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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

羽田に帰着

2013年10月30日 22時20分22秒 | 山行・旅行・散策
 無事羽田空港に着陸。これから家までは約45分。途中で誘われない限り11時前に帰宅できる。
 旅行中の詳細の感想はまた別途記載する予定である。いろいろと考えさせられる旅行であった。

 沖縄は戦後の歴史を語るときには忘れてはならない重要な地域である。戦後の矛盾・しわ寄せが集中した地域だ。人にはそれぞれのかけがいのない人生・歴史があるが、同時に沖縄を忘れてはいけないと思う。
 日本の戦後がいろいろと取り沙汰されている今こそ、思い出すことが大切ではないだろうか。
 私自身は育ったのが横浜よりも北の地なので、南方の沖縄より東北の地に温みと安らぎを感ずる。一昨年の震災のことは身につまされる。
 しかしながら一歩間違えれば、どこの地域でも沖縄のような戦後処理を強いられたら可能性はあった。
 信じた神国日本という国家に放り出され、米国に蹂躙された沖縄では、アメリカという国と軍隊に直接対峙させられた。そして本土では「新生日本」という国家とアメリカという国家と二重に対峙する事を強要された。
 このような視点で日本の戦後史を、もう一度考え直さなければならないと思う。

沖縄旅行 3日目

2013年10月30日 16時00分17秒 | 山行・旅行・散策
 本日の行程は、
沖縄美ら海水族館ー今帰仁城ー辺野古ー那覇空港ー羽田

 水族館では、ジンベイザメとマンタの優雅な泳ぎと、ウミガメとマナティーに癒されてきた。時間がなくて海洋文化館を覗けなかったのは残念であった。
 ここからは伊江島が美しい。米軍との激戦地、そして米軍の土地収容や米軍との熾烈な闘いは岩波新書で学生の頃学んだ。阿波根昌鴻さんという方の名も知った。確か100名を越す死者を出した米軍艦船の事故もあった。

 今帰仁城は今回最後の世界遺産見学。石垣がこれまでと違い地上は石灰岩ではなく凝灰岩のため黒っぽい。そして堅いため切ったりしておらず自然形のまま積み上げている。石自体も小振りである。全体の印象がチョット暗い。しかし曲線状石垣というより石積みというようだが、この形状は変わらない。
 鹿児島以北の城郭に慣れた目には奇異に映る。私は対馬の金田城の石積みの谷の形に添った形状との類似に思い当たった。それが当たっているのかどうかは不明だ。専門家はどのように考えているのだろうか。

 辺野古はキャンプシュワブを眺めながら、座り込みのテント村で説明を受けた。詳細は後日に・・。

沖縄旅行 2日目

2013年10月30日 01時37分00秒 | 山行・旅行・散策
本日は、沖縄2日目。嘉数台(かかじだい)公園・普天間基地展望ー嘉手納基地展望ー座喜味城跡ー勝連城跡ー恩納村のコース

いずれも初めて訪れた。
嘉数高台は沖縄戦最大の激戦地と云われた地点。私は「かかず」と思っていた。
普天間ではオスプレイを目の当たりにし、嘉手納では町の83%を米軍基地に占領された町を見学した。
昨日は旧日本軍が結局沖縄の人々を守ることをせず、琉球の文化も守るつもりも無かったことを記した。
軍隊の本質・戦争の本質として米軍も琉球・沖縄を尊重する気は100%無かったことは、強引な沖縄占領・土地収容・人々への犯罪行為で明らかである。
正義の味方=アメリカ軍という神話は存在してほしく無い。戦争に正義の戦争も正しい戦争も有るはずがない。文化を守るはずもないのである。
軍隊にある唯一の正義は「敵を殲滅せよ」これだけである。これは戦後の米軍の関わった戦争のどれを見ても明らかである。朝鮮戦争、ベトナム戦争しかり、アフガニスタン・イラクすべてに当てはまる。対抗した「革命」戦争も例外では有り得ない。
そして命を落とすのは末端の兵であり、現地の非戦闘員である。戦争を仕掛けた者、「正義」を語った者ほど命を長らえてきた。
最も人間らしい風は諍いを起こさない知恵である。集団が持つ幻想領域の意識をできる限り薄く剥ぎ取り、戦争の意義を疑い尽くしてみよう。そこに解決の糸口はあるはずだ。