中ハガキまでメールなどで済ますことになるのだろうか。あるいは喪中の欠礼といった習慣は無くなってしまうかも知れない。宗教的な儀礼から考えても私もこれにはそれほどの意味があるとは思えないのだが‥。
さて、私は年賀状派であると同時に、メールでも年賀メールをやり取りする方もいる。両方の方も多い。無料のメールで意匠も凝ったものがたくさんある。簡単に動くものや文言が浮き出てきたりなかなか楽しいものである。いろいろ探して送ったら、向こうからも同じ意匠のものが届いて、思わず笑ってしまったこともある。
郵便会社に配達してもらう年賀状を作る、書く、と言う行為は、その一年を振り返る機会でもある。大した量の文書を記載するわけではないが、コンパクトに記載する労力が必要だ。これは楽しみである。私は、パソコンで作るので、記載する文書の量は手書きよりも多い。昨年からは、全員に同じ文章ではなく、相手のグループごとに7から10位のパターンをつくり、さらに個人向けの一言もパソコンで付け加えるようにしてみた。手間はかかるが手書きほどではないし、その方が生きた年賀状になると思ったからだ。しかし仕事を現役でしていたら、今の時代にはこんなことはなかなか出来ない。
個人向け一言は、本当は手書きであることが大切であるとも思っているが、如何せん悪筆である。一言、といっても枚数は多い。パソコンのワープロソフトに頼りすぎて、、字を普段書きなれていないので、すぐに手が疲れて、何が書いてあるかいっそう判らなくなる。情けないものである。
受け取った人からは「字が細かくて読めないから、もっと簡略に書け」というお叱りや、「面白い」といってくれる方までいろいろある。自分では気に入った作業なので当面はこのパターンを続けようと思っている。
そしてそろそろ年賀状の作成モードに頭を切り替えなくてはいけないのだろうか。それは少し早すぎる気もする。あと少なくとも3週間先でも良さそうだ。