岩波新書の「地球外生命-われわれは孤独か-」(長沼毅、井田茂)を読み終えた。私が学生の頃はまったくSFの世界であった地球外の生命体について述べた本である。
天文学者の井田茂と生物学者の長沼毅の共著という形だが、各章をそれぞれが担っている。
結論はやはりあいまい模糊としたものであるが、天文学者が思考実験のように様々な可能性を想定しながら、観測を求めるのに対して、生物学者は地球環境の極限状況の生命現象に着目しながら、可能性を探っている。
与えられた条件から類推を重ねる緻密さも大事だが、大胆な仮説にもとずく発想も必要である。観測の実際が極めて乏しいものであるから、それだけ自由な思考が必要だともいえる。
しかしまだまだとても具体的な学問としての確率はできない状況が垣間見える。私が学生のころと大きく違うのは、地球の生命体の初めが、火星由来、彗星由来の可能性があるとのことなどがいわれていること程度のような気もする。こう理解したのは、私の理解力が乏しいためかもしれない。
私が高校生になりたての頃だったと思うが、あるSF小説を読んだとき、H2Oの代わりにH2Sで生命体を想定するとどのような生物が想定できるか、PH3ならどうかなどの話はすでに出ていた。また酸素大気O2のかわりにメタンガスならどういう生物が想定できるかなどの話題もあった。当然想定できる内容もより細かくはなっているだろうが、思考実験の水準はそれほど進展していないのかな?というのが当該の章を読んだ時の感想であった。
ただ今回面白い指摘だと思ったのは、惑星に陸地が無いと高度の知性・文明は想定できないのではないかという記述にあった時。惑星全体が液体たとえば水に覆われていた場合、生物の意思伝達は音波信号に限られるのではないか、そうすると水面から外に出ていく電波を通信手段として獲得することは不可能ではないか、という指摘である。これはなるほどと思った。イルカなどの動物は意志疎通を群れの内部でしているが、今以上に高度な意志疎通や思考を発展させたり、そのための道具を獲得することはほぼ不可能であるという。イルカへの過剰な思い入れが盛んな昨今、なるほどと感じた。
最後に結論的に記されている「現時点では科学の対象にならなくても、‥日々の日常生活に彩りを加え、豊かにするためには、結構大切なことではないか」という言葉が、現状を伝えている。科学者にとってもあくまでも今は思考実験の状況であることと、火星や小惑星・彗星の鉱物分析、探査分析の時代であることを抜けられないことだけは確かだ。
もう少し進んだ思考実験の結果などどが書かれているかと、勝手に想像をたくましくしたが、まだまだのようである。
報道では火星、彗星の少ない資料分析についてすぐに「生命の存在云々」とセンセーションに取り扱うが、まだまだそんな段階ではないようだ。センセーションなものが世紀の発見とはならないことはわれわれも肝に銘じながら、分析的態度で懐疑的な態度で報道に接しないといけないとあらためて感じた。
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天文学者の井田茂と生物学者の長沼毅の共著という形だが、各章をそれぞれが担っている。
結論はやはりあいまい模糊としたものであるが、天文学者が思考実験のように様々な可能性を想定しながら、観測を求めるのに対して、生物学者は地球環境の極限状況の生命現象に着目しながら、可能性を探っている。
与えられた条件から類推を重ねる緻密さも大事だが、大胆な仮説にもとずく発想も必要である。観測の実際が極めて乏しいものであるから、それだけ自由な思考が必要だともいえる。
しかしまだまだとても具体的な学問としての確率はできない状況が垣間見える。私が学生のころと大きく違うのは、地球の生命体の初めが、火星由来、彗星由来の可能性があるとのことなどがいわれていること程度のような気もする。こう理解したのは、私の理解力が乏しいためかもしれない。
私が高校生になりたての頃だったと思うが、あるSF小説を読んだとき、H2Oの代わりにH2Sで生命体を想定するとどのような生物が想定できるか、PH3ならどうかなどの話はすでに出ていた。また酸素大気O2のかわりにメタンガスならどういう生物が想定できるかなどの話題もあった。当然想定できる内容もより細かくはなっているだろうが、思考実験の水準はそれほど進展していないのかな?というのが当該の章を読んだ時の感想であった。
ただ今回面白い指摘だと思ったのは、惑星に陸地が無いと高度の知性・文明は想定できないのではないかという記述にあった時。惑星全体が液体たとえば水に覆われていた場合、生物の意思伝達は音波信号に限られるのではないか、そうすると水面から外に出ていく電波を通信手段として獲得することは不可能ではないか、という指摘である。これはなるほどと思った。イルカなどの動物は意志疎通を群れの内部でしているが、今以上に高度な意志疎通や思考を発展させたり、そのための道具を獲得することはほぼ不可能であるという。イルカへの過剰な思い入れが盛んな昨今、なるほどと感じた。
最後に結論的に記されている「現時点では科学の対象にならなくても、‥日々の日常生活に彩りを加え、豊かにするためには、結構大切なことではないか」という言葉が、現状を伝えている。科学者にとってもあくまでも今は思考実験の状況であることと、火星や小惑星・彗星の鉱物分析、探査分析の時代であることを抜けられないことだけは確かだ。
もう少し進んだ思考実験の結果などどが書かれているかと、勝手に想像をたくましくしたが、まだまだのようである。
報道では火星、彗星の少ない資料分析についてすぐに「生命の存在云々」とセンセーションに取り扱うが、まだまだそんな段階ではないようだ。センセーションなものが世紀の発見とはならないことはわれわれも肝に銘じながら、分析的態度で懐疑的な態度で報道に接しないといけないとあらためて感じた。
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