本日はみなとみらいでの講座に参加した後、「横山大観展-良き師、良き友-」を見てきた。展覧会の始まった5日(土)についで2回目。前回も好いていた。本日も前回と同じ程度の入場者なのでゆっくりと見ることができた。
横山大観という画家についてはこれまでも見る機会は少なく、知識もまったくといっていいほど無いので、前回は音声ガイドを聞きながらの鑑賞。今回は自分の目で見て気に入った作品は何か、ということに力点を置いて回った。
前回通り過ぎていて印象に残っていなかったけれど今回惹かれた作品、前回少し心惹かれたが今回も気になった作品を挙げてみる。

「観音」は乳房も露わに菩薩を描いた。当時としては(現在でも)かなり大胆な着想であると思える。次の「杜鵑」は中央の一点が杜鵑なのだがわかるだろうか。芒洋体と悪罵を投げかけられたようだが、よく見ると長谷川等白の絵にも雰囲気が似ている。悪罵を投げかけられるような技法とは思えなかった。
次の「柳下舟行」の絵、さらに次の「瀟湘八景(山市晴嵐)」と較べてみると遠近が濃淡ではっきりわかる。

柳の絵もそうなのだが横山大観という画家はこの縦の線がとても魅力的だとおもった。滝のズームアップでは下への力強い方向性、竹の伸びやかな上への志向、どれもその指示性に強引さが見えない。伸びやかである。
滝の絵ではさらに水のボリュームが印象的でもある。

最後の絵も前回印象が無くて、通り過ぎてしまっていたようだが、月の光が柔らかく印象的であると思えた。
横山大観という人、琳派のような大胆なデフォルメと構図、クローズアップの技法を示すかと思えば、南画風の伸びやかな画面を示したり、いろいろの技法への試みが私にもわかる。
江戸絵画の流派ごとの描法にこだわらず、あらゆる技法を試みたのであろう。私は長谷川等伯の絵も髣髴とさせられるようにも思えた。
まったくと言っていいくらい予備知識の無い画家なのだが、認識を新たにしたと思う。
まだよくわからないところがあるが、近くの美術館で何回でも入場できるので勉強がてら後数回訪れてみようと思う。
また、後期展示の「夜桜」や同じく大作の「秋色」についても感想を述べてみたいと思う。
横山大観という画家についてはこれまでも見る機会は少なく、知識もまったくといっていいほど無いので、前回は音声ガイドを聞きながらの鑑賞。今回は自分の目で見て気に入った作品は何か、ということに力点を置いて回った。
前回通り過ぎていて印象に残っていなかったけれど今回惹かれた作品、前回少し心惹かれたが今回も気になった作品を挙げてみる。



「観音」は乳房も露わに菩薩を描いた。当時としては(現在でも)かなり大胆な着想であると思える。次の「杜鵑」は中央の一点が杜鵑なのだがわかるだろうか。芒洋体と悪罵を投げかけられたようだが、よく見ると長谷川等白の絵にも雰囲気が似ている。悪罵を投げかけられるような技法とは思えなかった。
次の「柳下舟行」の絵、さらに次の「瀟湘八景(山市晴嵐)」と較べてみると遠近が濃淡ではっきりわかる。



柳の絵もそうなのだが横山大観という画家はこの縦の線がとても魅力的だとおもった。滝のズームアップでは下への力強い方向性、竹の伸びやかな上への志向、どれもその指示性に強引さが見えない。伸びやかである。
滝の絵ではさらに水のボリュームが印象的でもある。

最後の絵も前回印象が無くて、通り過ぎてしまっていたようだが、月の光が柔らかく印象的であると思えた。
横山大観という人、琳派のような大胆なデフォルメと構図、クローズアップの技法を示すかと思えば、南画風の伸びやかな画面を示したり、いろいろの技法への試みが私にもわかる。
江戸絵画の流派ごとの描法にこだわらず、あらゆる技法を試みたのであろう。私は長谷川等伯の絵も髣髴とさせられるようにも思えた。
まったくと言っていいくらい予備知識の無い画家なのだが、認識を新たにしたと思う。
まだよくわからないところがあるが、近くの美術館で何回でも入場できるので勉強がてら後数回訪れてみようと思う。
また、後期展示の「夜桜」や同じく大作の「秋色」についても感想を述べてみたいと思う。